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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第三章
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過去

 距離をとって問いかけるが、彼女はダカの説得など耳に入っていないようで、此方の動きを読もうとするばかり。次々に繰り出される攻撃の狭間に垣間見えた彼女の瞳孔は、完全に開ききっている。


「だめだこりゃ」


 溜息をついて、駆けてきた彼女を躱し、峰打ちで気絶させた。崩れ落ちる少女をすんでのところで抱えあげる。ぬるりとした感触に掌をみれば、血が伝っていた。体を確認してみれば、至る所が傷だらけだ。足枷も頑丈な作りでずしりと重く、足首の痕は酷いものだ。


「おいおい、これであの動きかよ……」


 困ったように笑いながらダカは少女を抱え上げ、そしてまた馬を走らせて戦場を駆け抜けて行ったのだ。





「で、連れてきちまったわけよ」


 はは、と頭を掻きながら清々しく笑う彼に、そんなとこだろうとは思ったよ、とユキは呆れながらも笑い返した。こういう彼のお節介なところも、ユキは好きだ。


「昔っから後先考えず行動してたしね。大体私はそのとばっちりをくらうのさ」

「腐れ縁の性だろ」

「開きなおりやがって……。で、この子、どーすんの。聞く限りじゃ、なかなかのじゃじゃ馬だけど」


 ユキは頬杖をついて、目の前でココアを飲むダカを見やる。凛々しい目と強情そうな口元、それに反して綺麗な曲線を描く眉は年を取っても変わらない。昔よりシワは多少増えたし、肌は焼けて黒くなったが、この男の瞳はずっと真っ直ぐだ。彼は、ニカリと笑って答えた。


「普通に、俺達の子として育てる。この国でなら、できると思わないか」


 確かに、と頷く。ここは大国ウルバヌス。周辺の国、地域に比べてずば抜けて治安が良く、安泰で、懐も深い国だ。


「ボロボロな服装で、足枷をつけられていた様子だと、いわく付きかもしれんが、きっと大丈夫だろ。国随一の騎士と医者が面倒を見るんだ、怖いものなしだ」


 足枷の傷は動き過ぎて擦れてできたものだった。しかし、治ってはまた傷ができ、また治っては傷ができる、の繰り返しをしたのだろう、傷痕が深くなっていた。きっと昔からつけられていたに違いない。同じような痕が首や手首にもあった。悲しい事実だ。


「この子の素性も身の上も知らんが、きっと俺に似た良い騎士になるぞ」

「騎士にしちゃうの?私は普通の町娘としてお嫁さんになって欲しいなあ」

「嫁?娘はまだやらんぞ」

「気が早いって」


 そう語る彼はとても楽しそうで、嬉しそう。ユキも自然と溢れる笑顔を止める術は持ち合わせていなかった。しかし、本当に大変だったのは、彼女が目を覚ましてからであった。





 ガシャン!という物が壊れる大きな音と、重いものが倒れる音で、ユキは目を覚ました。眠い目を擦りつつ、居間に行ってみると。


「ユキ!こいつは予想以上のじゃじゃ馬娘だぞ!育てるのが大変だなっ!」


 机を挟んで対峙するダカと少女の姿。


「何やってんだい」


 居間の物が散乱しているが、暴れる患者をよく目の当たりにするからか、特に気にはしないが。


「目を覚ましたのか!そうか良かった!あの状態から回復出来るのはやっぱ若い証拠だ」


 うんうん、と唸り、暫し感動に浸っていたユキの思考は、ガラスの割れる音で一瞬で現実に引き戻された。


「お前ら、誰だ」


 彼女は小さな体を震わせるようにして唸った。全身に包帯が巻かれ、まだ血が滲むその身体全てを使い、威嚇している。猛々しい瞳が睨みつけてくる。野生の狼に睨まれたら、こんな感じだろうか。ユキは少しおののき、身を引いた。そんなユキをそっと守るように立ったダカが、一歩その距離を縮めた。


