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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第四章
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自覚

 レイは暖かい温もりに、導かれるように目を開けた。ぎしぎしとしなる関節をゆっくりと動かして上半身を起こす。羽織っていたブランケットが背中から滑り落ちた。


「え」


 レイの間抜けな声が、ぽん、と落ちた。そして、繋いだ手を強く握り直す。


 ジェノヴァ。


 優しく問いかけた。


「あっ」


 心なしか、血の通う温もりが彼女の掌に感じられる。ぴくり、声に反応したのを見て、彼の顔に笑顔が広がった。いつの間に拵えたクマも気にならないほどの、輝く笑みだ。


「ジェノヴァ?」


 今度は、はっきりと、彼女の手が動く。


「聞こえるか」


 瞼が震え、長い睫毛を揺らして、ゆっくりとあのブルーがのぞいた。久しぶりに見る、あの青だ。空より澄んで海より清く、夜空に輝く星よりも美しい、あの青。窓から差し込む透明な光が幾重にも織り込まれたしゃとなって、蒼が拭い去られた彼女の白い肌を明るく弾けさせた。淡い赤みがさして、ただの陶器人形のようだった表情も穏やかなものに変わったように思える。

 ぱ、と彼女は口を開くが、言葉を発しない。もどかしそうに唇が動いて、残念そうに閉じられる。


「気分はどうだ」


 目尻を下げて表情を和らげた彼女に、レイは深い息を吐いた。


「ああもう……、本当良かった」


 力が抜けた。安堵感に満たされるにつれて、レイの全身に止めようのない荒々しい感情が濁流の如く押し寄せた。耳元で、ジェノヴァが息を呑む音がした。不安定に揺れていたソファガタガタと音を立てて、倒れることなくなんとか持ち直す。

 レイはベッドに身を乗り出して、彼女を抱き締めていた。彼女が、痛い、と掠気味の小さな声で言うまで、強く、強く。


「……レイ、珍しい顔してるよ」


 そう言って、驚きから嬉しそうな花笑みに表情をくるりと変える彼女。そう言われて初めて、レイは自分が涙を流したことに気付いた。頰に、前より痩せた手のひらが添えられる。温かい雫を拭って、やっぱり彼女は何故か嬉しそうに笑うのだった。





「ジェノヴァーッ!」


 彼女に飛びつき、泣き喚くミルガ。よかった、本当によかった、と目を潤ませて彼女の髪をぐしゃぐしゃさせるライア。ヴェイドも、心の底から安心したというような優しい表情を疲れた顔に浮かべて、彼女の頭を撫で回している。カルキもリーカスも、心底安堵した表情を浮かべていた。


「気分は大丈夫?」

「うん。すこぶる良好だ」


 心配そうにジェノヴァを覗き込むライアに、彼女はビシッと親指を立てる。


「これから暫くは絶対安静ですから。間違っても、剣の練習などしないように」

「え」

「当たり前でしょ」


 カルキがすぐさま彼女の頭を優しく叩いた。


「体が鈍ってるから、早く元に戻さないと」

「焦る気持ちもわかるけど、駄目だからね。四六時中見張りを付けられたくなかったら大人しく寝てなさい」


 いつものやりとりができることが、誰もが心を弾ませ、彼等は顔を見合わせて笑った。久しぶりに、楽しい空間が生まれた。いつもの調子の良い会話と和やかな日常は、たわいもない話をし始めればすぐに帰って来た。

 ジェノヴァが目を覚ましたと言う知らせはすぐに城中に広まった。それと共に、若干の緊張感は残るものの、事件前に時を戻したような空気も城全体に広がったのであった。


「でさでさぁ、セルの奴その材料全部ダメにしやがってさ」


 仕事の合間を縫って様子を見に来る人で、ジェノヴァの病室はやたらと出入りが激しい。昼の食事の時間。今日も病室に集った彼等は、ジェノヴァが寝ていた間に起こった出来事を面白おかしく、たまに戯れあうような取っ組み合いながら話してくれる。それを楽しそうに聞いて、ジェノヴァは咳き込みながら笑う。まだ眠りから覚めたばかりで、痩せた身体では笑うことすら体力が奪われるほどであったが、彼女は幸せだった。細い身体をめいいっぱい使ってでも、お腹を抱えて大笑いしたかった。そんな彼女を労わるように、ライアはそっと優しく背中に大きな掌を当ててくれる。カルキはミルガの失敗談を聞かせてくれながらも、目敏くジェノヴァの具合をチェックしている事に、もうジェノヴァは気付いていた。


