仮初のお姫様 (第一章おまけエピソード)
「見合い?」
「あー……。めんどくせえ」
リーカスがデスクに手をついて、レイの持つ資料を覗き込んだ。本人は、資料を見る気がとうに失せ、背凭れにすっかり体重を預けて、椅子をゆらゆらさせている。まだ正午を回った頃だが、レイの溜息はもう何度目か。彼は頬杖をついて、浮かない顔でまた溜息を吐き出した。
「この女、悪い噂しか聞かないですよ」
リーカスの声に、そうなのか、とレイは返して顳顬に手を当てた。
「尚更最悪だ」
「王がこの女と見合いしろと?」
「長らく断っていたらしいんだが。あまりにしつこいんで、やってやれって言われた。親父め、どうせ投げ出しただけだろ」
「年頃の王子様は大変ですねぇ。まあ、24にもなって婚約していない事自体、異例っちゃ異例ですもんね。周囲が焦るのも分からなくないです」
レイは舌打ちをして、珈琲に砂糖をありったけぶち込んだ。今回の件に関しては、糖分がないとやってられないようだ。
「まあ、レイもそろそろ婚約者ぐらい決めて親を安心させたらどうですか。……精神鎮静剤の摂取量は増えそうですが」
「後継とかそう言うのはもう兄貴だけで十分だろ。俺は今見合いする気はねえんだ。ここは第二王子としての特権を行使させてもらうぜ」
リーカスの視線が珈琲カップに注がれた。彼の憐れそうに見る視線に、レイが眉間に皺を刻む。
「なになに、サリー・ロモア。24歳。趣味、咲き誇る薔薇を眺めること。一級品の紅茶を集めること。……なにこれ」
「カルキ」
カルキがいつもの爽やか笑顔で、やあ、と片手をあげた。
「こんな気色悪い女と見合いするの?王子も大変だね」
「こんな暇あったら俺は睡眠を取るぞ」
「レイ、こういうこと自体嫌いなのに、引いた女が女だねぇ」
「っと、くだらねえ」
カルキの顔には、おもしろ、ともろに書かれていたが、今にも破きそうな勢いで資料を睨むレイを見て、あ、と徐に呟いた。レイとリーカスは、少し楽しげな雰囲気を醸し出す彼を見つめる。
「俺、いい考え、思いついちゃった」
彼は、にっこりと悪魔的な笑顔を作った。
「な、なんだよ」
突然部屋を出て行ったカルキが引っ張って来たのは、ジェノヴァだった。そして、右手にはルームキー。レイとリーカスは、カルキの考えを察し始める。
「ジェノヴァ、ファグテの間に行って」
ジェノヴァはカルキが強制的に握らせようとしてくるルームキーを押し返しながら、彼等の顔を見ると、サーと顔を青くした。
「嫌だ。ぜってー嫌だ」
ジェノヴァは必死の形相で、首をぶんぶんと猛烈に横に振って抵抗する。
「ジェノヴァ、いいの?あれ、使っちゃうよ」
「うっ」
「お前は幾つ弱みを握られてんだ」
さっきまでの抵抗が嘘のように、ルームキーをすんなり受け取る彼に、レイは呆れる。しかし、背に腹はかえられない。この面倒な案件をさっさと終わらせたいのが、正直なところ、本音。
「すまんな、ジェノヴァ。助けてやれそうにない」
「いやどう言う事だよ。ふざけんな」
彼に犠牲になって貰おうと、強制的に部屋を移動させられる彼をグッドラック、と見送った。廊下から再び、ジェノヴァとカルキの押し問答が聞こえてくる。押し問答、というより、ジェノヴァがカルキに噛み付いている、と言った方が正しいが。
「これは午後の仕事が捗りそうです」
結局のところ、ルーカスも随分と楽しんでいる。程なくして、笑顔のカルキが帰ってきた。
「しばらくあの子の食卓には人参とピーマンだけが並ぶよ。楽しみにしてて」
