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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第一章
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街と喧騒

 そんな空気を払おうと必死なユキが、えーと、と若干躊躇(ためら)いがちに口を開いた。


「ジェノヴァ、ヴェイド、さっきお前を襲ってたこいつはイチ。薬草屋の息子で、私の弟子になった奴だ」

「襲ってません!」


 バッと勢い良く顔を上げたイチの視線の先には、ニンマリ顔のユキ。ジェノヴァも、襲われてねえ!と必死な形相ぎょうそうで反論する。しかし聞いているのかいないのか、ユキは未だにやけ面で、隣の席に縮こまって座るイチを肘で小突いた。


「お前、ヴェイドと同い年だ。折角だし、この機会に仲良くなっときな」


 そう言ってから、にへ、と抑えきれなかった笑いがちょっとだけ彼女の口許から溢れた。面白がっている。


「仲良くさせようとしている紹介の仕方に聞こえなかったんですが!?」

「そんなことない、心底思ってるよ。だがなぁ、イチ。駄目だぞー。手を出すのは付き合ってからにしろ。確かにうちの子はとてつもなく可愛いがな?」

「違いますって!ヴェイドさん睨まないで!誤解なんですって!」

「だって、ほら、押し倒して……」

「やめろぉぉぉ!思い出したくもない!」


 ジェノヴァが頭を抱えて、絶叫した。





 つい先ほどのこと。

 扉を開け、最初にユキの目に飛び込んできたのは、床に転がるジェノヴァとその上に被さるイチだった。一応、ユキにとっては衝撃的なシーンだったのだと弁解させてもらいたい。愛娘と愛弟子の怪しげなシーンを見せられたのだから。


 しかし、びっくりしたユキが咄嗟に、あたしに構わずどうぞ、と言ったのがいけなかった。その姿勢のまま、あわあわと口を開閉させていた彼女も、状況を認識するにつれて一気に頰が火照った。それを皮切りに、恥ずかしさに火がついたジェノヴァが暴走。

 イチを蹴り飛ばし、暴れまわり、それによって部屋中のものが破壊される音を聞いて、ヴェイドが駆けつけたのが運のつき。ヴェイドがワンピース姿のジェノヴァを見て、完全に固まったのもまた引き金の1つ。そりゃあ当然だ。ヴェイドの驚いた表情は貴重だったが、そんなことを言っていられる場合ではなかった。


 凶暴化に拍車がかかったジェノヴァをヴェイドが羽交い締めにしてやっと、彼女を止めることができた。床に散乱する破片の数は一層増え、壁のヒビは少々悪化した。


「よ、よし、ヴェイド。このままジェノヴァを居間まで運べ」


 髪の毛を乱して部屋の隅に避難していたユキが、ヴェイドにそう命じて。羽交い締めしていても尚、暫く石化していた彼が、ジタバタするジェノヴァを無言で肩に担ぎ上げ、強制連行して今に至る。なんとも気まずい空気が流れている。


「ええっと、イチ。ヴェイド。こっちは、ジェノヴァ。……見ての通り、女です」


 ジェノヴァは2人の視線を受けて、恥ずかしさに頰を赤くし、居心地が悪そうに椅子に座りなおした。


「ジェノヴァって、あの、撃滅の七刃のジェノヴァ様なんだよな?」


 イチが彼女の顔を覗き込みながら、驚きに目を見開きつつ、未だに信じられない様子で問う。ジェノヴァが身じろぎした。疑問形ではあるが、確認する様な、そんな口調。こくり、とジェノヴァは観念したように首肯すれば、イチはどさりと力が抜けたように椅子の背もたれに寄っかかった。


「男じゃなかったんだ……」


 手で顔を覆って、そんな呟きを洩らした。こんな格好で言い逃れをしようにもできないジェノヴァは、言いにくそうに、うん、とだけ。小さく、らしくもない気弱な返事をした。


 深い薔薇色のシルク生地のワンピースは、彼女の体にぴたりと沿うように作られていた。丈は膝下だが、太腿の上までスリットが入り、白い脚がのぞいている。言い逃れは出来まい。胸元まで覆われているが、ストラップレスのため、華奢な肩や細い首も、どうにもならない。


