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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第三章
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舞踏会

 最早逃げ出すことはないだろう、とレイはガードを緩めた。


「俺等、七刃全員、この事を知ったぞ」


 さぁどうする、と彼の瞳が問うている。ダカが、穏やかでない心を落ち着け、目の前の彼を正眼に捉えれば、 ぐわり、と空気が揺れた。


「何故」


 レイが尋ねる。発せられた2文字は、様々な意味を持って落とされた。全てを曝け出せ、彼はそう言っている。ダカは諦めた様にゆっくりと口を開き、話した。7年前のあの出会いのことを。言いづらそうに語り出されたそれは、時間が経つにつれ滑らかになって、最後は饒舌なまでに。自分の娘の話だ。表情がくるくると変わるのを少し微笑ましく聞いていたのは結局僅かな間。彼の口から発せられた信じられない言葉に、レイの思考は一時的に停止して彼の顔をまじまじと見返した。


「……ジェノヴァは、アルレミドで捕われていた?出生も分からないだと?」

「ああ。そうだ。以前のことについては俺もユキも詳しくは知らない。だが捕虜に聞いても、大体生贄だとか、呪われた一族だとか、その程度しか聞き出せなかった。それ以上のことは分からず終いさ」

「生贄……」


 レイは珍しくその瞳を揺らがせた。彼女の存在が、彼の中でガラガラと崩れていく様だった。突然とてつもない不安に襲われて、レイは怖くなった。


「あいつを騎士にさせたのは俺だ。でも、なりたいって、あいつが言い出したんだ」


 回顧するような表情をみせて、ダカは少し寂しそうに、足元に視線を落として笑う。


「仕事のある俺にくっついて、あいつが一度城を訪れた時があったんだがよ。レイを見て、突然騎士になるって言い出して」

「俺を?」


 今度はレイが怪訝な表情をみせた。


「そう」

「ユキと2人で何度説得したことか。それでも、あいつの決意は固くてな」


 これも運命かって、諦めたんだ、とダカはやっといつもの明るい笑顔を咲かせた。困り眉を面に残しての笑いだったが、晴れやかで、ただの笑みより映えていた。


「今回アルレミドの埃を叩き出すんだ。数年越しに、何か分かるかもな」

「戦、か。まあ雲行きは怪しそうだし、戦争は起こる可能性は十二分にあるな」

「奴もきっかけさえあれば話してくれるさ。じゃ、俺は行くぜー。ユキ様を怒らせちゃまずいまずい……」


 そう残して、駆け足で去って行くいつものダカの背中を、レイは静かに見送った。





「ヴェイド……」


 足音がよく響く廊下は、誰が来たのかを聴覚から彼に報せた。


「いつまで、逃げるつもりか」


 ミルガの行く手には、柱に背を預けて鋭い眼光を放つ彼。彼は、制服よりも装飾の多い衣装に身を包み、グレーがかった銀髪もワックスで半分程後ろに流されている。凄みの増した彼にミルガは言葉をぶつけた。


「し、仕方ないだろ!まだ混乱してんだ!」


 少し跳ねたミルクティー色の髪と緑の瞳を揺らしながら、荒々しく反論する。


「いい加減、事実を受け止めろ」


 それでも、グレーの目は非難するかの如く細められ、きつい視線を放っていた。大人気ないことはわかっていても、どうしても素直になれない心との葛藤。受け止めきれない自分への情けなさと処理しきれない気待ちを持て余した苛立ち。


