仮初のお姫様 (第一章おまけエピソード)
「実は、レイには恋人がいて、お前の入り込む隙間なんて1ミリもない、って現実を突きつける」
「なるほど。確かに、ああいう女はプライドをズタズタにされると立ち直れないタイプだな」
すぐさま相槌を打ったのは、レイ。既に彼の姿勢は少し前傾だ。計画にますます前向きになっている。
「そ。父親がいないタイミングで誘導するのは、容易いと思うし。なにより彼女から何事もなく見合いを取り下げてもらうのに、最も効果的だ」
明るい笑顔の彼を、隣から眉間に皺を寄せてジェノヴァが見やった。レイに続いて、リーカスさえも頷く。
「人に言えないどころか、一度へし折られたプライドは、暫く引きずりますからね。いや、中々効きそうな作戦ですね」
「でしょう。断られることが分かりきっている見合いに、彼女は決して臨まない人間だ」
「決定だ。奴は何時に城にくる」
嬉々として作戦を立て始める年長組の恐ろしい会話を聞いて、ジェノヴァは鳥肌を立てた。
「あ、レイが来ましたよ」
姿を現したレイは正装をしていた。大理石の階段を黒の革靴で鳴らして、ゆっくりと降りてくる。白で統一された制服を着こなし、いつもと違う髪型に、思わず頰を染めそうになって、ジェノヴァは慌てた。
落ち着け、俺は女じゃない、と必死に言い聞かせる。あれ、今は女じゃなきゃいけないのか。え、え、と混乱し始めたジェノヴァは、深く呼吸をして、もう一度心拍を整えた。
もう一度彼を見つめれば、普段慣れていたはずの、目尻の泣き黒子や、切れ長の目が、詳細なまでに目に飛び込んでくる。艶っぽい紅い瞳にクラリとして、焦る。こんなに成長しやがって、と186の長身の彼を見上げてまたドキリ。
「レ、レイってこんなでかかったっけ」
「生憎お前以外はみんなでかいぜ?ちびちゃん」
「そういやそっか。見慣れすぎてて忘れてた」
6人は皆180に乗っかる程度の高身長に加え、ライアが190越えである。毎日共に過ごしていると感覚がおかしくなるのは当たり前だ。だいたい、騎士団自体の平均が大きいのである。ジェノヴァも女として決して低くない身長とは言え、163と180では差は歴然としている。
「早く終わらせてぇな」
ネクタイを緩々と片手で調節するだけの仕草でさえ、今のジェノヴァにとっては毒だった。
やめてくれ、ここは地獄だ。
目のやり場に困って、ジェノヴァは仕方なしに下を向いた。
「こう見ると、2人ともお似合いだよ」
笑いながら面白半分で写真を撮るカルキとリーカスを、猛烈に殴りたい。挙句、レイも便乗して俺の写真を撮りまくっている。殴ってやりたい、と拳を握り、本気で思案するジェノヴァであった。
さて、とひとしきり思う存分楽しんで、スッキリとした表情のカルキが、カメラを仕舞い、立ち上がった。
「さて、じゃねえよ」
ぶつくさ文句を垂れるジェノヴァの肩を押しやり、レイと並ばせた。
「お二人共、作戦の準備はよろしいですか」
その問いかけに、レイは頷き、ジェノヴァはドレスを捲し上げた。
は?と目を見開く彼ら前で、ドレスの下から短剣を取り出し、真剣な表情で、いつでも刺し殺せるぞ、と自信満々なジェノヴァに3人は唖然とした。お姫様役として、為ってなさすぎる。
「ばか、お前っ」
珍しく焦燥で声を荒げたルーカスが、ばちん、丸めたお見合いの資料でジェノヴァの頭を叩いた。
「この短剣は俺が預かっておきます」
「えぇ」
短剣との突然の別れに悲しみに暮れるジェノヴァの腕を掴み、レイが強引に所定の位置である、中庭のベンチに連れて行く。
「諦めろ。置いてけ」
「俺の相棒……」
完璧に演じてくるんだよ、と念を押されたのも、ついさっきのこと。
ジェノヴァは観念した様子で引っ張られるがまま腕を引かれ、レイからは少し離れた位置に腰掛けた。また二人きりになると、いつもと違う格好の所為か、どぎまぎしてしまう。平静を保たなければ、そんな思いに反して、左隣に集中してしまう意識を、ジェノヴァはどうにかして逸らそうとしていた。
「それはなんだ」
レイがジェノヴァの被る、つばの長い帽子を指した。
「お姫様用の帽子。俺の顔知られてれたら元も子もないからって、カルキが」
