表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第三章
44/83

過去




「ユキ、もういいか。眠い」

「しょうがないなぁ」


 今日はジェノヴァが用事ついでに、一人で家に寄って来た。珍しいこともあるものだ。薬草屋の息子で、ユキの弟子であるイチも先程まで居たので、一緒に会話をしていたところだ。


「あれ、ピアスなんて、してたっけ」


 ユキはジェノヴァの耳に光る、クリスタルにそっと触れる。控えめな煌めきが美しく、透明感溢れた清楚な飾りはジェノヴァにとても良く似合った。


「……貰った」

「よかったね。似合ってるよ」

「うん。暫く仕舞い込んでたんだけど、付けてみた」


 ジェノヴァの恥ずかしそうな、嬉しそうな、でもやっぱり気恥ずかしげな横顔に、ユキは優しく笑う。大人っぽくなったものだ。ますます男っぽくもなったけど。初めてユキが見た彼女は、こんな表情を持ち合わせていなかった。もっと、飢えた獣の様な獰猛な気を纏い、瞳は血を求め、ただ己の命にはそこらの塵と同等かの様に無関心だった。

 ソファーに寝転がり、すぐに夢の世界へと旅立った彼女を穏やかな眼差しで見る。そう、あれは7年前のことだ。





 雷が鳴り響き、嵐の吹き荒れる夜だった。寒さも佳境で、窓の戸をとてもきつく閉めた日だったのを覚えている。


「ユキ、ユキ!」

「……ん?」


 眠気の残る目を擦りつつ時計を見れば、夜中の2時を回っていた。聞き覚えのある声が自分の名を呼び、戸を叩いている。


「……ダカ?」

「開けてくれ」


 開けた戸の隙間から、ユキの持ったランプが見知った顔を照らす。全身を泥だらけにし、額には汗を浮かべて、少し焦り気味な様子の彼を見て、直ぐさま戸を開け、彼を招き入れた。姿を現した彼はランプの光に照らされて、頭から雨にぐっしょり濡れていることが分かる。


「どうしたの?ずぶ濡れじゃないか。あれ、戦は?」

「今帰ってきた。俺より、この子に何か暖かいものを。俺だけ離脱させてもらって直接此処に来たんだ」


 よく見れば、ダカは腕に布にくるまれた何かをしっかりと抱えていた。ランプの光を近づけてよく見れば、ぐったりとしたその肢体は明らかに子供のもの。急いで取ってきたタオルで子供の体から滴る水を拭き、素早く衣服を脱がせる。ついでにダカの分のタオルも放ってやった。


「酷い怪我……。雨で体温も低い。まずいねこれ」


 ユキが医療道具を棚から取り出す横で、ガシガシと雑に体を拭いたダカが子供の背中を指差し、自分そっちのけで心配そうに傍についている。


「背中と太ももが特に酷い。治してやってくれ」

「助けられるかわからないけど、全力は尽くす」


 準備を整えたユキは、横たわる泥だらけの子供の身体を温かい布で拭ってゆく。泥を拭き取れば、無数の数が露わになり、二人は顔を顰める。そして、背中は袈裟懸けに切り裂かれ、太ももは幾つか太刀を浴びせられているだけでなく、矢の先端部分が深々と刺さっていた。衣服も血で変色するほどの出血量に、雨の中で体温が奪われ、顔は蒼白で呼吸も細くなっている。

 これは時間がかかりそうだ、とユキはぼやいた。





 カチャリ、とハサミを銀プレートの上に置く。


「処置は施したよ。後はこの子の体力次第。まだ安心できないから、数日はつきっきりじゃないと」

「助かる」


 柔らかい素材の服を着せてやり、暖かいベッドに彼女をそっと寝かせた。さっきまでは血や泥に塗れてわからなかったが、金髪に、随分と整った顔立ちが印象的な子だ。身体に残る無数の傷が似合わない。


