街と喧騒
「待ってたよ」
彼女は呼び鈴一回ですぐに姿を現した。その金髪をポニーテールにまとめ、大らかなで明るい笑顔を浮かべている。淡いオレンジ色のエプロンをつけて、二人を迎え入れたのは、町医者のユキ。
そのくっきりとした瞼の片方を、器用に瞑った。
「そろそろ来る頃かと思ってね」
部屋の中に入れば、いつもの雑多な部屋と、木のテーブルに置かれたニつのマグカップが目に入る。
漂う甘い香りが、玄関先にいても鼻腔をくすぐった。床に転がる物を踏まないように避けながら、ジェノヴァはテーブルに近づいた。
テーブルを覗き込んで、今日はクッキー付きか、と内心にやり。
「あぁー。寒かった」
暖炉で暖められた部屋に入れば、かじかんだ手がゆっくりとのびていく感覚がする。頬の凍てつきも、次第に溶けてゆく。
「……助かる」
ヴェイドも、やっと暖かい部屋に入れてほっとしているようだ。
手袋やマフラーを身から脱ぎとりながら、深い息を吐いていた。いつもより更にかたかった表情も、心なしか和らいでいるように思える。
深い色合いがジェノヴァのお気に入りの、木製の椅子に座れば、ギシ、と軋んで音をたてた。
「これであってるよな」
彼女はファイリングされた大量の資料の中から、びっしりと注文が書き込まれた洋紙を抜き取り、ジェノヴァに渡してくる。
少し皺が寄って型崩れした紙面に視線を滑らせて、ジェノヴァは頷いた。
「ああ、大丈夫そうだ。ありがとう」
「どういたしまして。一応中身を確認しておいて。あっちにあるから」
更にもう一口だけココアを口に含んでから、ジェノヴァは椅子から立ち上がった。
それから、暖炉の側にある、ぱんぱんに膨れ上がった麻袋の中を漁り、順にチェックしていく。
「ったく、お前も相変わらずだなー」
ユキはヴェイドの向かいに座り、彼の仏頂面を、頰を引っ張って伸ばした。ヴェイドの唇の端が伸びて、変な面相になる。
「……おい」
ヴェイドは不機嫌さを前面に出すが、されるがままだ。七刃の騎士にこんなことをするのは、騎士団長をおいて、この世にこの女だけなのではないだろうか。
ジェノヴァはヴェイドの変形した顔を見て、思わず盛大に吹き出した。
「ヴェイドもジェノヴァも、いっつも無愛想だしさ。このコンビ、やめた方がいいんじゃないかね、恐いよ」
ユキは頬杖をつきながら、くすりと優しく苦笑した。そんな彼女に、ヴェイドはぶすっとした仏頂面で反論する。
「この顔は生まれつきだ。仕方ないだろ。笑顔振りまくってなんの徳がある」
「俺はヴェイドほど無愛想じゃないぞー?」
奥からジェノヴァが異議を唱えた。
「それに、今日はニ人分の愛想を振りまくミルガがいないんだから」
「仕事?」
訊ねる彼女に、ヴェイドが静かに頷く。
「それは残念。忙しいのね」
「この時期はなんだかんだ、用事が立て込むんだよな」
「お陰で寝不足だ」
欠伸をするヴェイドに、お前は年がら年中だろうが、とユキは呆れ顔だ。
「ま、とりあえずゆっくり休んで行きなよ」
ティーカップを片手にウィンクした。
荷物の確認をし終えたジェノヴァが再度テーブルに戻り、三人でたわいのない会話を交わして数分。
静かになった隣を覗き込めば、案の定。
「……早速寝たな。いつもの司書のじじいに怒られてたから、さっきも絶対図書館で寝てたぞ」
「早いなー。話し足りないんだけど」
二人の視線の先には、ソファに身を沈め、穏やかで規則正しい息の音をもらすヴェイド。
悪態をつきながらもブランケットをかけてやるジェノヴァを見て、ユキは密かに笑う。