「ほんっとジェノヴァのこと心配すぎて、稽古は異常なまでにやり込むわ、執務中は顔が険しいわ、見舞いから帰ればしょげ返ってるわ、大変だったよ」


 ミルガはそれを少し恥ずかしそうに、でも彼女の笑顔を見て嬉しそうにして、頭を掻く。ヴェイドは言葉はなくとも、想いの詰まった大きな両手でぐしゃぐしゃと金の髪をさせてから、安心しきったように窓枠に腰掛けて、いつもの見守る態勢に入る。甲斐甲斐しく水を持って来てくれたり、メイドや執事に事細かに指示してくれているのは、やはりリーカス。面倒見が良い。そんな様子を一歩引いたところから、見守るレイ。椅子に脚を組んで座り、此方を静かに見ている。不敵な笑みはなりを潜め、柔らかで温かな眼差しだ。そんな彼等が愛おしいと、ジェノヴァは心から思った。そして胸のうちに溢て抑えの効かないその想いを、吐露してしまいたくなった。


「みんな、大好きだよ」


 ぴたり、と皆タイミングを合わせたかのように動きを止めた。

 油断はしないと常々誓いつつ、敵に殺されないという自負は何処かにあった。その無自覚な甘えが招いた結果だと、一度毒された掌を見た。軍の最前線で戦う者として、死と隣り合わせで生きねばならない。その事を再認識させられて、伝えておくべきことはすぐに言わなくてはと思った。近すぎて、近すぎるが為におざなりにしがちな、こんなにも大切な人達に、伝えなきゃならないと思った。


「あと、ありがとう。本当に」


 ジェノヴァの屈託のない笑顔が咲いた。やっぱり彼等はこの手を掴んでくれて、居場所だって報せてくれる。


「今更何言ってんだよ」


 彼等の表情には、心の澱となって燻っていた不安など吹き飛ばしてしまうような、勝気な笑み。


「お前は俺等の半身。俺等はお前の半身だ。欠ける訳も、欠けさせる筈もない」


 言葉に出さなくても伝わるだろうけど、言葉に出さずにはいられない。自分の心臓とも思える友に贈りたい。


「ありがとう」





「我慢しろ」

「無理」

「あ?」


 凄い形相で顔をあげたのは、勿論のことレイである。シーツを巻き込みながらベッドの上でゴロゴロと転がり続ける彼女を見て、彼は深い溜息を吐いて呆れる。


「まだ安静にしてろって言われただろうが」

「駄目だ、俺は動いてないと生きられない。暇すぎて死んじまう」

「そんな人間いねえから安心しろ」

「うー」


 暴れる彼女の頭を押さえ込み、頬を膨らませながら唸る抗議の声を無視して、彼は読書を再開させた。

 外からの柔らかな光を受けながら、長い睫毛を伏せて視線を本に落とす横顔はまるで彫刻のようだ。はっきりとしたその造形は、曲線美と黄金比で織りなされた美術品。鞣した革のように滑らかな肌に覆われた筋肉が絹の衣から覗いていて、眩しさに思わずジェノヴァは目を逸らす。彼も多忙にも関わらずこうやって隙間時間を縫って、ジェノヴァの面倒を毎日見に来てくれていた。

 メイドが運んできた2人分の昼ご飯をサイドテーブルに置いて、食事にするか、と尋ねる。食欲旺盛な彼女は、目覚めた翌日からご飯をもりもり食べたので、痩せた頰はすっかり元に戻っていた。


「あーんはもういいのか」


 手にしたスプーンは、カクリとなって、ライスを掬うことに失敗した。


「ほんっと、恥ずかしげもなくそーゆーことを……。揃いも揃って悪質だ」


 悪態を吐くジェノヴァがそろりと横を見れば、本を閉じ、机に頬杖をついてそう尋ねる彼のにやけ面が目に入る。

いつもご愛読ありがとうございます!

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