ほんの少しだけ、罪悪感がよぎった。
一方、カルキに引きずられるように連れてこられたジェノヴァは、また強引に部屋の中へ押し込まれそうになったところを、すんでのところで扉にがっちりとしがみついた。駄々を捏ねる子供のように必死に首を横に振る。
「さて、ジェノヴァちゃん。かわいーくしてもらってきてね」
「悪魔!鬼!」
「なんとでもどうぞ?」
「嫌だ!嫌だよう」
「ルイの力になりたくないの?俺たち従者だよね」
「お前がやればいいじゃんか!」
「俺じゃ、骨格でバレちゃうもん。あ、お姉さーん。この子、やっちゃって」
「はーい。どーんとお任せあれ!」
聞き覚えのあるその声に、恐る恐る振り返ったジェノヴァは、ヒッと声を上げた。
「ユキ……。何故ここにいる」
「えー、私れっきとした宮廷医師なんですけど?居ちゃ悪いかしら」
白衣を着た彼女は、さもジェノヴァが間違いだとでも言うように腕を組んでいる。いつもより殊更笑顔が眩しいのは見間違いだろうか。
「こ、こんなことしてないで、仕事しろ」
「これも仕事のうちさ。早速取り掛かろうか!カルキ、ここは任せて」
「ユキは仕事が早くて助かるね。半刻したら迎えにくるから」
いやー!という悲鳴は、閉じてゆく扉の奥に仕舞い込まれていった。
「……お前、ジェノヴァか」
「そうだけど」
ふくれっ面のジェノヴァの前には、目を見開き、唖然とする3人。無理矢理やらせたカルキでさえも、その様子だ。共に過ごしている彼のあまりの似合いっぷりに声も出ない。薄黄緑の装飾や宝石が散らばめられた、白のドレスに身を包んだ彼は、完全に、どこぞの姫君である。
3人に囲まれ、近距離でじろじろと観察されて、ジェノヴァは先程から冷や汗が止まらなかった。自分の性別がバレてしまわないか、正直気が気ではない。お姫様を気落ちさせる前に、ジェノヴァの気が触れてしまいそうだ。長年隠してきたお陰で、今更疑われるなど微塵も考えていなかったが、ここにきて女装は心臓に悪い。カルキやヴェイドにバレていたという事実が、殊の外精神的ダメージだったのだ。
「ジェノヴァ、君、男ですよね」
「あ、当たり前だろ!」
少々吃ったものの、ジェノヴァは噛み付いた。こんなにまじまじと見られるとなると、やはり恥ずかしいやら、緊張するやら。カルキに弱みを握られていなければ、今頃殴っているところだ。
「お前、生まれてくる性別間違ったんじゃねえの」
ジェノヴァの女装姿をじっと見ながら、レイが口を開けば、そんなこと。
「似合ってるよー」
カルキは隣からニヤニヤ笑いで茶々を入れてくる。
「お前等……」
レイの発言につっこみたい気持ちと、カルキの発言に投げ飛ばしてやりたい気持ちでいっぱいになった。報復が怖くなかったら、カルキなんて八つ裂きにしてやるところだ。
「早く、早く済まそう」
この格好から解放されたい。ばたばたと暴れるジェノヴァを、淑やかにしなさいとルーカスが叱る。
お前は、お付きのメイドか。
「2人ともいい?カップルを装って」
「カップル?」
ジェノヴァはカルキの声に、その金髪を揺らして首を傾げた。
「そう、仲睦まじいカップルを演じきって欲しい」
ジェノヴァは顔を顰めた。この胡散臭い笑みを浮かべるカルキに、いいことは何も予想出来ない。まず、女装をさせられる時点で一刻も早く終わらせてしまいたい案件である。
「この後、レイのお見合い相手の父親が王と面会をしにやって来る。きっと娘も同行して来るはずだ」
そこで、とカルキは綺麗な形の人差し指を立てた。