「……ジェノヴァ」


 静かなヴェイドの声に、びくりとジェノヴァは肩を揺らした。


「……ジェノ、」

「ごめん!」


 ヴェイドの声に被せて、ジェノヴァが半ば叫ぶように謝った。彼女はヴェイドに勢いよく頭を下げる。机にぶつけそうなほどだ。


「本当にごめん……俺ずっとお前を騙してた」


 寂しい声音で彼女は続けた。


「裏切ってた。何度も背中預け合ってたのに。親友なのに。最低だよな、こんな……」


 固く握り締められた彼女の拳は、血が巡りきらずに白くなっていた。彼女が珍しく、不安に震えている。


「ジェノヴァ。顔、あげろよ」


 ヴェイドはジェノヴァに近寄り、優しい手つきで彼女の顔を上げさせる。少し水気を含んだクリアな青い瞳は、まっすぐにヴェイドを見ていた。


「ごめん……」


 大きな手を頰に添えさせたまま、消えかかりそうな声で、ジェノヴァはそう言葉を零す。そんなジェノヴァを見て、ふんわりと。それは、新雪が積もるようにふんわりと。ヴェイドは笑った。切れ長のグレーの瞳は、穏やかで柔い色を放っている。

 ほぅ、とユキは少し呆気に取られた。いつもは鋭い視線を投げるのに、ジェノヴァに負ける眼差しはこんなにも愛情深くて、こんなにも優しいのか。


「お前が女でも俺はお前のバディだし。お前も謝んなきゃいけないことがある」


 彼が悪戯をした時のような表情を浮かべたのを見て、ジェノヴァが首を傾げた。涙が、その拍子に溢れ、頬を伝う。それを親指で優しく拭って。


「俺も、ジェノヴァが女って事実を黙ってた共犯者、ってこと」


 彼は、なんて優しく笑うのだろうか。


「共犯者って?え、もしかして」


 ユキが、びっくりしたように聞き返した。彼女の猫目が、まん丸に見開かれている。


「ああ。知ってた。お前が女だってこと」


 今度固まるのはジェノヴァの番だった。へ、と思わず素っ頓狂な声をあげた彼女の阿保面に、ヴェイドはまた笑う。


「俺が気づいたのは半年前ぐらいだけど。多分カルキも知ってるぜ、あの様子だと」

「カルキまで!?」


 恐るべしカルキの洞察力、と彼女は本気でおののいている。


「……だから、その、お前が気負う必要はないってことだ」


 少々口籠もりながらも、これからも俺の相棒でいろよ、と優しく笑うヴェイドに、


「ヴェイド、今日はよく笑うな」


 と、ジェノヴァも再び涙を零しまいと、どうにか堪えて笑い返した。


「よかったなぁ、ジェノヴァ」

「うん」


 ユキはジェノヴァの頭を撫で繰り回す。ジェノヴァは頰に一筋の跡を残しながら、安心した様に破顔した。


 イチは、あの民の憧れである撃滅の七刃のジェノヴァとヴェイドが目の前にいるということ。そして、ジェノヴァが女だということを知って、軽くショック状態だが、2人の様子に、よかった、と胸をなでおろす。そのイチの肩を誰かが叩いた。


「ヴェイド様?」


 振り返ると、ヴェイドがイチの肩に手を置いていた。先程ジェノヴァに向けていた優しい笑顔は何処はやら。彼の切れ長でグレーの瞳が、先刻前とは随分異なった光を纏っていることに気付くと、イチは身を引いた。強面の所為で、随分と迫力が増している。ヴェイドは力を込めた片手でイチの肩を持ったまま、ユキに声をかけた。


「で、イチはジェノヴァを襲ってたんだよな」


 いつも通りの鋭さを取り戻した彼の様子に戸惑いながらも、ユキは頷いた。


「だから、俺はそんなつもり……!」


 反論しようと声をあげるイチの声には、既に耳を貸していない。彼の大きな手が、ぐぐ、と堅い拳を握った。


「……ちょっと一発殴らせろ」

「なんでぇぇぇ!」

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