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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第三章
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帰還

 パァン!


 腕を鞭の様に振るい、平手で耳を殴った。男は微動だにせず直立のまま失神状態に陥る。これは、レイがやっているのを見て真似た技だ。彼は普通のビンタで失神させていたが、ジェノヴァも全身を捻って腕に勢いをつければ可能な技だと分かってから重宝している。彼の肩を少し抑えながら、手に持つ帳簿に目を通す。速読で暗記だ。時間はない。


「よし」


 ジェノヴァは脱兎の如く駆け出した。脱出あるのみだ。直立で失神した彼は次期目覚めるだろう。彼も何が起こったかわからない筈だ。拝借した上着等々は途中の藪の中で走りながら脱ぎ捨てる。草木に紛れ込むには不相応な色だ。あと少しで兵の警備が手薄になる範囲を抜けられる、と思った矢先。バッと身を翻してジェノヴァは背の低い石塀の影に隠れた。


「何故、奴がここに?」


 ハイディー卿とその秘書カシミアだ。そしてその隣にいるのは、アルレミド国の軍総司令官にして裏の最大権力者と謳われる男。


「ラガゼット……!」


 ハイディー達が裏取引に関与している事の証拠は掴めたが、何故こんな取引に国の権力者が関与してきているのか。兎に角まずい、彼とやりあうことになっては流石に生死の保証はない。今は帰還が最優先だ。しかも最悪なことにジェノヴァの顔を知っている奴らが側にいるなんて。


「見つからないうちに逃げなきゃ」


 ネロの策通り、ここまでは順調だ。このまま陸伝いにウルバヌスまで撤退すればいいだけの事。気配を消し、息を殺して彼らが過ぎ去るのを待つ。彼等の姿が見えなくなってから、逆の方向へ全速力で走り出した。


「くっそぅ。ふざけんなってんだ、予定が狂うじゃんか」


 フードを深く被り、首に巻いた布を目の下まで引っ張り上げる。土に手をつき、土を適度に服に塗りたくった。そして短剣を一本抜き、服の数箇所を削ぐ様に傷つける。


「は?」


 見間違えだろうか。今、奥の通りに。


「貴様、こんな夜中に何をしている!」

「何者だ、止まれ!」

「おいおいおい……」


 さっきまでこっちには兵士は少なかった筈なのに。誰かが指示を出した?いやでも気付かれた素振りはなかった。服を奪った兵士が起きたのかもしれない。それにしてもこの指揮の速さ、ラガゼットが命じた可能性は大いにある。


「止まれ、命令だ!止まらなければどうなるか分かっているだろうな!」


 こうなればジェノヴァは腹を括るのが早い。自ら敵の集団に突撃した。伸ばされる手を次々に払い、顔や鳩尾を殴る。あの服を奪った男が起きて報告し、その場にいたラガゼットが指示を出したのなら頷ける。方向も合っている。ならば、窃盗だと思わせるのが一番だ。剣が振り下され、それを反転して避ける。腰を捻ることで生じた勢いをそのまま脚に乗せて、2人の兵の目玉を狙い、思い切り蹴り上げた。


「……った!」


 ぶす、と鈍い音を立てた自分の肩に視線を送ると、針の様な武器が刺さっていた。一瞬でそれを抜き取り、加速。四肢で絡み付いた男の心臓に、肩から血を噴き出しながら、突き刺した。その背中を取ろうと近寄る兵の脳を左拳の一撃で揺らす。泡を吹くその男の肋を蹴り、折る。手の平サイズの針が幾つも襲ってくる。アルレミド特有の武器なのか、これがなかなか弾きづらい。背中の短剣に伸ばした手を、ジェノヴァは止めた。ここの兵士すら剣ではなくこの針を持つ者が多い場面で、唯の窃盗犯が短剣など抜けない。手で針の横腹を叩き落とすが、弾ききれず何本か身体を貫いた。血飛沫が上がる。肌を生暖かいものが伝う。


「針なんかで俺が殺せると思ってんのかよ」


 迫る男二人の攻撃を避け、その頭同士をぶつける。もう一人の放った針を掴み、喉笛を掻っ切った。声もなく崩れ落ちる屍を蹴って弾みをつけ、身を翻す。自分の胸元から、金の入った袋を取り出し、血に濡れた針で紐と布を切り、落として、その場を去る。

