忠臣
「ジェノヴァ、レヴォアの間に彼女をお連れしろ」
「む」
「ジェノヴァ」
「……はい」
「良い子だ」
レイの命令に、ジェノヴァは不満を露わにしながらも、渋々彼女を連れて部屋を離れた。
「レイ、いいのかよ、あんなの」
ジェノヴァ達が去った後、ミルガが語気を荒げ気味にレイに詰め寄った。ミルガの憤慨した様子に対し、彼は淡々としていた。
「要件に問題があるのか」
腕を組みながら、ヴェイドは低い声で問うた。それに答えるように、口角を上げたレイは1枚の洋紙を取り出す。
「リーカスが調べた」
その洋紙に連ねられた文字を素早く読み、カルキは納得した様に、なるほどね、零す。ミルガも、びっくりした様にそれを指した。
「これって」
「そう。俺等の出番だ」
首肯して、レイはその紅の目をにやり、と歪めた。
「ここでお待ちください」
大きな階段。随分宮殿の奥まったところに案内された彼女はぐるり、と周囲を見渡した。宮殿の雰囲気とは少し違って、無な空間が広がる。石膏で出来ているのだろうか、真っ白な壁、真っ白な床、真っ白な彫刻、真っ白な装飾。彼女がいる場所から、正面に向かって少し階段があり、更にその奥に椅子が1つ。教会の様な造りだ。
彼女を案内した金髪にブルーの瞳の彼は、少し下がって、端のほうで静かに立つ。こうして見ると、陶器の人形のようだ。特に、この教会にいる彼は、精巧に作られた彫刻のようにも思える。興味が湧いて、彼に話しかけた。
「ジェノヴァ様、先程は追いかけ回してしまい、大変申し訳ございませんでした。あの、レイ様はとても素敵な方ですね」
目だけ、じろり、とこちらに動かした彼は、ええ、とだけ答えた。出来るだけ関わりたくない、といった様相だ。しかし彼女はしつこく彼に話しかける。
「あんなに聡明で、凛々しくて、格好のいい王子様はいらっしゃらないわ」
「そうですね」
もはや見向きもしない彼の無愛想な返事に、彼女は少しだけむくれた。
「貴方はあの方のどこが好きで仕えていらっしゃるの。だって、従者は命に代えても主人を守るのでしょう」
そう問えば、彼はやっとこちらに顔を向けた。澄んだ蒼い瞳が、彼女を捉える。感情の消え失せた彼の表情に、彼女はぶるり、と無意識に身を震わせた。その様子を見て、少し彼は表情を和らげる。
「何故、と問いますか」
それでも声には抑揚がなく、冷たく響く。背筋に悪寒が走るような、そんな響き。しかも、彼が彼女を毛嫌いしていることが、ひしひしと伝わってくる、乱雑な口調だ。
「あの方は俺を助けて下さった。俺の手を掴んでくれた。希望をくれた。……だからですよ」
彼は、純然たる決意をその言葉に乗せて語る。瞳が強い力を秘める。
「俺はなんだってやれますよ。あの方の為なら」
そう言い放つ彼に、同じね、とユリアは口走った。不服そうな顔で彼がこちらを見ている事に気付き、慌てる。
「あ、ごめんなさい。でも、私と似ているなぁ、と思ってしまって」
瞬時に彼が暗い影を纏い、眉を寄せ、ゆっくりと赤い唇を開いた。
「どこが」
「その、命を捧げる覚悟、よくわかりますよ」
うんうん、頷く彼女を、嫌なものを見るかのように、彼は顔を更に顰めさせた。その様子を見て、彼女は笑う。
「貴方も、私と一緒よ。ジェノヴァ様」
そう彼女が言葉を発した直後、王女様がいらっしゃります、とカルキの声が響いた。2人は会話をやめ、深く低頭する。ユリアは地面にひれ伏し、ジェノヴァは腰を深く折る。
「貴女がユリア?」
綺麗な声が降り注いだ。清らかで、艶やかで。まるでハープの奏でる音のようだ。許可を得て顔をあげれば、秀麗な彼女が白いドレスに身を包んで座っていた。王女、ダイアナ。その美貌と清らかな心で、王オルガを虜にした、ダイアナ。レイの母親だ。レイの美しい唇の形や髪の色は、母親譲りなのだろうか。
「要件は何かしら」
彼女の声が凛と鈴のように鳴った。