ヴェイドとジェノヴァはとても仲が良い。仕事も、プライベートも。
二人でいるところをよく見かける。
数ヶ月前に宮殿に訪れた時も、中庭で仲良く昼寝をする彼等の姿を目撃した。その可愛らしい姿をどうしても残しておきたくて、写真を撮ってあるのは秘密だ。
まあ、今はそれよりも。
「ひっ」
ガシッと机に置かれていたジェノヴァの手を掴むと、小さく悲鳴をあげる彼女。にこにことする私を見て、ジェノヴァの顔からは一気に血の気が引く。
「……まさか」
逃げ腰になって言葉を途切れさせる彼女に、ユキは満面の笑みを弾けさせた。
「はい。その、まさかです」
私はジェノヴァの秘密を知っている。
奥の部屋へとジェノヴァを引っ張りこんだユキは、彼女に色々な服を当ててみては、それは楽しそうに笑った。
「ねえねえ。ジェノヴァ、これ着てみないかい」
「嫌だ」
彼女は即答。いつものことだ。
「えー、結構いい出来なんだけど。ほら、この部分とか上手くいったんだ」
いじけてみせれば、テンポの遅い、少し気後れしたような拒絶の返事が返ってくる。
「一回着てみなって」
「むぅ……」
ジェノヴァは押しに弱く、ユキの頼みごとは一度たりとも断り切れたことはない。そしてユキは、ジェノヴァが女であることを知る、数少ない者の一人である。
見かけと性格によらず、裁縫が得意な彼女。ちなみに、裁縫だけでなく、料理やガーデニングなども意外に上手くこなせることはちょっとした自慢だ。
ワンピースやらスカートやらをたんまり作って、ジェノヴァに半ば強制的に着せて楽しんでいる。
「今回のはここを工夫したんだけど、どう?」
立ち鏡には、瞳と同じ澄んだ青色のストレートのワンピースを着た、美少女。綺麗なブルーは、彼女によく映える。まるで、お伽話から抜け出てきたように可愛い、とユキは相貌を崩す。表情は不機嫌そうだが、すらりとした体にぴったりとしたワンピースがとても似合っている。
ジェノヴァは後ろから自分の姿を見て目を爛々とさせるユキを、鏡越しに見た。
「ここ工夫したのよ!ここ!」
ジェノヴァの綺麗なラインを最大限活かす為、首周りの余計な装飾をなくし、ざっくりと開いたデザインと、シルエットの美しい切り込みを入れたのだ。我ながら良い出来だ。ユキは満足げに、にんまりと笑う。彼女のショートの金髪を伸ばしたら、きっと、もっと似合うに違いない。
「可愛いっ!」
ジェノヴァは抱きついて離れないユキを、両手でぐいぐいと押しやった。流石に力加減はしているものの、物凄く眉間に皺を寄せている。そんな表情ですら、いじらしく、可愛いらしいと、ユキは満足気だ。
「こんなに作っても、俺は着れないんだ。勿体ないだろうが」
「そんなことないし」
別のフレアスカートを持ちつつ、そう言って、ユキは口をすぼめて膨れる。
「この布代が損だ。俺が着るより、売って町娘に着せた方がよっぽどいいぞ布だって、包帯を買った方がよっぽど役立つ」
「わかってないなぁ。これはジェノヴァの為に作ってるなんだから。他の誰でもなく、ジェノヴァが着ないと意味がないんだよ」
全く引く気のない彼女の様子に、ジェノヴァはそっと溜息をついた。これも似合いそう、これも良いかも、と色とりどりの服に埋もれて顔を輝かせるユキは、まだ若い女の子のようだ。
いつもは大胆で男気溢れる女性。だが、こうやって時々見せる無垢な表情が、ジェノヴァは好きだった。患者相手に真剣な表情の彼女も、魅力的でかっこいいと思うのだが、やはりこっちの楽しそうなユキは良い。幼心に戻っている様子が珍しいというのもあるし、可愛らしいとも思う。