「来るな!」

「俺はダカ、あいつはユキ。大丈夫。お前に危害は加えない。ほら、手当てした傷が開いちまうぞ」


 ダカは朗らかな笑顔を浮かべて、テーブル越しに吠える彼女をなだめにかかる。彼女は、嘘だ!と声の限り叫ぶ。彼女の金髪が激しく揺れた。青い瞳は殺気立っている。


「そうやって騙すんだろ!知ってるぞ!」


 今にでも噛みつきそうな表情で彼女は威嚇した。路地裏に潜む野良犬のようだ、とふと感じた。恐怖故の威嚇、経験故の恐怖。何がそこまで彼女を獣にしたのだろうか。


「じゃあ、名前教えてくれよ。それくらいいいだろ」


 ダカは手を机から離して、前傾姿勢をやめ、彼女から全身が見える位置にゆっくりと移動すると、しゃがみこむ。優しい瞳が彼女の表情を伺った。


「……Bの11番」


 暫しの沈黙の後、彼女はそっぽを向いて少し口を開き、先程とは打って変わってか細い声を出した。


「それ、名前じゃねえぞ」


 ダカの返しに、彼女は顔を歪めた。


「Bの11番だ。こう呼ばれてる」


 睨みつける面差しには悲しさが混じっていた気がして、ユキは思ったことを口に出した。


「名前、ないのかい」


 彼女のハッとした表情に、確信する。今まで自分の名前さえ与えられない状況にいたのか。信じられない。子供をそんな無下に扱うなんて。だがこれで、人に懐かないのも、足枷をつけられていたのも、辻褄が合う。ユキはクッションやらブランケットが放ってある、居間に接した少し広いスペースを指差す。


「お前は、あそこを自由に使っていいよ。居間だって使っていいが、ここには私たちがよくいるからな。まだ入りづらいだろ」


 揃って訝しげにユキを見遣る、少女とダカの様子に少し笑えた。案外この2人、親子いけるんじゃないの。


「お前があそこで過ごせば、私たちがお前に危害を与える人物じゃないとわかるだろ」


 一呼吸置いて、ユキはまた思案するように、顎に手を当てた。


「名前も、つけなきゃな」





 名前はジェノヴァに決まった。


 彼女は今まで男の子として振る舞ってきたのか、男の子に混じって生きねばいけなかったからなのか、言動は荒っぽい。外の世界が初めてで、何をするにもおっかなびっくり。表情作りは苦手なままで、板についた無表情がなかなか拭えないけれど、時々見せてくれる笑顔が堪らなく可愛かった。身体を動かす事と唐揚げと白熊のぬいぐるみが好き。人参とピーマンは克服中。1日過ぎるごとに彼女の新たな側面が暴かれてゆくのは、とても嬉しかった。

 ジェノヴァが2人に完全に懐くまで、1年とちょっとかかった。しかし、1度懐いてからは早かった。ダカと一緒に剣の練習も始めた。ダカが戦で見た姿はやはり本当らしく、ずば抜けた攻撃力を持ち、接近戦に長けていた。足が速く、運動神経のよかった彼女は、基本を教え込む事で腕をメキメキと上げていった。ダカの指示の下、入団試験をパスし、トレジャーノンの騎士団に所属したのも確か、この頃だ。17歳きっかりだった。そして、今はもう、すっかり美人に育った。こうしてみると、自分もダカも、年をとったなとしみじみ思う。


「……ユキ、ユキ」

「う、ん」


 曖昧とした意識の中目を覚ますと、真上にジェノヴァの顔。上着を着ている。帰るようだ。身体を起こすと、ブランケットが滑り落ちた。こういうとこも、一丁前に紳士になったよな、とも思う。感慨深いものだ。今ではウルバヌス国民誰もが尊敬する、ジェノヴァ様、なのだから。軽く手を振り、宮殿へと帰っていく娘を見つめる。ユキの心は少し複雑で、もやがかかったようだった。

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