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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第四章
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「おい……嘘だろ!?目を開けてくれよジェノヴァ!おい!」


 ミルガの腕の中で、ぐったりとするジェノヴァ。声をかけても揺すっても、彼女はその目を開けず、青白い顔は不安に揺れる心を煽る。掴んだ手は冷たくて。その手の冷たさが一気に心を冷やしていく。

 ヴェイドが呼んだ、医者や、看護師、薬草師がやって来て、レイ達は部屋から追い出された。部屋の前で呆然と立ち尽くす。


「……レイ」


 肩を掴まれる。


「レイ、お前……」


 今、人殺しの目をしてる、とカルキは言う。憤りと恐怖、瞋恚と困惑、焦燥と不安。感情が入り混じる。自分が今どんな表情をしているかは、見なくてもわかる気がする。でも、この感情をどうコントロールすればいいのかは、全くわからない。今までは、不安を押し殺して、いつでも冷静にいられるはずだったのに。


「なんで、あいつが……」


 俯いていたヴェイドが顔をあげた。嗚呼。俺も今、きっとこんな顔をしているのか。ヴェイドの目は完全に瞳孔が開ききり、飢えた獣の様な狂気的な色を含んでいる。猛々しく、荒れ狂う衝動を胸中に無理矢理抑え込み、今にも獲物の喉笛に喰らいつきそうな形相だ。


「仕掛けられたね」


 カルキが蛇のように、ゆるり、目を細めた。その紫色の目は毒を持ったトリカブトのようだ。


「でも、正直、毒が仕掛けられたのがレイじゃなくて良かった」

「……お前、何言ってんだ」


 ミルガの声が震えながら、喉の奥から掠れ出た。非難の眼差しが、カルキを鋭く貫く。それを、彼は真正面から受け止めた。彼には迷いも躊躇も、己の考えに疑いの余地があるという思いさえ、微塵もない。


「一国の王子がやられたら、こんなもので済まない。ミルガもわかってるでしょ」

「だからって、よかったは無いだろ。この状況でその方が気に食わねえ」

「別に俺は事実を言っただけ。ジェノヴァがやられたことは、……俺だって悔しい」

「事実ってなんだよ、ふざけんな」


 苛立った様子で睨むミルガと冷徹な眼差しをむけるカルキが、真っ向から向かい合う。


「やめろ」


 地を這うような低い声が、途端に彼らを縛った。2人が声に振り返れば、そこには静かに轟々と猛る紅い目が燃えている。紛れもなく、王子の瞳だ。否、只の王子よりも恐ろしく、凶悪的で、獰猛な、何か。


「炙り出せ」


 それは、命令だった。目的語を伴わないが、それを誰も尋ねない。それはただ、慟哭を思わせる言葉であった。



 緊急軍議が開かれた。敵国アルレミドへの警戒の強化、情報の詮索、友好国との協定の確認、そして戦闘の作戦。様々な準備が迅速且つ滞りなく、次々となされていった。流石は大陸随一の軍事力を誇る大国、ウルバヌスである。今回のジェノヴァへの攻撃は、明らかにアルレミドによる宣戦布告。遂に燻っていた、戦争への火種に火が灯ったと言えよう。


 その軍を取り仕切る、ジェノヴァの父であり、騎士団長のダカは、いつにも増して淡々と仕事をこなしていた。それは恐ろしいほどに。寝る間も惜しんで仕事に勤しみ、ユキに怒られている。致し方ないことだ。一人息子、いや、大事な一人娘が一時とは言えど危篤状態に陥ったのだ。彼女は未だ意識を取り戻さず、眠っている。日に日にストレスと不安が彼の身体を蝕んでいた。それでも彼は騎士団長であった。


「くそっ」


 忌々しくレイは吐き捨てた。今までにない程の、後悔と憎悪を持て余していた。どうしようもなくイラついて、彼はあてもなく部屋の中を彷徨う。今にも彼の頭を苛もうとするのは、復讐。彼も騎士団を率いるリーダーの一人であり、若くして幾多の死線を乗り越えてきた。職務中はそのことだけに集中していれば良いのだが、勤務が終わるとこの惨状だ。自身の未熟さに反吐が出る。ダンッと拳を叩きつけたタンスには穴が空いた。


「ざまあねえな……」


 立場をわきまえなければいけないのも、1人では何も出来ないことも、重々承知している。でも、理解と納得は別物だ。


 レイは、自室を飛び出した。冷静になりたかった。静寂が包み込む人気ない廊下を、彼は何かに急かされるように早足で歩く。何処へ向かっているのか、分からない。曖昧な線を引く影が、大理石の床に、柔い模様を描いていた。そこに、彼を遮る者の影が落ちた。


「カルキ」


 優しいようで冷たいその紫が、緩い曲線を形作っている。彼は、試合をしよう、と言う。返事を待たず、彼はくるりと背を向けて練習場へと足を向ける。仕方なしについて行く途中、医務室の前を横切った。少し開いたドアからは、明かりがもれている。誰かいるのだろうか、と通り過ぎる間際、レイはちらりと横目を隙間へと這わせた。そこには、見知った見習いコックの姿。いつもコック帽からはみ出す元気な癖っ毛の髪は、ぺしゃりと潰れている。彼の側には、真っ白なコック帽が落ちていた。必ず彼がクローゼットに仕舞うエプロンでさえ、床に乱雑に脱ぎ捨てられている。彼がこうべを垂らしながら、握るのは、彼女の手。願うかの如く、しっかりと、握られていた。

そこから視線を剥がし、レイはカルキを追う。真っ暗だった訓練場は、カルキが炎を灯したことで、煌々とした灯りに照らされた。それが、やけに場違いな明るさに思えて、眩しさに少し目を細めた。


「さ。試合、しようか」


 返事とばかりに、レイは腰の剣を抜いた。それに応じるようにして、カルキも細身の剣を抜く。なんの合図もなく、2人は同時に加速した。しかし、一向に剣の交わる音はしない。何故なら、お互いの剣さばき、思考が手に取るようにわかってしまうからだ。荒く吐かれる息の音と舞い散る粉塵の音、服の擦れる音だけが、支配する空間。暫くして苛烈の如く襲ったレイの剣がカルキのそれに受け止められ、そこからは怒涛の試合が繰り広げられる。


終わりの見えない剣の撃ち合いが暫し続いたかと思えば、レイが己の剣を投げ捨てた。剣の鞘も腰から抜き取り、荒々しく地面に投げる。対峙するカルキも、鞘に剣を収め、それを放った。素手での取っ組み合いだ。バシンッ、との大きな音と共に、この時初めて最も激しく互いの殺気がぶつかり、弾け飛んだ。2人は引っ張り合い、突き飛ばし合い、殴り合う。白い制服が乱れ、汚れる。身体同士が激しくぶつかり合うが、力が拮抗し、互いの服を掴みあったままゴロゴロと床を転がった。

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