 追うように撃ち込まれる針を弾きながら、その姿をくらませた。





 歯の狭間から呻き声がもれた。ジェノヴァは1人、誰もいない外廊下を歩いていた。痛みが疼く脇腹を庇うようにしながら、軽くびっこをひいて歩く。戦闘中は最早意識などない。自分の思うがまま、身体の反応するがままに戦うので、ほぼ覚えていない。興奮状態では痛みも感じない。サスケと勝負した時に手裏剣を食らった場所に、針が幾つか刺さっていて、傷口は開くどころか悪化した。不幸中の幸いと言うべきか、武器が針だったお陰で、1箇所1箇所のダメージは大層なことにはなっていない。しかし、レイやカルキに見つかったら面倒だ。ユキのところに連行でもされてみろ、また叱られるに決まっている。彼女の怒り顔を思い浮かべて、微笑を浮かべた。


 任務を終えたジェノヴァは、今日のところは早く部屋に戻ろうと早足で自室に向かっていた。もう夜も遅い。宮殿は静まり返り、物音はしない。廊下の明かりも既に消されている。建物を見れば、明かりが灯っている部屋もあるが、メイドや兵士の部屋だろう。足音を消して進んでいたジェノヴァは、気配を察知して足を止めた。

 近い。が、敵ではない。ここまで気配を消すことができるのは、俺の知る限り、ダカ、副団長、ヤヒト、カルキ、ヴェイド……。


「帰ったんだな」


 そして、レイ。

 暗闇に、紅い目が光った。静かに彼は言葉を落とす。妙な緊張感と重みを共にして。彼が怒っている時のサインだ。


「……ええ、はい、今」

「来い」


 そう命じて、背を向けゆっくり歩き出す。動かないジェノヴァに再び彼は命じた。ジェノヴァは彼の後を仕方なしについて行く。彼の服は何故か制服のままだ。暗闇に白い服がぼんやりと揺れる。仕事をしていたのだろうか。レイの自室に着いたかと思うと、彼はジェノヴァの腕を掴み、引っ張りこんだ。戸惑うジェノヴァは彼に押され、ベッドに準備もままならず放り出された。咄嗟に受け身をとる。


「うわっ、なに!?」


その上に、レイが乗るようにして胸倉を掴んできた。2人の間はほんの数センチ。ジェノヴァの服を掴む手は、強い。あまりに強く掴むものだから、腕には血管が浮き、その大きな拳の内側は白くなっている。


「馬鹿か」

「え」


 息と共に呟かれた彼の言葉は不明瞭。


「こんな血の匂い漂わせやがって。馬鹿かって、聞いてんだ」


 レイはジェノヴァを抵抗出来ないようにして、乱雑に服の端をめくる。露わになる、傷口。肩の破れた部分も、脚の引き裂かれた部分も、ジェノヴァの反論を聞かずに彼は無言でめくり上げ、その顔を歪めた。


「また、やったのか」

「だって、この時は戦いに無我夢中で……。ちょっとドジってさ。あ、ばれてはいないよ心配しないで」


 苦しそうに、痛そうに、顔を歪める彼を目にして、ジェノヴァの言葉は尻すぼみになってゆく。


「そんなことを心配をしてんじゃねえよ」


 レイは棚から救急箱を取り出し、慣れた手つきで消毒し始める。


「い、いってぇぇぇ!」

「応急処置だ。すぐ医務室に行け」


 痛い。本気で痛い。流したくないと思っても、生理現象として涙が流れてきた。歯を食い縛って、呻き声はどうにか殺す。頰を伝う涙がベッドを濡らした。その涙を目にしたレイの表情は。目のやり場に困って、視線を逸らせば、綺麗に整っている彼の机が目に入る。資料も、ペンも、本さえも、何も出ていない。

 嗚呼。

 なんて不器用な彼。

 レイ、貴方は、帰りを待っていてくれたのか。


「俺を困らせんなよ、馬鹿ジェノヴァ」


 唸るように零した言葉に反応して、そむけていた顔を彼に向ける。眉を寄せ、何かに耐えるような表情をしたレイが、霞んだ視界にしっかりと映っていた。




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