「そんなこと言われても!無理なものは無理なんだ!今まで弟みたいな存在だった仲間がそうじゃないって!?どうすりゃいい!」


 叫ぶミルガにヴェイドはつかつかと数歩で詰め寄り、胸ぐらを掴み上げる。


「離せ」


 グレーの瞳が冷静すぎて、戸惑いに震えそうになった声を無理矢理押し出した。


「うるせぇ、お前は心まで未熟者か」

「んだと?」


 それに対抗してミルガもヴェイドの胸ぐらを掴む。激しい攻防を繰り返し、ヴェイドがミルガの背中を壁に押し付けた。


「俺は、ジェノヴァがジェノヴァであればそれでいい」


 ヴェイドの低い声が、真剣に言葉を紡ぐ。


「俺とあいつとの関係は、こんなことで崩れるほど、脆くはない」

「俺だってっ……」

「なら、何故逃げる必要がある」


 ヴェイドは右腕に力を込め、ミルガの身体を床へ投げ捨てた。彼の怒りが込められていた。


「今のお前に負ける気は、全くしねえな」


 起き上がろうとしたミルガを容赦なく殴って、ヴェイドはそう言う。力加減というものをしらないのか、とミルガは頬を押さえ、冷たい眼差しの彼を見上げた。


「どんな事情であろうと、あいつの偽りも真実も、俺は全部受け止める」


 彼は皺の寄った服を伸ばし、ミルガに背を向ける。


「仲間って、そういうもんじゃねえのか」


 舞踏会、全員参加だからな、と釘を刺して立ち去るヴェイドを、ミルガは悔しい思いで見送った。





 レイは、執事の運ぶスパークリングワインを、すれ違いざまに取った。すり寄ってくる女達を、艶やかな笑みを振りまいてすり抜ける。呼び止める伯爵や公爵の声に、軽い挨拶を返して立ち去った。メイドが置いた、テーブルの上に置かれたジンジャーエールを器用にすくい取る。


「隠れきれてませんよ、お嬢さん」


 彼の目指すは、カーテンの隙間から覗くブリリアントオレンジ。周りには目もくれず、人の間を縫って歩く。ベランダからの風に、緩くはためくカーテンに、レイはするりと身を滑り込ませた。すぐ近くには、あの白い肌。


「俺と1杯、いかがですか」


 そう言葉を添えて、背中から抱えるようにして泡の弾けるジンジャーエールを差し出せば。


「ば、馬鹿にしてるだろっ」


 顔を赤くして振り返り、慌てる、彼だった彼女。膝までぴったりと身体の線に沿って流れ、裾が広がった、マーメイドライン。オフショルダーが、華奢な首や肩を強調させ、綺麗な曲線美を描いている。ブリリアントオレンジの鮮明な色は、透き通るような肌や清流を思わせるブルーの瞳を、更に際立たせた。光を纏う潤いのある金髪はウィッグのお陰で隠れているが、ロングを編み込んでアップしている髪型は新鮮で、とても似合っている。


「ジンジャーエールかよ」


 俺の口にするワインをちらりと見て、そう言う彼女はふくれっ面をしながらもジンジャーエールを飲む。こくり、と上下する首筋は、かぶりつきたくなるほどに妖艶。レイは視線を無理矢理、景色の方に移し、自分もワインを喉に流し込んだ。

 彼が彼女だと分かって、今までの些細な違和感が全て辻褄が合った。甘い香りを嗅ぎつけたのも、レイの男としての嗅覚がちゃんと機能していただけなのだと、少々ほっとして胸を撫で下ろした。


「女の格好の時くらい、女っぽくしろ。リーカスにも散々言われてただろ?これから女の格好をする機会が増えてくるんだ、慣れておけよ」

「生まれてこのかた、男に紛れて生きてきたもんで、もう抜けないよ」

「今からでも覚えろ。今日はスカート捲ったりしてねえだろうな?剣も仕込むなよ」

「ごめん、めちゃめちゃ仕込んだ」


 そう笑うジェノヴァは、口紅で色づいた唇を妖艶に持ち上げ、太腿の辺りを指差す。


「左に棒とナイフ2本」


 それから、と今度は胸元を指した。


「此処にも、小さなナイフを数本仕込んだ」

「お前なぁ」


 はあ、と額に手をやるレイを見て、彼女は嬉しそうにしている。ちゃんと仕事をしていますよ、の顔なのだろうか、少々得意げにしている様にも見える。しかし、その表情はあどけなく、無垢で可愛らしい。

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