表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第一章
12/83

街と喧騒

「次はこれっ」


はしゃぐ彼女が手渡してきた服を、呆れた顔をしながら受け取って。


「はいはい」


と溜息を吐くように言った。最初の頃は抵抗していたものの、今ではすっかりユキの言われるがままに着ている自分に気付く。

ユキはジェノヴァの育て親のような人だ。ユキの幸せはジェノヴァの幸せで、ユキが喜ぶのは自分のことのように嬉しい。


チリン。


店の入り口の方から複数の人の話し声と床を踏む音がする。客が来たようだ。


「ごめん、それ着といて。すぐ済ましてくるから」


そう言い残して、持っていたハンガーをそこらのテーブル上に放ってから、バタバタと慌ただしく彼女は部屋から出て行った。この放り癖が功を奏し、積もり積もってあの部屋の惨状が出来上がるのだ。


困り顔をするジェノヴァの口角は、ふわりと上がっていることに、当の本人は気付いていない。落ちているハンガーを拾い上げ、机の上に戻す。


いらっしゃい、どうしましたー?と溌剌とした声が向こうから漏れてきた。少しだけ、外の冷気が流れ込んできて、ジェノヴァはぶるりと体を震わせる。彼女と客のやり取りに耳を傾けつつも、早く着替えてしまおうと、ジェノヴァは渡された洋服に視線を落とした。


「これはまた……」


服の肩部分を掴んで目の前に広げて、ジェノヴァは思わず独りごちた。凝り性な彼女の服作りの技術は、年々磨きがかかっているようだ。着させられる度にステッチやら刺繍やらの工夫が増え、デザインもより洗練されてきている。もとから彼女のセンスは良かったが、やはり服の店でも始めたらどうだ、と勧めたいほど。


「何でこんなことしてんだろ、俺」


ぶつくさ文句を垂れながらもボタンを外し始めた。結局は彼女の願いに逆らえないジェノヴァ。彼は煩わしそうに四苦八苦しながら、着ているワンピースのチャックを下ろす。気怠気な空気を醸しつつもブルーの服を脱いで、結局そのワンピースを身に纏ったのだった。





春とは思えぬ寒さに、身が震えた。久しぶりの身の凍える寒さに、イチはかじかむ掌で腕をさすった。


イチは医者見習いである。この間から、王宮公認医師である町医者ユキのところに、医学を学びに通っている。薬草屋の息子で、元々ユキと面識があったため、何度も頼み込んで了承を得たのが、つい1ヶ月前のこと。それから、こうして頻繁に彼女の家を訪れていた。


店の中でお客さんと話しているユキの姿をガラス越しに確認して、裏庭へと回った。雑草を踏みながら回り込めば、傾きかけの錆た裏扉が現れた。彼は錠の外れた取っ手を握り、握った腕に体重を乗せて、ガコンと裏口を開けた。これが雨風の影響で錆びたそれを開けるコツ。ユキがお客様の相手をしている場合は、邪魔をしないよういつもこうやって裏口から部屋に入るのだ。

しかし扉を開けた途端、彼は、えっ、という戸惑いの声をあげて固まった。


「うわぁっ、ごっ…」


ごめんなさい、という謝罪は、伸ばされた掌に吸い込まれていった。


扉を開けて目に入ってきたのは、イチの口を押さえこむ金髪の少女だった。瞳は、深く透明な海の色。陶器の人形に命を吹き込んだら、こんなだろうか。彼女の美しさに思わず動きが止まる。言葉を失って立ち尽くしさえした。しかし、そこからは一瞬の出来事だった。


思いもよらぬスピードと力業で胸倉を掴まれ、引っ張られて壁に叩きつけられた。バンッと物凄い音が鳴る。そのまま片足を引っ掛けられて、傾いていたイチの大柄な身体は、重力に逆らうことなく床に押し倒された。その拍子に、ぐえっ、という潰れたカエルのような声が出るも、彼女は容赦しない。腕はあっという間に背中でまとめ上げられ、使えなくなった。その間にも、近辺を彷徨っていた彼女の左手が、落ちていたペンを掴んだと思ったら。


ガンッ!


顔の、数センチ先に穴が開いた。恐ろしい少女だ。


「……何者」


少女しては少し低い声。でも、心地よい。イチを敵とみなし、脅している。イチの背中に跨った彼女の身体は軽いのに、彼は身動きが取れない。どこか要所をしっかり抑えているのだろうか。平静を取り戻しつつあったイチの様子を見て、彼女は眉間に皺を刻んだ。


「……刺すぞ」

「え、ちょ、待てっ」


恐ろしいことをさらりと言った彼女に、慌てて腕に力を思い切り入れた。たとえ殺傷能力の低いボールペンでも、刺されてはたまらない。


「ジェノヴァどうした?なんか凄い音したけど……って、あれ」


丁度扉を開けたユキが、固まった。





「すまんすまん。イチに裏口使わせてたの、すっかり忘れてた」


両手を合わせて謝りながら、菓子食うか、茶でも飲むか、とユキはご機嫌取りにはしる。ジェノヴァの目の前には、見る間に菓子の袋が山積みになった。


ユキと一緒にテーブルを囲むのは、不機嫌なジェノヴァと頭を抱えこむイチ、そして何故か冷静なままのヴェイド。4人の周りにはどよん、とした空気が漂っていた。その空気の主な源のジェノヴァは、苛つきと若干の不安の混じった表情。彼のすらりとした指先は、その動揺を隠しきれずに机の上で小さく爪で音を立てている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