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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第四章
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「2人共、止めませんか」


 レイもカルキも、いつもの整った服装が乱れて、ボタンが弾け飛び、糸がほつれている。床に転がり、揉み合いになった体勢のまま見上げた彼らの視線の先には、風呂上がりであろうと思われるリーカスが立っていた。ボロボロの格好で掴みあう2人を、彼は呆れた表情で見下ろしている。紺色の部屋着に身を包んで眼鏡を外し、いつもきっちりと固めてある黒髪は、しっとりと水を含んで素直に降りている。合わされた余裕のある襟元からは、白く筋肉質な胸元が覗いていた。


「夜中にこんな殺伐とした喧嘩をしないでください」


 舌打ちをして、レイはカルキから身体を離し、立ち上がる。カルキも土埃を払って、ゆっくり立ち上がった。


「貴方達がそんなに揺れていてどうするんです」


 リーカスは真面目な顔を取り繕ってそう言った。上背もある大人の体格の二人が、子供のように喧嘩している姿を久しぶりに目にし、暫し観察していた事は秘密だ。


「ジェノヴァが起きたら仕事が山積みだ、って怒られますよ。明日の午前の仕事は俺が代わります。その間ゆっくり頭を冷やしてください」


 レイが反論するのも聞かず、彼はそう残して立ち去った。何を言っても聞かないですから、としっかり釘を刺して。再び、静寂が訪れる。


 レイは壁に背を預け、ずるずると座り込んだ。カルキもレイの向かい側の壁に座り込み、天を仰ぐように頭を壁にもたれさせる。息の詰まるような時が流れる。星が綺麗に見える夜であることに、初めて気が付いた。先に沈黙を破ったのは、レイだった。


「こんな喧嘩するのも久しぶりだな」

「前は、よくやってたのにね」


 カルキは、くすり、と笑う。先ほどの凍てついた笑みではなく、思い出し笑いのような軽やかな笑み。それを見たレイも唇の片端をあげて、無言の返事を返す。


「あの頃は、馬鹿みたいに喧嘩三昧でさ」


 2人は、犬猿の仲と言っても過言ではないほど、仲が悪かった。今となっては誰も想像できないであろう。顔を合わせれば、喧嘩をふっかけあっていた。


 カルキの家庭は厳格な家庭で、礼儀作法から勉学まで厳しく指導された。失敗すれば容赦無く罰せられる。そして、カルキは剣を習いたいと何度願っても、彼の父親はそれを許さなかった。彼の父親は文官であり、武力反対を掲げていたからだ。それ故に、仮面を被った彼のひねくれた性格が出来上がった訳である。しかし、剣についてはこっそり練習を重ねていたようだ。運動神経がとびきりにいい彼は、1人でも腕を上げていった。


 そうして7歳になった時、彼に運命的な出会いが訪れる。それは、彼の人生を変えるものだった。


 カルキが父親の仕事場に、彼が家に忘れていった弁当を届けにいった帰り。彼は、好奇心に導かれて迷い込んだ宮殿の中で、金属の弾ける音を聞く。足音を忍ばせて、音のする方へ歩みを進めた。開いた扉から中を覗いて、思わずカルキは息を呑んだ。幾人もの騎士達が、激しく打ち合いをしていた。剣が跳ね、高音を奏で、粉塵が舞う。それは魅入ってしまえるほど、美しく彼の目に映った。


「おい、お前。そこをどけ」


 引き込まれるように、時を忘れたようにそれを眺めていた彼に、誰かがそう言う。振り返れば、そこには自分と同じくらいの背丈の少年がいた。燃えるようなルビーの瞳と黒髪が印象的な、綺麗な子だ。思えば、その時から互いに、気に食わない奴だと思っていた気がする。彼はカルキの肩を押しやり、熱気の篭る場内へと入っていく。屈強な男達の中へ、恐れることなく足を運んで行った。


 カルキは彼から目を離さなかった。彼は、比較的線が細い青年達のグループに加わると、剣を抜いて、早速試合を始めた。線が細い、とは言っても、相手は彼より歳が幾つか上。敵わないだろうとの予想に反して、彼は小柄な身体を活かして素早い剣さばきで相手を打ち倒してしまった。次の相手も、その次の相手も、それまた次の相手も。だが、その次の相手は身体が先ほどの青年達よりも一回り大きかった。少年の身体はすぐさま地面へと叩きつけられる。加えて、思い上がるな、などと暴言を吐かれて。それを聞いて、彼の瞳が紅蓮に燃え上がるのを、カルキは見た。彼は、立ち去ろうとするその男の足を引っ掛けて、転ばせてしまった。何をやっているんだ、とカルキは目を見開く。案の定、男はいきり立ち、周りの男達も次々と参戦して、少年をぼこぼこにする。子供相手に一対多数なんて、卑怯だ。考えている暇もなく、カルキは彼らの前に飛び出して、男達を背後から体当たりすることで倒した。真ん中で伏せる少年を助け起こし、そこから抜け出す。彼の手を引いて、宮殿内を駆け回るが、すぐに迷った。当たり前だ。途方に暮れたカルキの腕が、突然引っぱられた。手を引かれていた少年が、逆にカルキの腕を引いて駆け出す。宮殿の中を、まるで出口を知っている迷路を進むかのように、細い通路を抜け、庭の茂みの隙間を通って。廊下の隅の小さな隠し扉を押して、その中にカルキを押し込んだ彼は、自分も素早く身体を滑り込ませ、扉を閉めた。彼は鞘を外し、側にあった棚からタオルを引っ張り出してカルキに放る。自分も汗を拭いつつ、彼はジロリとカルキを見た。


「お前、誰だ。ここの子供じゃねえな」


 睨む彼の瞳は、冷めたく、ぶるりとカルキは震えた。恐れに因るものではない。何方かと言えば、歓喜に近しい感情だったのかもしれない。自分と似た奴を見つけた、と直感的にそう思った。レイも同じものを感じたようだ。


 それからというもの、会っては喧嘩、会っては剣の試合、を繰り返しながら、成長した。レイも、第2王子として育てられつつ、過度な期待と幼さに不釣り合いな重圧に苦しめられていた。レイも、カルキも、胸の内に孤独を抱えていた。だから、共鳴しあったのかもしれない。お互いを敵視しながらも、心の奥で親近感を抱いていたのは否めなかった。


 1年後、レイはダカにカルキを紹介した。ライバルには同じ土俵に立ってもらわなくては困る、と言った彼の言葉に、柄にもなく涙腺を緩ませたことを覚えている。不器用な優しさが心底嬉しかった。忘れはしまい。初めて友を知り、初めて贈られた言葉。

 そして、2人は共に大人になった。

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