本当の君
「狙えるか」
「当然」
レイとカルキは港に面した通りから、港街シータの港に停泊中の大きな貿易船の群れを、スコープ越しに観察していた。情報によると、端から4隻全てが対象の船だ。出港されると面倒なので、停泊中に全て片付けさせてもらう。カルキはスコープ越しに、端の船の見張りに狙いを定め、小さく細いナイフを放った。ナイフは直線を描き、見張りの首元に吸い込まれて行く。スコープから、見張りの姿が突然フレームアウトした。
「よし、ジェノヴァ行け」
「はい」
ジェノヴァとカルキが船の奥に消え、レイは見張りを引きずって通りに積まれた貨物と壁の狭間に身を隠す。動かないその身体から、ナイフを引き抜き、丁寧に毒を拭ってから仕舞った。視線を船の方へと戻す。再び、スコープから船を覗いた。紅の瞳が、隈なく船の周りをチェックする。すると、端の船へと戻っていく男が2人。
「誰だ、ありゃ」
頭の中にインプットした船員の顔と照らし合わせ、黒だと判断した途端、彼は腰をあげた。足早に2人に近づき、肩をぽんぽん、と叩く。あ?と訝しげに振り返った人相の悪い男達に、彼は爽やかに笑いかけた。
「やあ。お兄さん方、少々邪魔です」
即座に右の男に強烈なアッパーを、左の男にフックを叩き込み、声をあげられる前に一瞬で気絶させる。2人の身体から、一気に力が抜けた。音を立てられては困るので、レイは崩れ落ちる寸前に男達を抱え上げると、再び物陰へ。後ろに二人を放り投げた。そして、何事もなかったかのように、監視を続ける。スコープを覗き込みながら、レイは黒い笑みを零す。赤い舌が、チラリと蛇のように舌舐めずりをした。
「配置完了」
一方、ジェノヴァとカルキは駆け足で船内を進む。大きな船だけあって、長い廊下に沿って部屋が幾つも並んでいた。雑魚はどうでもいいとして。今は、主要な者は会議中または陸にいるので、狙い時。今、船内に入ろうとした者は、外でレイ達が片付けるだろう。廊下を突っ切り、突き当たりで右に曲がる。次の突き当たりは左。奥から2番目の右手のドアを開ければ。
「ビンゴ」
下の階へと続く階段が現れた。2人は目を合わせ、ニヤリと口角をあげる。体重をかけると軋む階段を早足で下り、奥へと続く廊下を行く。先程とは違って、すぐに突き当たり。この部屋がよっぽど大部屋なのだろう。部屋番号は1325。カルキが、斜め後ろに立つジェノヴァを見る。楽しみで仕方ない、と言った予想通りの表情に、カルキは声を出さずに忍び笑った。
「ジェノヴァ、いくよ」
「ああ」
ジェノヴァはムーンから貰った金のペンダントを首にかける。カルキはその留め具をしっかりと首に巻きつくように固定してから、ジェノヴァを後ろ手に縛り上げる。足も同様に、身動きの取れないように縄をかけた。ポケットから取り出した、合鍵で鍵を開ける。合鍵は、ミルガが予めくすねた鍵を複製しておいたものだ。そしてカルキは徐に乱暴にドアを開け放ち、ジェノヴァの腕を掴んで引っ張り、よろめいた彼の背中を蹴った。小さな悲鳴をあげつつ、真っ暗な部屋の中にゴロゴロとジェノヴァは転がり込む。カルキは侮蔑の視線を投げつつ、冷笑した。作り物とは思えぬ笑いだ。ジェノヴァは彼の演技に内心恐々としながら床に伏したまま見上げる。
「残念だったな、お前も地獄行きだ」
そう残してカルキは部屋のドアを閉めた。鍵を閉めてから、先程とは違ってゆっくりとした歩調で上の階へと戻る。船員の服を着ているので、船内を歩いていても不自然ではない。階段を登りきったところで、一人の船員に遭遇する。
「また新しい奴を仕入れたのか」
「ああ、大儲かりだな」