ジェノヴァはつばを持って、更に深く被った。表情も隠れて好都合だし、と内心付け足す。
「俺、じゃないだろ。私って言えよ」
え、と顔をあげれば、予想以上に近い距離に、悪戯顔をしたレイ。一瞬心臓が飛び跳ねるとが、ほら、言ってみろよ、と再度促す彼に、カチンときた。
なんだこいつ。
「ふざけんな。格好だけなんだろ」
頼みを聞いてやってんのはこっちだぞ。
「完璧にやってこいって、カルキが言ってたじゃねえか」
目をすがめたジェノヴァは思わず、立場も忘れて、ちっ、と舌打ちをした。そして咄嗟に、城に訪れるお姫様やお妃様、街の色気のある姉さん達を思い出す。
しめた。すぐさま彼ははドレスの裾を揺らして脚をレイの脚に寄せる。そして、トン、と彼の胸に身体を預け、少しだけ腕を回した。
「ねぇ。……デートの相手は、私でしょ。夢中にさせてみせてよ」
「ちょ、お前」
してやったり。
珍しく言い淀む彼を見て、ジェノヴァの心は晴れてゆく。快晴だ。自分が優位に立てたことで、随分機嫌が良くなったジェノヴァを見て、レイの紅の瞳がきらりと光った。
その時、庭に出て来た見合い相手のサリーを目の端に確認して、2人はすぐさま押し黙る。
「このままじっとしていろ」
上から降るレイの声にこくり、とだけ頷く。レイは自分を探す様に中庭に足を踏み入れるサリーを見て、もっと近づいて来いよ、とひっそりと笑う。唇の端がめくれ、歯が覗く。
レイは自分の胸にぴたりと寄り添うジェノヴァを見下ろし、その腰にすっと腕を回した。予想以上に細い。腕の中の彼は、驚きにびくりと体を揺らす。白いうなじや、柔らかそうな頰が目に入り、俺もおかしくなったか、と首を傾げた。甘い芳香がした気がして、今日の俺は遂に嗅覚まで狂ったか、レイは苦笑してしまう。
そして、先程のジェノヴァの行為に対抗心を密かに燃やすのは、彼の中にある悪戯な幼さだ。彼の目が、サリーがこちらを見ている姿を捉えた。うつむくジェノヴァの顎を優しく掴んで、自分の方に向けさせる。
何、と戸惑いが、彼の瞳から見て取れた。ブルーの瞳孔は、揺れながら、しかしくっきりと、俺を映す。きっと俺は今、もの凄く悪い顔になってるな、と思いつつ。
「存分に楽しませて差し上げましょう。お嬢様」
耳元で囁いて、その淡く薄桃色に染まった頰に、唇をそっと寄せた。リップ音が小さく鳴って、微かに甘い香りが掠める。薔薇のように魅惑的で、桜のように柔らかい。咄嗟に身を引こうとするので、がっしりとその肩に腕を回す。小柄なジェノヴァは、軽い力でも容易に、すっぽり胸の中におさまった。顔を傾ける。ジェノヴァの帽子のお陰で、サリーの方からはキスをしている様にしか見えないだろう。暴れようとする彼を、腕力にものを言わせて閉じ込めた。
「まだだ」
二人の呼吸が混ざる。溶ける。消えてゆく。サリーが暫し立ち止まり、走り去っていく音を聞いてから、レイはゆっくりと彼を離した。
頰を染め、大きな瞳を潤ませる彼は、完全に女の子にしか見えない。もう一度キスを落としそうになって、危ねえ、と流石に胸中で苦笑した。
固まっていたジェノヴァは、はっ、と覚醒すると恥ずかしさにまた赤くなっていく。その様子をレイは、やっぱり林檎みたいだ、とぼんやり眺めた。
「う、」
彼が小さな声を発する。
「う?」
レイが彼女の言葉をおうむ返しして、顔を覗き込もうとした途端、ジェノヴァは弾かれた様に勢いよく立ち上がり。
「うわぁぁぁぁぁ!夕食にトマト出してやるぞコノヤロー!」
と、よくわからないことを叫びながら、一目散に走って行った。流石は旋風者。足が速いだけあって、履きなれないヒールを履いている癖に、その背中はあっという間に小さくなった。その背中を唖然と見送ったレイは、たまらず吹き出す。
「かわいい奴」
クスッと笑顔を零した。
「わ。これ、よく撮れました」
「え、どれどれ?ほんとだナイスショット」
2人の手元には彼らのキスもどきショット。
「これも高く売れそうですよ」
2人は、にしし、と擬音語をつけたくなる様な顔をして、それは愉快そうに笑う。もしかしたら、一番得をしたのはこの2人なのかもしれない。




