ミカンの出会い(第二章おまけエピソード)
「そう。この店にたまたま入ったのは、うん。成り行きだ、成り行き」
そう適当を言う彼は、嬉々としてケーキ選びを始める。今までの印象とはかけ離れた彼の姿に、どぎまぎした。正直、今までの彼のイメージは、だいぶ悪い。無表情で無愛想な偉いお騎士様という先入観、どこか冷たい面差しから、勝手に決めつけていたミカンは、心の内で猛反省をした。
街の人々にいつも囲まれて、通りを凱旋するときも歓声を浴びて。若くして国のエリートの街を駆け上がり。王やその息子と生活を共にする。自分とはほど遠くて、一生交わることのない運命だと理解してるからこそ、興味が湧かなかった。でも、もう違う。今目の前にいる悪戯少年な彼は、こんなにも魅力的だ。ジェノヴァはみかんを振り返ると、ん?と眉を寄せて首を少し傾げてみせた。
「早くお前も選べ」
そう言って、直ぐに彼の視線は再びケーキ達に釘付け。
「え、私も?」
「奢ってやる」
「いいんですか」
「勿論だ」
俺はこれ、と意外にもショートケーキを選ぶ彼。これまた意外だ。お前は?と促されて、モンブランをチョイス。美味しそうだ。
死角になるからと、2人で奥の方の席った。ケーキと飲み物を運んでくれた店員さんは、ジェノヴァの顔を見て、頰を染めて帰っていく。テーブルを挟み、足を組んで紅茶を飲む彼を眺めた。まるで現実のことじゃないようで、夢でも見ているんじゃないか、と疑ってしまうほどだ。ミカンはお礼を言い、モンブランを一口食べた。品の良い栗の味が、ふわりと広がって。美味しい。ミカンは思わず顔を綻ばせた。向かいの彼も同じようにケーキを頬張って顔を綻ばせていることにも、思わず笑みが溢れてしまう。
「名前は」
え、と顔をあげた彼女に、彼は再度同じことを聞いた。涼しくて、清らかで、爽やか。耳に心地よい声だ。ナプキンで口許を軽く拭い、姿勢を正して、ミカンです、とはっきり聞こえるように言った。手元を止めて、彼もミカンを見ている。
「ミカンって、果物のみかん?」
「はい」
「可愛らしい名前だな」
ショートケーキを口に運びながら彼は微笑んだ。頰に熱が集まるのを感じて、ミカンはちょっとだけ、顔を手で扇ぐ。
「ジェノヴァ様はよくお忍び外出されるんですか」
そう問えば、彼は紅茶から顔をあげて、暫し考える仕草をする。そんな姿でさえ様になるのだから、卑怯だ。
「そんなに、かな。今日は非番だが、毎日仕事も訓練もあるし。でも、やっぱり抜け出してやりたくなる。甘いものは好物なんだ」
できることなら毎日ケーキを食べに外に来たいよ、と白い歯を見せている。また彼の知らない一面を知ることができた気がして、ミカンの心はぽかぽかとするのであった。
それから、彼らのティーカップが空になるまで、2人は会話を楽しんだ。同い年だということが分かってからは、より会話が弾み、気付けば陽が傾いていた。楽しい時が流れるのは早い。
「もうこんな時間か。仕事に戻らないと」
店の中にまで、その暖かみを帯びた光が舞い込んでくる。空気の中できらきらとそのベールを静かに瞬かせ、まるで時間がスローモーションになったかのような錯覚がした。さあ帰ろうか、とテーブルに手をつきながらゆっくりと彼が立ち上がる。その仕草に名残惜しさが見えたように思えて。否、そう思っていて欲しくて、ミカンもゆっくりと帰り支度をした。もっと喋りたい、一緒にお茶をしていたい、という気持ちでいっぱいの彼女は、胸が名残惜しさでいっぱいだ。
「今日は楽しかった。突然付き合わせて悪かったな」
「いえ。こちらこそ、ご馳走様でした。とても、楽しかったです」
彼は結局、周囲を憚りながらも、ミカンを家まで送り届けてくれた。ぶっきらぼうに見えて、優しい彼。意地悪な笑みを浮かべていても、面白い彼。彼の新しい面をたくさん見れたことに、嬉しさを覚える。
「さよならっ」
立ち去る彼に手を振った。ポケットに手を突っ込んだまま振り返った彼は、もう、いつも見るような、表情を少しも動かさない彼。ミカンは、手を振り続けた。それでも構わないと思ったから。
「あっ」
彼は表情を和らげて笑って、それから、すぐにくるりと背を向けて去っていく。ミカンはくすぐったい気持ちでいっぱいになった。
「あれ、珍しい。今日はミカンも写真買うの」
今日は土曜日。街は賑わう。あの日以来、みかんは人混みの中に、時折白い影を探してしまうようになった。後遺症だ。彼はなんとも厄介な傷を残してくれたものだ。
「あーあ。写真でも素敵だけど、生のルイ様が見たいわぁ」
先週、突然現れた騎士様本人をこの目で見たい、と走り回った彼女達は、結局成果を得られず、反動で買った大量の写真と共に帰ってきた。ヴェイド様の服の裾は見えたのよ!と悔しがるも、凱旋を見る時よりも悲惨な結果だった。
「なになに、何の心境の変化よ?」
「ミカンもついに乙女になったのね!で、誰の買ったの」
友人達が、ミカンの持つ紙袋を覗き込んだ。彼女は、ふふっ、と笑みを零す。袋の中には、いつもの仏頂面をした、彼の写真が入っていた。




