ミルガの帰国
ピリリと走るこの緊張感が、ジェノヴァは好きだ。睨み合う目も、この微かに漂うこの殺気さえも、心地よく感じてくる。こんなの時、決まって思うのだ、自分は闘う為に生まれてきたのではないかと。ぞくりと自分の中に湧き上がるなにか。その抑えがたい衝動が己を貫き、動かす。戦えば戦うほど、その存在は肥大化し、心をじわりじわりと侵食する。その誘惑に、思わず身を投じたくなってしまう。そうしたら、どうなるのだろう。
身体は、血が沸騰しているのではないかと錯覚するほどに、熱い。いつの間にか軽い準備運動だったはずが、本格的になってきていた。敢えて真っ直ぐに迫ると、ライアは少し後ろに飛ぶ。低姿勢で入って更に沈んみ、下から剣を横薙ぎに振るうが、流石。ライアは態勢を少し崩しつつもきっちり防いでくるので、そのまま回し蹴りをするが、鳩尾辺りに入った、と思った瞬間足首を掴まれた。
「くそっ」
この、怪力男!
もう反対の足を軸にして回り、拘束を解き、彼の腹を蹴って着地した。しかし彼の体躯は、蹴りが入ってもなおバランスを崩さず、揺るがない。
「おいおい、口が悪いなぁ」
右上から風を切って唸り声を上げる剣が降りてきた。弾みをつけて身体を捻り、反転して躱す。
「うるせー」
剣と剣が交わり大きな音が何度も鳴り響く。ジェノヴァはすぐさま受けた力を受け流すようにするが、鍛えられた腕力に加え、捻りや体重で勢いがついた、骨まで響いてくる彼の剣技には、脱帽だ。ライアの剣をまともに食らって、腕が無事なはずがない。飛び上がりながら体を捻り、空中で突くように剣を突き出す。受け止められた。ライアの大剣は、ジェノヴァの繰り出した刃先を、ちゃんと捉えている。チッ、と舌打ちを漏らしながら、彼の反撃の刃を避けるようにして着地。今度はライアが、舌打ちをしたそうな表情をした。
彼の大剣は彼ほどの腕力の持ち主であっても、振り回すとなると、多少なりとも動作が遅れるのがネックだ。これに対し、打ち込む、という点において大きくダメージを与えられないジェノヴァは、小回りが効く。着地のまま、勢いよくライアの足元滑り込んだが、大剣で器用に追撃てくる。足跡の後を追うように砂埃をあげながら、足元から抜け出して、少し距離を空けた。
しかし、二人の感覚が開いたのは一瞬。再度間隔はゼロになり、火花が散るような刃と刃の交わりが繰り返された。髪を濡らした汗が散った。ライアの剣がジェノヴァの脚を掠め、同時にジェノヴァの剣はライアの肩を軽く捕らえた。視線が混じり合えば、相手の瞳の奥に見える燃えあがる闘志に、笑う。
いいね、もっと来いよ。
ジェノヴァはブルーの目を妖しく細めた。ライアはにっこりと笑い、ジェノヴァはそれを鼻で笑う。
「次で決めてやる」
「はっ。こっちの台詞だっつーの」
そう言って小さく息を吸った。が。
「はいはーい、ストーップ!」
聞き慣れた声に邪魔された2人は、眉尻を釣り上げた。
「邪魔すんじゃねえ!」
静寂と緊張感をぶち壊して、割って入ってきたのが誰なのか確認もせず、突然の邪魔者にジェノヴァはその体躯に似合わない大声でそう叫びながら、その剣で斬撃を振るい続ける。彼は、眼前のライアしか目に入っていない。ライアもまた然り。無視を決め込んで、戦い続けている。
「無視しなーいで?」
少し垂れ気味の目を爛々とさせて、自身の剣を抜き払い、ジェノヴァとライア双方の剣を受け止めて、2人の間にミルクティー色の髪の男が立ち塞がった。
「ちょっ、ミルガ!」
ライアがこんなにも悲しそうな顔をしているのに、ミルガは悪びれる素振りもない。
「どけ」
ジェノヴァなど、随分怖い形相で獣の様にミルガの奥にいるライアに掴み掛かろうと、跳躍する。無言で突き出した拳は、ミルガによってお手本のように綺麗に受け流された。
「お前、ふざけるなよ。今いいとこなんだ」
ミルガに詰め寄るジェノヴァ頭を、なぜか一緒に怒っていたライアが、どうどう、と撫でる。
「こいつはそういう奴だ」
いいとこだったのに。あともうちょっとだったのに。
「だって、俺のいないとこで2人仲良く遊んでるんだもん。おわっ」
ミルガは器用に、もう片方の手で作られた拳を、少し顔をずらして避けた。そんな理由で止めたのかと、少し冷えてきていた頭にまた、熱が集まった。寝起きなどより、試合を止められる時の方がジェノヴァはよっぽど機嫌が悪くなる。
「ちょっ、ジェノヴァ、拳引っ込めて!」
手を振って制止を求めるミルガに、キモいんだよ、と棘だらけの視線と共に言い放つ。
「酷いっ。お兄ちゃん泣いちゃ……」
「兄貴じゃねーだろが、ふざけんな。髪だけじゃなくて脳内まで綿菓子野郎だな」
「そんな言葉どこで覚えたの!め!」
彼は不満気に頬を膨らます。
「憂さ晴らしにどっかで襲ってやる。俺の至高の試合を中断させた事、後悔させてやるからな」
いらつきを含んだ眼差しを送っても、全くめげないのがミルガという奴。
「え、襲ってくれ……どわっ」
ミルガの弾けるような笑顔は、一瞬でジェノヴァに変形させられた。一人落ち着いていたライアが、兵士達に訓練に戻るよう指示してから、口を開く。
「お前、アルレミド国の視察行ってたんじゃないのか?」
「あー。それがな、ちょっとな……」
いきなり歯切れの悪くなった彼を、ライアは首を傾げて見た。すっと真剣な表情に戻り、ちょっとした土産がある、と言う彼。三人は訓練場の端に寄った。
「その様子じゃ、いいもん引っ掛けてきたんじゃないのか」
短剣を弄びながら、横目でミルガを見上げる。やはり彼の表情は優れない。綺麗な孤を描く眉尻を下げ、長くて繊細な睫毛も伏せられている。
「あの国はやっぱり……」
そう言って、ライアも表情を曇らせた。
「いいじゃん」
笑いが咳のように肺から出てきたと同時に、ぞくりと身体の奥で何かが沸き立った。それは興奮という名の感情に近く、血液に混じり、身体の隅々にまで送られて行く。
「そんなの、排除一択だろ」
ミルガもライアも、そう断言するジェノヴァを見下ろした。
2人を静かに見つめ返す彼の瞳は、青に燃えていた。それは、蝋燭の外炎を思い起こさせるような、静かな猛り。猛々しく、雄々しく、凛々しく。触れれば火傷してしまいそうな程、燃えている。
ジェノヴァは、弧を描いていた形のいい唇をゆるりと開いた。
「腐った実も土に還してやれば養分になる。同じことだ」




