潜入
「こんにちはっ」
「……ジェノヴァ・イーゼル」
撃滅の七刃が1人、『蒼眼の旋風者』。
サスケは廊下の中央に立つ、彼を知っていた。いつの間にこれ程近くにに立っていたのか、それを考えるのは幾ばか怖い。光を反射する金色の髪。深海を思わせるブルーの瞳。剣を深く壁に突き刺せたとは到底思えない、小柄な体躯。そして、背中には2本の短剣が仕込まれていた。この城の兵士の服を纏まとった彼は、彫刻刀で刻んだように深い、不敵な笑みを浮かべた。
「何故、ここにいる」
仮にも王族に仕える従者が、こんな荒業を仕掛けてくるとは、やはり撃滅の七刃には常識というものが通じないらしい。
「なあ、あいつが邪魔なんだろ?サスケ」
彼はサスケの問いを無視して、続ける。
「聞いていたのか」
重心を落とし身構えるサスケに対し、ジェノヴァはナイフを更に数本、右手で弄んでいる。
「まあな。ついでにキッチンでこれと、パンとチーズを拝借させて貰って、演劇鑑賞の気分は味合わせてもらったよ」
なかなか美味かったぞ、と楽しげに笑う彼はもう一口だけチーズののったパンを頬張ると、手についたパン屑を払い、親指をそっと舐めた。
「この話、報告するわけか」
余裕な笑みを浮かべる彼に、サスケは苛立ちと不安に急き立てられた。
「そうだ、と答えたら」
碧眼が、歪んだ。それは正義とは真逆の笑い。
「抹殺するのみ」
長期戦と踏んだサスケはタンッと床を蹴って彼から距離を取ろうと試みた。しかし、瞬発力に長けた彼は、尚サスケの胸元に一直線に飛び込んでくる。その間、素早く懐からクナイを取り出す。指と指の間に挟んだクナイは計4本。この距離感では戦闘が避けられないと踏んだサスケは、それらを次々と繰り出しながら間合いを詰めだした。ジェノヴァも、投げつらられたクナイを、ナイフを放つことで弾ききって、こちらに向かって来る。キィンッ、とサスケのクナイとジェノヴァの短剣が交じり、高く音をたてた。身軽な2人だからこその対戦。蹴りは避けられ、突き出した刃は弾かれて、お互いに譲らない。特にサスケは己の主人の屋敷に忍び込まれたとあって、背水の陣。いつも以上の力が出てもおかしくなく、彼の一挙一動の鋭さにジェノヴァは舌を巻いた。
「お前と、勝負、してみたいと思ってたんだ。丁度良かった」
「奇遇だな。俺もだ」
ジェノヴァはサスケの足払いを跳んで避け、そのまま彼の膝を足代に、宙返りで後ろに飛び退る。迫っていたサスケの腹目掛けて横一文字に短剣を薙ぎはらった。払われることは想定済み。そこから彼のクナイに滑らせるようにして、腕に切り傷をつけた。ポタリ、と彼の腕を血が伝う。これが避けきれるか、とジェノヴァは内心、喜びに心躍らせる。感情が顔に出ていたようで、サスケが嫌なものでも見たかのように顔を顰めた。
「気色悪い奴だな」
「……なぁーに?俺のこと?」
首を斜めにしながら舌舐めずりしたジェノヴァを見て、サスケは一瞬恐怖心覚えた。大きなさざ波が己を呑み込もうと迫ってくる、そんな錯覚を起こす。タッ、と背後の壁を蹴るようにして、ジェノヴァは瞬く間に2人の距離をゼロにする。手の内でくるくる回転していた短剣が逆手持ちにされ、そのまま振り下ろされた。身を反転させてそれを避ければ、刃先はテーブルに食い込み、彼の短剣はギギギと歪な音を立てて、テーブルを横に裂いた。
息をつく間も無く、逆立ちの姿勢から彼の踵が襲ってきた。
腕をクロスさせてそれを受け、彼の腹を膝蹴りすれば、膝を手でグッと横にずらされ、彼は吹っ飛ぶことなく軽々と着地する。
流石、トレジャーノンの軍のエリートな訳で、繰り出す技はどれも一級品の攻撃。
ただ、サスケが最も驚いたのは、彼の目が純粋だったことだ。
生き生きした彼を取り巻く空気が、彼は戦いを求めていることを物語っている。
遊んでいる感覚なのだろうか。
戦いがヒートアップすればするほどに、彼は楽しそうなのだ。それが、サスケの心を惑わせる。感情を侵食してくるのは、恐怖か、慄きか、それとも愕然か。地面に手をつけ、低姿勢で構える彼の姿は、まさに獣。睨め付けてくる瞳も、獲物を狩る狼のようだ。開ききった瞳孔は、眼前の敵、サスケただ1人を捉えている。彼はその俊足でサスケの背後に回った。
速い。
咄嗟にクナイを出さなければ、心臓を一突きされていたかもしれない。死が、すぐ側にあることを感じて、顳顬に冷や汗が流れた。左からきたジェノヴァの拳を手で払い、反動を利用して肘を彼の肩にぶち込む。息はもらしても、声はもらさず、彼はサスケの肘を思い切り叩く様に押した。彼はその勢いのまま飛び退ろうとするが、それをさせまいとサスケは腕を掴む。腰のあたりにぶら下げていた袋から取り出した、手の平に隠れるほどの手裏剣を隠し持って、 クナイを突き出した。当然、クナイを難なく避ける彼。身体が傾いて、少しこちら側に近寄った。その服を引っ張って、彼の腹に手裏剣を隠し持った手を当てる。少し逸れはしたが、数滴の血が廊下に落ちた。脇腹に入ったようだ。しかし。
「うぐっ」
くぐもった声をあげたサスケは、受け身を取りつつもごろごろと廊下を転がった。何があったのか理解は追いつかず、痺れるような痛みに歪んだ顔をあげれば、ジェノヴァが無表情で見下ろしている。
「甘いな」
感情というものが欠落し、凍てついた表情に、思わず顔から血の気が引いた。
「勝敗を分けるのは最後誰が立っているかだ。脇腹に手裏剣一つくらい、食い込ませてやるよ」
わざと攻撃を食らったのか、と今更ジェノヴァの動きの意味を察した。
とんでもない奴だ。
俊敏なスピードに乗せた卓越した技に、無駄のない動き、咄嗟の攻撃を組み立てる頭脳。そして、勝利のためなら己の血が流れることさえ厭わない、身を削るような戦い方。その尋常ならざる戦いへの執着心、否、非人間的なまでの戦い方に、サスケは思わず身震いした。彼は靴の底で、床に放り出されたサスケの胸を上から押さえつけた。軽い力で押さえられているだけなのに、身動きが全く取れず、四肢には力が入らない。心臓の拍動がやけに大きく聞こえ、全身の毛穴から汗がどっと吹き出したかのように感じた。見下ろしてくる彼は、本気で自分の命を奪とろうとしているのだと感じた。
「貴様、諸侯の従者だろ?何故王子の従者を抹殺できると思った」
落ちた瞬間パリンと音を立てて割れそうな冷ややかな声と、鋭利な言葉。それがサスケには終わりの報せ。生に縋すがる気持ちを無理矢理押さえ込み、次に来る痛みを受け入れようとして固く目を瞑った。
「え」
あっさりと、彼はサスケの身体から離れていった。何故、と目を見開き唖然とするサスケをちらりと見遣って、ジェノヴァは余裕綽々とした口ぶり。