「あんたも少し怪我してるね」


 ガーゼを持ちながら、ユキは血の滲むダカの身体を見つめた。擦り傷だ、と言って逃げようとする彼の腕を掴む。


「だめ、ちゃんとやらなきゃ」

「イテ。わかった、わかった。すまん」


 降参のポーズでダカは大人しく椅子に座る。この子どうしたの、とダカの傷に消毒液を吹きかけながらユキは静かに尋ねた。


「拾った」

「そう」


 先程からは信じられないほど、静かな時が流れる。外の嵐の音もそれほど気にならない。


「育てるの」

「ああ」

「そう」

「……俺、父親してもいいかな」


 間を空けて、揺れるような声音で彼がそう尋ねる。いつもの闊達な口調はなりを潜めて、低くて穏やかなトーンが耳に心地よかった。


「いいんじゃないの」


 一瞬言葉に詰まったが、しっかりと返してやった。


「じゃあ、お前が母親、やってくれないか」


 思わずピンセットで摘んだガーゼを床に落とした。目の前の彼を見返して、幼馴染みのその珍しく真剣な眼差しに、クスリと思わず笑みが溢れる。なんだか、ふわふわとした気持ちで、いいよ、と答えた。嬉しかった。とても幸せな瞬間だった。そして、2人に娘ができた瞬間でもあった。


「でも、何処で拾ったの」


 ユキの問いに眉を寄せ、ダカは静かに語り出した。


「今回の任務は隣国同士の争いの偵察と、両国が持つ、この国ウルバヌスの情報の抹殺だった……」


 彼は荒れ果てた街を進んでいた。至る所から火の手が上がり、煙が立ちのぼり、混乱が街を飲み込む地獄。未だ、逃げ惑う人や、誰かの悲鳴、助けを求める声が行き交う通り。ススに塗れた広場。崩れ落ちた家々。生き絶えた人々。戦は何も生まない。しかし、たくさんの国がある中、生き残るには今は戦はねばならない時代だと言うことも真実。自分の手のひらで救える命には限りがある。任務中にもどちらの国の民かは知らないが、幾人かは救えたが、幾人かは救えなかった。しかし、任務を終えた俺のやるべきことは今や、残すは脱出のみ。馬を走らせる。ふと、 隣の通りに目をやった。目に飛び込んできたのは、少女と兵士の男達。兵士らは今にも少女に斬りかかろうとしていた。ああ。あの子も、もう。そう思いつつ身体は素直で、間に合えっ、と馬を方向転換させ、向かおうとした時だった。肉の切れる嫌な音と、飛び散る鮮血。ばたりと糸が切れたように倒れこんだのは、兵士の方だった。


「ば、化け物!」


 次々に、兵士を薙ぎ倒すその姿は、まさに野獣。理性を失った狼のような、飢えにもがく狂犬のような、そんな刺々しい殺気を放ち、襲いかかる男達を次々に殺していった。何処からか放たれた矢が少女に刺さるが、痛がる素振りも見せず、太ももから柄だけへし折ると、それを地べたでもがく男の目に刺した。その一撃で事きれた男の懐から覗いていた小ぶりの剣を抜くと、ビュンと一振り。矢を放った男の心臓は貫かれていた。

 圧巻だった。圧巻としか言いようがなかった。己の傷さえ厭わず敵を倒す鬼神のような姿を、俺はその場から一歩も動かず見ていた。気づけば、そこは地獄絵図。月明かりの下、布切れのようなボロボロの服を纏った彼女だけが、男達の骸の山を築き上げて立ち尽くしていた。

 突如、ぐるりと首が回り、彼女はそのギラついた双眸を向けてきた。返り血に濡れ、瞳は恐ろしくも悲しい伽藍堂。地を蹴る音がした時にはもう、 間合いに入られていた。少し仰け反ればかわせない太刀では無かったが、その素早い動きと迷いのない剣さばきに驚きを隠せない。真横に薙ぎ払った彼女の刃が空を切った途端、反転し、迫ってきた。間一髪で避ける。

 彼女が持つのは、その辺に落ちていたであろう鋭利な石。よく見れば、両足首には壊れた足枷がついている。切れた鎖がジャラジャラとくっついていて、それを引きずりながらも減速することはない。


「おい、娘。俺はお前の味方だ。その石を下ろしてくれないか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