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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第二章
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「レイにお使い頼まれたんだって?」


 まあな、と返しつつ、ジェノヴァは2本の短剣を慣れた手つきで背中の鞘に戻した。刃物が鞘に収まる音が耳に心地いい。


「いいなぁ。俺は誘ってくれないのかよー。まだまだ動き足りてねぇんだよ」

「誰が誘うかバカ。俺だって久し振りの大仕事、楽しみにしてるんだ。俺の楽しみが減っちゃうだろ。一旦、ちょっと休憩しよう」


 訓練場を出てすぐにあるベンチにジェノヴァは座って汗を拭う。その横で、ミルガが水道から水を浴び始めた。彼の癖っ毛が水を弾く。その水滴は快晴の空を色とりどりの色彩を絡めて煌めいた。

 ジェノヴァはミルガをちらりと見上げた。もごもごと、なにかを紡ごうとして紡がなかった彼の形のいい唇が、再度閉じる。そんな様子に、なあ、とミルガに声をかけた。


「いつものおチャラけたキャラはどうした。調子でも悪いのか」

「え?何言ってんだよー」


 ミルガは軽い笑いをするが、誤魔化そうとしている雰囲気が余計に目立つ。


「何って、 明らかに様子がおかしいぞ」


 少しの間、沈黙が流れた。透明感のある彼の緑の瞳が、呆れ顔のジェノヴァをじっと見つめ返す。


「はーぁ。まじかよ、ナニソレ」


 何かがふつ、と切ったようにそう言って、彼はジェノヴァの隣にどっかと座り、空を仰いだ。見上げた空は、雲ひとつない、すっきりとした青空だ。彼の気持ちに反して風もなく、とても良い天気。舌に乗った言葉を、口腔内で転がしては、飲み込んでいた自分が恥ずかしい。


「……今回の、難しそうか?」


 うーん、と逡巡してから、国の状況次第だな、と水筒から水を飲んでジェノヴァは答えた。


「ま、お前のことだ。余裕だろ?」


 その言葉とは裏腹に、頭にかけたタオルから覗く緑の眼には優しさが灯っている。彼の瞳は綺麗だ。日光を反射して、明るく輝く宝石のよう。光の加減で、その翠はエメラルドグリーンにも、深緑にもなり得る美しい、翠。


「余裕だよ」


 と言うと彼は、愚問だったか、と童心に帰ったようにくすりと笑った。


「今回はどれくらい空ける?」

「もう少しの先の話だぞ」


 でも、とミルガは静かに言う。


「まぁ、そうだな……。一か月もかからないと、個人的に嬉しいな。早々に切り上げるつもりだ」


 正直、ジェノヴァは長期戦とは相性が悪い。渋々、と言ったように答えるジェノヴァに、シータか、と確認した。


「うん。アルレミドにも寄るけど」

「そうか」


 二人の間には、なんとも形容し難い微妙な沈黙が流れる。その空気から逃れるように、ジェノヴァはベンチから勢いよく立ち上がった。


「じゃ、もう一戦だけしよう。俺、もうそろそろ会議の準備しに行かなきゃだから」


 右肩にタオルを引っ掛け、訓練場の中に戻ってゆくその友人の線の細い背中を見つめ、ミルガはそっと溜息をついた。彼は今回の任務に就く危険性を、大したことだと考えていないらしい。彼は元より、無自覚に自分の命を軽視するきらいがある。心配だ。

 シータはウルバヌス国の港街。様々な国から来た船が停泊し、出航する。隣国の危険な国であるアルレミド国に長く滞在するよりかはまだましだが、それでも不安要素は残る。仕入れた情報によると、反乱の可能性が高い国と交流をもちつつある地域でもある。加えて、国民にはその騒動を出来るだけ悟られることなく、いかに穏便に内輪だけでこの件を片付けられるかが今回は大切だ。騒ぎや戦争の火種を抑えるだけでなく、人の命がかかっている為に慎重にならざるをえない。しかしこれは、協力体制が整っていない状況で戦わねばならない、ということでもあるのだ。

 彼は二度目の溜息をついた。


「ミルガじゃないか」


 柔らかい声に、ミルガの体が条件反射でビクリと震えた。白と銀の制服を着た男が、ジェノヴァを見送ったミルガの元に来た。茶色の髪をさらりと風になびかせ、いつも通りの優男感を全面に出す、柔和な笑顔を浮かべている。カルキだ。幼い頃から騎士団に所属し、今ではレイの右腕とも言える人物で、レイやリーカスと共に七刃の従者を纏める年長者。


「今の顔、すごく仏頂面だよ」


 ミルガの顔を覗き込んで、彼はその紫の瞳を細めた。薄っすらと笑っている。五月蝿いな、と彼は八つ当たり気味にカルキを邪険に払った。


「おっと、ご機嫌斜めだね?ヴェイドも同じく不機嫌だったけど」


 カルキはジェノヴァ のこと?と穏やかな調子で訊ねた。やはり、その面相は笑っている。そして、その視線を訓練場の中へと放った。


「ミルガは普段はキモいほどの図太い神経してるけど、こういう時は意外と繊細なんだよね。うん、わかってるよ」

「……キモい?」


 ミルガはその整った顔を、引きつらせて反芻はんすうした。わかっている、この男は毒を持つ花のような奴だ。甘い香りで引き寄せ、寄ってきたものに毒を与える、最も恐ろしいタイプである。カルキは見かけ通りの優しい紳士で、周りをよく見ていて、尊敬できる兄のような存在だ。しかし、最も精神的ダメージを与える人物であることも確かだ。


「そんなくよくよしないの」


 目を細めて、にこっと笑いながら言う台詞ではない。ミルガはそっと背中に冷や汗を流した。カルキは、その長い脚をゆったりと前に運び、両手を後ろに組んでミルガを覗き込む。


「ほんと、女々しいよ?」


 溜息を吐いて首を振る仕草は貴族のそれ。洗練されているが、ミルガはそれどころではない。


「……女々しい?」


 彼が笑顔で放った言葉に、ミルガは瞠目した。そんなミルガに、カルキは容赦無く畳み掛ける。こうなった彼は誰にも止められない。


「この先何回もあるんだから慣れなさい。いくら心配だからって、毎回そんなになってたらすーぐ老けるよ」


 息を吐くように毒を吐き続けるのだ。彼は。お願いだから誰かこの人を黙らせてくれ。


「ミルガは見た目はいいのに、ほんと残念なタイプだよね。モテないよ」

「……残、念」


 精神的ショックを強く与える為の言葉のチョイスなのだろうが、幾ら何でも容赦がない。


 くす、と笑う姿に、ミルガの表情は一気に凍りつく。カルキは細かい装飾の施された銀の懐中時計を確認して、声をもらした。そして、磨かれた黒革の靴の向きを変える。半身で振り返って、微笑んだままの紫の瞳がミルガを捉えた。


「じゃ、俺もう行かないと。元気出すんだよ。午後の稽古には復活しないと後が怖いからね」


 釘の刺し方さえ、恐ろしい。カルキは緩やかに手を振りつつ優雅に去っていき、その場には灰のようにになったミルガだけが、取り残されていた。


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