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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第三章
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彼の世界




「いるか、ムーン」


 複雑な模様が刻まれた黒い扉を開ければ、悪趣味な部屋が地下へと続いている。蜘蛛の巣なんて当たり前。そこら中に、物という物が散乱している。ちなみに、ユキの家より汚い。積み上げられた本、怪しげな液体の入ったビーカー、異なる時間を指し示すたくさんの時計。何度訪れても、此処は薄気味悪くて仕方ない。


「おい」


 不機嫌なジェノヴァの声が、静かでじっとりと湿り気のある気味の悪い地下空間に響いた。何度も木霊しては、地下の暗がりに吸い込まれてゆく。


「……ひっひっひ、会いたかったぞ、ジェノヴァ」


 部屋の奥から、黒いマントを頭から被った背の高い男が出てきた。マントの奥で、奴の歪んだ目が光る。どーも、と適当な返事を返しながら、彼に冷たい視線を送った。ムーンの表情は見えないが、にやけた面をしていることぐらいは察せる。


「相変わらず、つれないねぇ」


 彼の長い爪を持った手が、手持ち無沙汰に、棚に置かれた時計の針をぐるぐると何周も回した。


「裏商売やってる奴に言われたくない」

「おや、その裏商売を使っているのは誰だい?」


 床に転がった骨を蹴飛ばしながら、そう言う奴に、ジェノヴァは言い返せず、黙した。


「ほら、対価だ」


 透明の瓶を取り出し、彼の前に放るように投げる。煤けたテーブルに転がった瓶を掠め見たかと思うと、すぐさま驚く程の勢いで瓶を引っ掴んだ。


「おー、これはいいねぇ。今回も綺麗に削げてるよ。やっぱり騎士様の剣の腕は素晴らしい」


 瓶には、稲穂のような艶やかな金髪と白い皮膚が入っている。勿論、ジェノヴァのものだ。瓶を嬉しそうに振る猫背気味の姿は明らかに不気味で、鳥肌ものだ。


「こんなもの、まだ売れるのか」


 鼻歌を歌い出すムーンの姿を見て、ジェノヴァはやや引き気味に零した。


「そりゃあそーだよ。これっぽっちでも結構高値がつくんだよぉ。迷信と現実の狭間だけど、それが逆にイイのさぁ」

「相変わらず気色悪い奴らだ」


 顔を瓶へと向けたまま、ムーンはそれを嘲笑う。


「それにしても、蒼眼の旋風者がこんなとこを使うなんて知れたら、全国民が泣くねぇ」

「ふん」


 彼の言葉に腕組みをしたジェノヴァは、鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「またそんな反応してぇ」


 ひひひ、と嗤う彼を無視して、これまた不気味な、髑髏がゴツゴツとついた椅子に腰掛け、瓶から取り出した髪の毛を眺めている彼に、どうだった、と尋ねた。


「ほい」


 彼は引き出しから取り出した何かを机に転がした。平たく丸みを帯びたそれはゆっくり旋回をして、ジェノヴァの元に辿り着いた。


「ペンダント?金……ではないようだな」


 ジェノヴァは安っぽい金色に覆われたペンダントを手に取った。傷がついたところに泥でも入ったのだろう、薄汚れている。ぞんざいに扱われていたようだ。


「そうさぁ。メッキしてあるけど、金に見せかけてるだけ。これは売買される女子供がつけさせられるものだよ」

「なぜお前が持っている」

「それは企業秘密だねぇ」


 目をすがめたジェノヴァに、ムーンはケケケ、と喉の奥を鳴らした。彼は節が目立つ長い指を、ペンダントに向けた。こんな汚い地下に住んでおきながら、破れも見受けられる黒いマントから覗くその長い爪はやたらと綺麗で、ミスマッチだ。


「そこに文字が彫ってあるだろぅ」


 目を細めてよく見ると、中央に羅列された小さな文字が見えた。ジェノヴァは眉を寄せる。


「……XXV-D351。なんだこれは」

「貨物に付けられる番号らしいねぇ」


 興味無さげに頬杖をつけながらそう言う彼に、ジェノヴァは、ああ、と得心がいったように頷いた。脳裏によぎったのは、リーカスから受け取っていた資料の一部分。彼によって推測された、事件の時間経過に違和感を感じていたのはこれか、と笑う。


「なるほど。港の方で輸出入の処理が早かったのはこのせいか。ついでにこの番号で管理していそうだな」

「そう考えるのが妥当だねぇ。あと、これ」


 そう言って彼が差し出したのは、ちょっと端が黄ばみ始めている紙切れ。汚い。ジェノヴァは親指と人差し指で摘むようにして受け取った。


「ここに集めた情報を書いといたよぉ。ペンダントも、どう使うかは君次第だねぇ」

「……助かる。じゃあな」

「紙は読んだら燃やしてねぇ」


 ジェノヴァは階段を登り、扉を開け、光のある世界へと戻っていく。でも、もう彼が光ある世界に完全に戻ることが出来ないことを、ムーンは知っている。白にも、黒にも染まりきれない、不安定な彼。その危うさにある人はなんて面白いのだろうか、とムーンはいやらしく嗤うのだ。

 しかしながら、彼は、ムーンにとってどんなゲームよりも、賭け事よりも、面白いことをしてくれる大切な玩具おもちゃ。言わば、余興といったところか。


「またいつでもおいでぇ。待ってるよ」


 これから起こるだろう展開に胸を弾ませながら、浮かれていることを悟られないようにひっそりと手を振る。それでも、彼は察したようで、刺々しい空気を纏った。眉根を寄せて突き放したような鋭い視線を残して彼は背を向け、ブーツで床を軋ませて、古ぼけた扉を閉める。彼の不気味な笑い声を背にして。



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