本当の君
ダァァンッと端の船から大きな破壊音がした。港の鳥は一斉に飛び立ち、通りにいた人々は悲鳴をあげて逃げるように沿岸から遠ざかって行く。
「始まったな」
ミルガは額に手を翳しそちらの方を見やる。彼は番目の船の甲板に居た。事が始まる前に騒がれると面倒だったので、数人の見張り役と外にいた船員はあえなく海に沈んで頂いた。
すらり、と鞘から中剣を抜く。その白刃は、海の輝きと太陽の光を浴びて、光る。
荒波を引き起こした爆風を受けて、船から大勢の船員が駆けつけて来た。
2、3番目の船には女達が囚われていないのは、既に確認済み。何処かの港にまた停泊でもして、そこで捕らえられていた女達を入れる予定だったのだろう。
これだけ派手に戦闘を始めれば、雑魚なりに戦力になろうと船から出てくるはずだ。そして、端の船に渡るには、この甲板を通らなければならない。そこを叩くのが、ミルガとヴェイドの役割だった。
船から姿を現した船員達は、甲板に1人立つ男を目にする。育ちの良さを納得させる、紳士な男。剣よりもワインが似合い、錆びついた船よりも煌びやかな舞台が似合う、そんな男だ。品の良い貴族顔。ミルクティー色の柔い髪。翠色の宝石のような瞳。
愛嬌のある顔付きに反してギラつく目が、やけに恐怖を彼らの心に植え付けた。白い制服のコートは無く、ズボンに袖を捲ったシャツ、という出で立ち。獰猛な気を纏わせ、彼は立ちはだかった。
「……翠眼の飛跳者、ミルガ・オーデム」
「かかって来いよ」
ミルガの綺麗な指先が、くい、と折り曲げられた。その時、ザシュッ、と鮮血舞う様子が彼の目の端に映った。
「わり、お前の準備、長すぎて切っちまった」
「ヴェイド!」
隣の船の甲板に立つ男は、ヴェイド・ウォーカー。ミルガ同様コートは脱ぎ捨て、既に剣に血を吸わせている。
彼の鋭いアッシュグレーの瞳が猛々しく光り、その鋭さを含む相貌は妖しくも美しい。銀の髪が風に揺れた。
いつも通りの仏頂面が、頰に返り血を浴びて迫力を増している。
「おい!抜け駆けは狡いぞ!」
「……うるせぇ」
船員達をそのままに、ミルガとヴェイドは離れた船の甲板上で言い合う。
「ヴェイド!どっちが多く片付けられるか、勝負だ!」
「その勝負、受けてやるよ」
ミルガとヴェイドの、震撼する程殺気立つ視線を受けて、ひっ、と船員達は思わず喉をひゅっ、と鳴らした。そして2人は同時に床を蹴る。
「うあ゛ぁぁぁっ!」
赤く染まりつつある空に、絶叫があがった。
カツンカツン、と足音を鳴らせて廊下を歩くのは、王子レイ。鳴り響く轟音や絶叫をまるでバックグラウンドミュージックのようにして、優雅に歩く。王者の風格の権化とも言えるその気高い佇まいは、膝を屈してしまいそうになる。
白いシャツのボタンをひとつ、外した。ここが戦場と化した船の中だと思えない程の落ち着きよう。
1人の船員が彼の背後から迫った。
彼は表情を変えず、攻撃を半身ずらして避け、振り向き様に拳を胸に叩き込み、粉塵をあげて壁に埋まった船員を残してその場を去る。
雑魚に興味はない。彼の目指す先は、船長室。
端の船は2、3番目の船に比べて、明らかに戦闘慣れした人員が配置されている。人身売買に関わる重要人物もこの船の中。当然、用心棒も多く雇われている。
彼は無意識にニヤリと笑った。今度は、前方からナイフを持った男が走ってくる。残念ながら、剣を抜くまでもない。
左脚を半歩引き、身を捩ると同時に手刀を男のナイフを握る手首に落とし、ナイフを手放させる。
背中に足蹴りを一発食らわすと、その威力に耐えきれず廊下の窓ガラスを破って勢い良く外へと落下していった。ドボン!と水面を叩く音が響く中、また彼は何事もなかったかのように、歩きだす。
船の中核、船長室。船長室と操縦室は連結している。そこに、奴らはいる。
「止まれ」
