噂
「傑作だな」
「うん、ほんとに」
剣を持てば国内指折りの騎士達が揃いも揃って、紅茶一杯淹れるのに形なしの情けない様子を、レイとカルキは楽しげに眺めていた。
「おい、ラベンダーの香りだぞ」
レイのよく通る声が隠しきれない笑いを含んで、さも愉快そうに指示を出している。ソファにその身を沈めた彼の長い脚は、肘掛の上に投げ出されており、腕はだらりと落ちている。ルビーの瞳は胡乱げに細められながらも、彼等のおかしい挙動を捉えていた。
「紅茶?茶葉だよね、どこ?」
「……ラ、ラベンダー?」
慌てているのライアとヴェイドを観察中である。2人は揃って、小さな棚の前で右往左往している。瓶を手にとっては棚に戻す、という動作を何度も繰り返しては、溢したなんだと、些細なことで慌てる始末。普段の堂々とした騎士としての働きっぷりからは、想像もできぬお粗末さだ。
「そこの紫の瓶だよ。うん、それ」
仕方なしにカルキが助け舟を出してもらい、ほっと一息吐いたのも束の間。
「オレンジピールのジャムが欲しい」
新たなる試練の出現に、再度2人は唸り始めるのであった。
「本日の王子様は人使いが荒いですね」
「この有り様を見て、揶揄わずにいられるか」
カルキはルイの耳元に、その緩い弧を描く口許を寄せて、こっそり話しかける。
「悪趣味ですよー?お給料の高い部下をこんなお粗末な使い方するなんて」
「お前もだろ。いや、普段のお前よりかは手緩いぞ」
カルキの方に顔を向けたレイの視線が混じり合えば、お互いが随分と悪戯な顔をしていることに気付いて吹き出した。
「だって、ワタワタしてる二人、可笑しいんだもん」
同意、とレイも首肯した。彼らの視線の先には、様々な物が陳列された棚の前で、未だ慌ただしく駆け回る二人の姿。
「ヴェイド、ジャムを睨まない。それ、レモンジャムだから。……それはあんずね」
「カルキ、あいつ等全然役立たんぞ。本当、こういうことにはからっきしなんだな」
耐えきれなくなったレイは、憚ることなく腹を抱えて笑いだす。一方カルキは、しょうがないよ、と最早哀れみの混ざった面持ちで、首を竦めている。
「向いてない予感しかしてなかったし。いつもやってくれるジェノヴァがいなくて、手が空いていたのがあの2人しかいなかったんだから。あぁ、ライア、それは棚の上」
「お前ら、こんな事で疲れて午後の訓練使い物にならんかったら叩きのめすぞ」
「うーん、ほぼ働いてないに等しいし。これでへばったら流石に容赦はしないよ?」
相変わらずのカルキの辛口にレイは苦笑する。ライアは何か悟りを開いたような表情をしているし、ヴェイドは時間が経つごとに機嫌が悪くなり、眉間の皺が深くなっている。
「もう今ジェノヴァは下準備だっけ?」
「ああ」
疲れが見える表情で尋ねるライアに、背表紙にもガタがきている本を、開いたページをそのままに丁寧に胸の上に乗せて、レイは返事した。
「嬉々とした表情で出て行ってたよ。これは、相手が心配だね」
カルキは朝見たジェノヴァを思い出して、喉を鳴らしてくつくつと笑う。
「いつもの如く無表情を取り繕っていたつもりなんだろうけど、あれは完全に悪戯っ子の目だった。ほんと、嬉しいの隠しきれてないの、いじらしすぎない?」
あいつらしいな、とレイも嬉しそうに破顔した。彼が相好を崩している様子が、手にとるように浮かんだ。あの戦馬鹿は、戦闘絡みの事になるととことん元気になる。
「でも、やっぱりこういう雑務も、ジェノヴァが一番向いてるよ」
カルキは部屋を駆け回る2人を冷めた目で見る。
「そうだな、とレイも同じような目を彼らに向けた。
俺がやったほうが早いのではないか、と内心思う。口に出さないのは、俺に辛うじて残っていた情けのお陰だ。
「今日君達には片付けなきゃいけない書類がたーくさんあるからね」
そういや、とカルキは続ける。
「なんでシータに行かせるの?俺的には意外なんだけど」
「あ、それは俺も思った。前例的に、先に調査する港街だったら、ケームかなって」
いつものキリッとした表情に復活したライアも、振り向きざまに口を挟んだ。レイの寝そべるソファの背もたれに、彼は瓶片手に上半身を乗せる。
「ケームは定期調査の情報だけで今は十分だ。掘っても掘ってもああいうのは湧いて出てくるからな。しかも、似たり寄ったりな話ばかり。それより、次に怪しい隣町の方を探れば何か掴めるかもしれない」
レイは片目を開けて、綺麗な青紫が浴びた光を弾くのを眺めた。まるで、ビロードのような滑らかな色彩。
「なるほど。確かに」
「俺の直感としても、あそこはやけにひっそりしていて気味が悪い」
察しのいいカルキはそう言って、考え込むように顎に手を当てた。
「人との接触なしにひっそり調べるには、やはりジェノヴァが適任だよね」
脱力した格好で気難しげに唸るレイに、カルキは優しい声でそう言った。
レイは、人の上に立つ為の先天的な素養を、ほぼ全て兼ね備えていると、カルキは思う。歳を考えると、確かに未熟な点もあるが、この歳にしてこの才は目を見張るものがある。しかし、ただ足りないのは、時折必要不可欠である、仲間に対する絶対的支配だ。彼は自身の仲間に、心から膝をつかせることを、心底嫌う。そこが、彼のいいところでもあるのだが、彼の立場を考えると心労が絶えないのではないかと、この従者達は心配しているのだ。
「ああ。あそこでは派手に動けない」
「表立って情報を集めるのはミルガの得意分野だけど、こういう裏調査は出来る人が限られるよね」
ミルガ、人の懐に入るの得意だもんな、も明るく破顔するライアに、カルキもうんうん、と頷く。
「このむさ苦しい巨体だらけの軍隊の中で、あの小柄で動きやすい体格の子なんて、そうそう出会えないもんねぇ」
「リーカスはなんて言ってる」
本棚に背中を預けて腕組みしていたヴェイドが、レイを見てボソッと問う。いつも通りのグレーの鋭い眼差しを盗み見て、カルキが目尻を緩めた。
「ヴェイドは心配性だねぇ」
「うるせぇ」
そのやり取りにくすくす笑いを零して、レイは形の良い唇を開いた。そして、ヴェイドの切れ長の瞳を真正面から見つめ返す。その瞳はひどくまっすぐで、且つ冷静だ。
「可能性は高いって言っている。裏調査が必要だとも、ね」
レイの答えを聞いて、ヴェイドは静かに、そうか、とだけ応えた。
「王子様? そろそろお時間が」
おちゃらけたように言うカルキに了解、と頷いて、コートを羽織る。革張りのソファがごわりと鳴って、レイの身体の形を少しずつ押し戻した。カーペットが彼の靴の音を吸い込む。
「これからルーディウスの城で挨拶がある。後をよろしく」
「わかった」
ヴェイドの険しい表情が少しだけ柔らかくなったのを見て、カルキと共に部屋を出る。
「ヴェイド、よっぽど心配なんだねー。ミルガもだいぶイライラしてたけど」
「あいつら、年が近い同士、メンバーの中でも仲良いしな」




