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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第一章
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街と喧騒

「待ってたよ」


 彼女は呼び鈴一回ですぐに姿を現した。その金髪をポニーテールにまとめ、大らかなで明るい笑顔を浮かべている。淡いオレンジ色のエプロンをつけて、二人を迎え入れたのは、町医者のユキ。

 そのくっきりとした瞼の片方を、器用に瞑った。


「そろそろ来る頃かと思ってね」


 部屋の中に入れば、いつもの雑多な部屋と、木のテーブルに置かれたニつのマグカップが目に入る。

 漂う甘い香りが、玄関先にいても鼻腔をくすぐった。床に転がる物を踏まないように避けながら、ジェノヴァはテーブルに近づいた。

 テーブルを覗き込んで、今日はクッキー付きか、と内心にやり。


「あぁー。寒かった」


 暖炉で暖められた部屋に入れば、かじかんだ手がゆっくりとのびていく感覚がする。頬の凍てつきも、次第に溶けてゆく。


「……助かる」


 ヴェイドも、やっと暖かい部屋に入れてほっとしているようだ。

 手袋やマフラーを身から脱ぎとりながら、深い息を吐いていた。いつもより更にかたかった表情も、心なしか和らいでいるように思える。

 深い色合いがジェノヴァのお気に入りの、木製の椅子に座れば、ギシ、と軋んで音をたてた。


「これであってるよな」


 彼女はファイリングされた大量の資料の中から、びっしりと注文が書き込まれた洋紙を抜き取り、ジェノヴァに渡してくる。

 少し皺が寄って型崩れした紙面に視線を滑らせて、ジェノヴァは頷いた。


「ああ、大丈夫そうだ。ありがとう」

「どういたしまして。一応中身を確認しておいて。あっちにあるから」


 更にもう一口だけココアを口に含んでから、ジェノヴァは椅子から立ち上がった。

 それから、暖炉の側にある、ぱんぱんに膨れ上がった麻袋の中を漁り、順にチェックしていく。


「ったく、お前も相変わらずだなー」


 ユキはヴェイドの向かいに座り、彼の仏頂面を、頰を引っ張って伸ばした。ヴェイドの唇の端が伸びて、変な面相になる。


「……おい」


 ヴェイドは不機嫌さを前面に出すが、されるがままだ。七刃の騎士にこんなことをするのは、騎士団長をおいて、この世にこのひとだけなのではないだろうか。

 ジェノヴァはヴェイドの変形した顔を見て、思わず盛大に吹き出した。


「ヴェイドもジェノヴァも、いっつも無愛想だしさ。このコンビ、やめた方がいいんじゃないかね、恐いよ」


 ユキは頬杖をつきながら、くすりと優しく苦笑した。そんな彼女に、ヴェイドはぶすっとした仏頂面で反論する。


「この顔は生まれつきだ。仕方ないだろ。笑顔振りまくってなんの徳がある」

「俺はヴェイドほど無愛想じゃないぞー?」


 奥からジェノヴァが異議を唱えた。


「それに、今日はニ人分の愛想を振りまくミルガがいないんだから」

「仕事?」


 訊ねる彼女に、ヴェイドが静かに頷く。


「それは残念。忙しいのね」

「この時期はなんだかんだ、用事が立て込むんだよな」

「お陰で寝不足だ」


 欠伸をするヴェイドに、お前は年がら年中だろうが、とユキは呆れ顔だ。


「ま、とりあえずゆっくり休んで行きなよ」


 ティーカップを片手にウィンクした。

 荷物の確認をし終えたジェノヴァが再度テーブルに戻り、三人でたわいのない会話を交わして数分。

 静かになった隣を覗き込めば、案の定。


「……早速寝たな。いつもの司書のじじいに怒られてたから、さっきも絶対図書館で寝てたぞ」

「早いなー。話し足りないんだけど」


 二人の視線の先には、ソファに身を沈め、穏やかで規則正しい息の音をもらすヴェイド。