「わたくし、ラウスピクス国、第三王女レミリア様の侍女、ユリアと申します」
彼女は低頭したまま、震える声で続ける。
「先の無礼をお赦しくださいませ。王女様のお広いお心遣いに心から感謝致します」
しかし、彼女の震えが、ピタリ、と止まった。黒い霧が彼女を取り巻くような錯覚が起き、ジェノヴァは目を鋭くすがめる。閉じていた足を、肩幅と同じ位に、ゆっくりと開いた。
「ところで、僭越ながら、ラウスピクス国の王女間の問題について、ご存知ではありませんか」
「王女間の問題?耳にしたことはありませんわ。なにしろ、最近国際情勢にはからきしなの。ごめんなさいね」
ダイアナは困ったように眉尻を下げて、ゆっくりと言葉を返す。
「王女様は最近お体の様子が優れないのだ。しかもこんな急に謁見を許してくれる心の広いお方はまたといない。感謝しろ」
「まあ。ジェノヴァは相変わらず私が大好きなのね。優しいこと」
嬉しそうに口許を手で隠して可愛らしく笑う王女を微笑ましく見る一方、ジェノヴァはもぞり、と流れた不吉な空気を察知した。やはり。
「そう、ですか。王女様は、そうおっしゃるのですね」
侍女の仮面が外れ、がらりと突然変わった彼女の雰囲気に、ジェノヴァは腰の剣に手を添える。青い目は鋭い剣を含み、姿を現した本性を前に、舌舐めずりをした。
「貴女様ですよね。わたくしの王女様、レミリア様を陥れたのは」
「え?」
ゆっくりのあげた彼女の顔は憎しみを浮かべ、ギラリとした眼をダイアナへと向けていた。その表情には、奥底の慟哭を押し殺しているようにも、怨讐に囚われているようにも窺える。
「ねえ貴女。何か勘違いをしていると思うの。わたくしは政治のことには口を挟まないわ」
宥なだめるダイアナの言葉に一切耳を貸さず、怒りを増幅させたユリアは、ゆらりと立ち上がる。
「へえ、王女様はそんな方だったのですね。見損ないました……」
まるで悪魔に取り憑かれたかのように、ゆらり、ゆらりと彼女の体躯は揺れる。
「貴女には私と一緒に死んでもらいますっ!」
そう怒鳴りつけたかと思うと、ユリアはダイアナに向かって一直線に駆け出した。そして忍ばせていたナイフを取り出し、振りかざしながら突進する。立ち上がったは良いものの、恐怖に顔を真っ青にさせ震えるダイアナの肩を、どこからともなく姿を現したカルキが、優しく掴んだ。ダイアナが血の気の引いた顔を上げると、そこにはいつも通りの柔らかい笑顔のカルキ。
「さぁ、ダイアナ王女。役割を引き受けていただき、誠に感謝致します。ここは彼に任せて、行きましょうか」
さあ、御手を。そう言って差し出すカルキの手を、彼女は握る。
「え、えぇ」
立ち上がり、カルキに手を引かれて、ダイアナは元来た通路を早足で歩いた。あの方は……、と心配そうに後方を何度も振り返る彼女に、カルキは優しく笑う。
「気にせずとも大丈夫ですよ、ダイアナ王女。貴女は心が広すぎます」
「でも、なんだか申し訳ないわ」
カルキが突然立ち止まり、ダイアナを振り返った。背の高い彼は彼女を見下ろし、その紫の優しい瞳を向けた。彼女は眉を寄せ、本当に申し訳なさそうに、その胸を傷めている。なんて純情な心なのだろうか。
「いえ、こちらこそ。こんな役回りを貴女様にやらせてしまうなんて、申し訳ない」
カルキは少し頭を下げて、彼女に謝った。それを見て、ダイアナは慌て、また申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「息子から説明は聞きましたから」
「とりあえず、お部屋に戻りましょう」
そう言ってカルキは背筋を伸ばし、再びダイアナの手を引く。
「ジェノヴァ達は……」
と尚も心配を口にする彼女の背をそっと押し、カルキは振り向かずに極めて明るいトーンで言った。
「ご安心下さい。私達が全て、解決致しますから」
カルキは眼を細めて、にこりとした笑顔を浮かべ、紳士的な仕草で手を引いて行った。