しかし男はすれ違いざまにカルキの顔を見て、一瞬にして恐怖を全身に走らせた。誰だ、と叫ぼうとした彼の口を抑えこまれ、膝が腹に食い込む。うっ、と倒れる彼の身動きを封じ、下の階の未使用の部屋に閉じ込めた。ついでに拝借した帽子を目深に被り、再び甲板を目指すのだった。
お前の冷笑は本気で怖いんだから、と内心文句をつけていたジェノヴァ。暗闇の中、彼に誰かが恐る恐る近づいた。
「貴方、大丈夫?」
カルキの足音が去って暫くして、1人の女が倒れ込んだままのジェノヴァに話しかけてきたのだ。奥の方に、大勢の人の気配がある。皆、ひっそりと身を寄せているようだ。転がったままの状態だったジェノヴァは、ゆっくりと上半身を起こした。
「気丈なお姉さんだね、君」
落ち着くどころかどこか楽しそうな声に、彼女は驚き、え、と声を洩らす。
「しっ、黙って」
暗闇の中、ジェノヴァは彼女を見つめた。夜目が利く為、顔はバッチリ見えている。凛とした目をしている。怯えをひた隠しにしているが、スカートの裾は握られてくしゃくしゃだ。きっと、我慢していたのだろう。この様子じゃ、他の女達を励ましていたのも彼女だ。この女なら任せられるな、とジェノヴァは頭の端で考え、彼女にぴたりと身体を寄せた。
「お前、名前は」
ジェノヴァの声に、戸惑いながらも短く答える。
「ローズ」
「ローズか。いいか、よく聞け」
ジェノヴァは身を寄せるように、彼女の耳元に口を近づけた。ローズはこくりと首を縦に振る。
「俺達はお前等を助けにきた」
びっくりして、ローズはジェノヴァから1度身を引き、彼を見た。真っ暗で、彼の顔は分からないが、じっと見つめる。突然の果報に、戸惑いを隠せない様子だ。
「これは、潜入する為だ。俺だって着たくて着ているわけじゃない」
「別に、貴方の格好に驚いた訳じゃないわ」
彼女はワンピース姿で仏頂面をする彼を見て、思わず吹き出す。ローズは深く息を吸い込んだ。ああ。笑ったのはいつぶりだろうか。3日前?1週間前?少し頰の表情筋が痛い。彼は恥ずかしそうに目を逸らして、話を戻すぞ、とぼそりと告げた。
「今はお前だけに話すが、俺の仲間が外で待機している。奥から壁をぶち壊して脱出だ」
か、壁をぶち壊す……?さらりと大胆なことを言う彼に、ローズは再び驚きに目を丸くした。
「他の女達を先導してやってくれ。お前に任せたい。できるか」
「はい」
やはり、彼の声は心なしか明るい。暗闇で声しかわからないけれど、とても安心できる涼しい声だ。この重々しく息苦しい空間に、風が通ったみたいな、爽やかさ。この人は何者なのだろう。
「いつ、貴方の仲間は来てくれるの」
期待に胸を膨らませて、問う。
「あと、24分57秒」
あまりにも正確な数字が返ってきて、また驚いているローズを見て、ジェノヴァはくすりと上品に笑う。
「数えてるからな」
「か、数えてるっ!?」
暗闇の中で、何より囚われの身として時計など持ってはおかしいことは、十分解るが。
「俺のカウントはピーターパンのチクタクワニより正確だぜ」
そうウィンクする彼に、また、彼女は笑った。
「フック船長を食おうとしてるのは、同じだがな」
なんて素敵でユニークなのかしら。緊張や不安を払拭しようとして言ってくれているのだろう、その言葉はローズにとって、冷たく暗いこの貨物室の中で、暖かい燈のようだった。しかし突然、彼の表情は鋭いものへと変わり、扉の方をじっと見る。
「な、なに?どうしたの」
「しっ、静かに。ローズ、後ろに退がれ」
足音がやって来た。皆、一様に怯え始める。ローズも顔を青くして、震える身体を叱咤して、後方に後ずさった。ローズ達の目の前、ドアを彼女の視界から消すように、ジェノヴァは静かに移動する。