 悪態をつきながらもブランケットをかけてやるジェノヴァを見て、ユキは密かに笑う。


 ヴェイドとジェノヴァはとても仲が良い。仕事も、プライベートも。

 二人でいるところをよく見かける。

 数ヶ月前に宮殿に訪れた時も、中庭で仲良く昼寝をする彼等の姿を目撃した。その可愛らしい姿をどうしても残しておきたくて、写真を撮ってあるのは秘密だ。


 まあ、今はそれよりも。


「ひっ」


 ガシッと机に置かれていたジェノヴァの手を掴むと、小さく悲鳴をあげる()()。にこにことする私を見て、ジェノヴァの顔からは一気に血の気が引く。


「……まさか」


 逃げ腰になって言葉を途切れさせる彼女に、ユキは満面の笑みを弾けさせた。


「はい。その、まさかです」


 私はジェノヴァの秘密を知っている。





 奥の部屋へとジェノヴァを引っ張りこんだユキは、彼女に色々な服を当ててみては、それは楽しそうに笑った。


「ねえねえ。ジェノヴァ、これ着てみないかい」

「嫌だ」


 彼女は即答。いつものことだ。


「えー、結構いい出来なんだけど。ほら、この部分とか上手くいったんだ」


 いじけてみせれば、テンポの遅い、少し気後れしたような拒絶の返事が返ってくる。


「一回着てみなって」

「むぅ……」


 ジェノヴァは押しに弱く、ユキの頼みごとは一度たりとも断り切れたことはない。そしてユキは、ジェノヴァが女であることを知る、数少ない者の一人である。

 見かけと性格によらず、裁縫が得意な彼女。ちなみに、裁縫だけでなく、料理やガーデニングなども意外に上手くこなせることはちょっとした自慢だ。

 ワンピースやらスカートやらをたんまり作って、ジェノヴァに半ば強制的に着せて楽しんでいる。


「今回のはここを工夫したんだけど、どう?」


 立ち鏡には、瞳と同じ澄んだ青色のストレートのワンピースを着た、美少女。綺麗なブルーは、彼女によくえる。まるで、お伽話から抜け出てきたように可愛い、とユキは相貌を崩す。表情は不機嫌そうだが、すらりとした体にぴったりとしたワンピースがとても似合っている。

 ジェノヴァは後ろから自分の姿を見て目を爛々とさせるユキを、鏡越しに見た。


「ここ工夫したのよ!ここ!」


 ジェノヴァの綺麗なラインを最大限活かす為、首周りの余計な装飾をなくし、ざっくりと開いたデザインと、シルエットの美しい切り込みを入れたのだ。我ながら良い出来だ。ユキは満足げに、にんまりと笑う。彼女のショートの金髪を伸ばしたら、きっと、もっと似合うに違いない。


「可愛いっ!」


 ジェノヴァは抱きついて離れないユキを、両手でぐいぐいと押しやった。流石に力加減はしているものの、物凄く眉間にしわを寄せている。そんな表情ですら、いじらしく、可愛いらしいと、ユキは満足気だ。


「こんなに作っても、俺は着れないんだ。勿体ないだろうが」

「そんなことないし」


 別のフレアスカートを持ちつつ、そう言って、ユキは口をすぼめて膨れる。


「この布代が損だ。俺が着るより、売って町娘に着せた方がよっぽどいいぞ布だって、包帯を買った方がよっぽど役立つ」

「わかってないなぁ。これはジェノヴァの為に作ってるなんだから。他の誰でもなく、ジェノヴァが着ないと意味がないんだよ」


 全く引く気のない彼女の様子に、ジェノヴァはそっと溜息をついた。これも似合いそう、これも良いかも、と色とりどりの服に埋もれて顔を輝かせるユキは、まだ若い女の子のようだ。

 いつもは大胆で男気溢れる女性。だが、こうやって時々見せる無垢むくな表情が、ジェノヴァは好きだった。患者相手に真剣な表情の彼女も、魅力的でかっこいいと思うのだが、やはりこっちの楽しそうなユキは良い。幼心に戻っている様子が珍しいというのもあるし、可愛らしいとも思う。

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