目的の部屋はすぐそこ、となった時。背は低いが筋骨隆々とした男が、扉を塞ぐように立った。滾らせる闘志は本物だ。なかなかの腕前をお持ちの方のようだ。
「レイ・フューアンブルー・シュリアス第二王子だな」
怪訝に眉を顰めるレイの様子を、イエスと受け取ったのか、彼は顎を突き上げるようにしてシニカルに笑う。
「国の犬め。お前をここで片付けさせてもらう」
彼はそう言い放つと、腰を低くし、拳を握り、構えた。じわり、と殺気が漂う。体術の遣い手である。
レイは目を細め、彼を観察した。ジェノヴァとほぼ同じ体型、いや、上背は目の前の彼の方が少し高い。一筋縄ではいかないようだ。
レイは、ゆっくり、革の手袋を外す。
「覚悟っ」
彼は、身体をぶつけるようにして瞬時に加速した。
速い、が。あいつより、遅い。
彼の繰り出す拳を次々と止め、払う。狭い廊下に、パンパンッと身体同士ぶつかる音が響く。
拳を身体を回転させるようにして避け、突き出された腕を下から力尽くで掴み、払う要領で壁にぶつける。レイの腕は筋肉で盛り上がり、血管が浮き出る。その腕力は言わずもがな、怪力である。
バランスを崩した男の背中を蹴るが、彼は上手く左手を壁について足を振り上げた。顔を狙うように迫った足を蹴り払い、肘を脇腹に食い込ませる。
男は顔を歪め、途端に飛び退った。額から汗が流れる。それを拭う余地も与えず、タッと床を蹴ったレイは間合いを縮め、殴る。
彼は顔を逸らしてそれを避けたものの、ほぼ同時に繰り出された足をその肩に掠らせ、小さく骨の砕ける音を響かせた。レイは内心ほくそ笑む。
突き出した左足はそのまま半歩前へ。ステップを踏むように右足を素早く、かつ容赦無く彼の足の上に落とす。今度はバキリ、とはっきりと音が鳴る。
続け様に腕を捻り上げ、肩を外す。彼の足を踏みつけたまま、右足を軸にして左足を肋骨横に叩き込んだ。
彼は顔から壁に激突。トドメに壁から彼を引き抜く方向に彼の腹に拳をぶち込むと、その身体はその弾みで向かいの扉を破り、床に投げ出され、のびた。
レイは軽く息を整えた。流石に用心棒、しかも体術遣い相手は疲れる。
「だ、誰だっ⁉︎」
レイは、パラパラと木の破片と落とし、ドアの痕跡を残す、枠をくぐる。中に入れば、大きな舵を中心とした楕円形に近い形の部屋。
操縦室だ。大型船なだけあって広い。そして、用心棒らしき男達が6人。彼らの後ろには、船長室の扉があった。
「お前らと遊んでいる時間はないんだ。さっさと終わらせてもらう」
レイが手をクイッと曲げ、彼らを呼ぶ仕草をすれば、手前の2人が同時に飛びかかって来た。
彼らの拳と足を躱し、机に片足をかけて身体を持ち上げ、片方の顎を思い切り蹴り上げる。
その勢いのままもう1人の投げたナイフを顔をずらして避けてから、重心を落として殴った。そいつの拳が肩を掠めたが、支障はない。
身体が床へと落ちる直前に机に手をつき、後方から来た男を蹴り飛ばす。顎への一撃で脳震盪を起こしている奴の鳩尾上に着地。その時、しっかり踵から降りて、とどめをさしておく。
続けざまに、迫ってきた奴には、腹に1発。たいして効かなかったようなので、攻撃を躱しながら、腿に2発、弁慶に4発打ち込む。チリッと音を立てて、頰が切れた。
目前の男の心臓の辺りを強く殴ってから、顔だけ振り返れば、遠くからナイフを投げた奴がいる。再び、数本のナイフが襲ってくる。
バク転と、身体を捩ることで避け、たまたまひっ摑んだ地図で残りを巻き取るようにして身を捩り、躱した。数カ所服が破れたことはご愛嬌、だ。
退がったところにあった机の上で手を彷徨わせつつ、目の前の男に蹴りと踵落としをお見舞い。
その間に掴んだペンを相手の心臓に躊躇なく突き刺して、彼の肩を踏み台に、剣を抜きつつ奥のナイフを投げた奴に飛びかかる。返り血がレイの白服を汚した。




