111話 妖精花を見せびらかす黒幕幼女
ドッチナー侯爵家は一種異様な雰囲気に包まれていた。応接室にて、ドッチナー侯爵は冷や汗をかきながらテーブルに置かれた物を見つめていた。
ゴクリとツバを飲み込み恐る恐る対面に座る幼女へと声をかける。
「これは妖精花……。それに間違いないですな?」
「そ〜でつ。保存方法がわからないので困ってるのでつが、侯爵様はいりまつ?」
コテンと可愛らしく首を傾げて、幼女がパンでも分けるように気軽に言ってくる。
欲しいですと、答えようとして寸前で思いとどまる。テーブルの上に置いてある極彩色の花。これだけ派手な花は妖精花以外にはない。そしてその類まれなる効能も侯爵は知っている。欲しいに決まっているではないか。
しかし、これは他国の貴族の持ち物だ。ビアーラが採取をして良いと許可を出したらしいが、まさか本当に採取してくるとは予想もしていなかった。
なにしろ古代植物園には多数の精霊がいたのだ。弱い精霊魔法を扱う部下が精霊だと言っていたから間違いない。今まで見たことがない精霊らしいが、はっきりと具現化しており、近づく者たちへ攻撃をしてくる恐ろしい精霊であった。
ドッチナーの騎士が少なくない人数殺られているのだから。
精霊は魔法・魔法武器の類でしか倒せない。騎士ならばエンチャントを魔法使いにかけてもらい戦いに挑むのだが、如何せん数が多すぎて近寄る前に殺られてしまったのだ。
しかも高位精霊であるゴーレムに見た目がそっくりな精霊の放つ魔法は凶悪な威力で、後続にいた虎の子の魔法使いたちもその多くが死んでしまったのだから。
神器でもなければ、あの精霊たちを倒すことは不可能であったはずなのに、50程度の騎士たちで倒した? 信じられないが、妖精花が証拠として目の前にある。
と、なるとこの者たちは恐ろしく強大な力を持ち合わせていることになる。ちらりと隣に座る妻を見ると、僅かに目を見開いていたので、驚いているのだろう。
そんな者へと、軽々しく妖精花を欲しいと答えるわけにはいかない。いったいなにを求められるのかわかったものではない。
「アイちゃん。とりあえず妖精花はうちの保存の魔法箱に入れるわ。枯れたら悲しいでしょう?」
「お願いしまつ! こんなに綺麗な花が枯れちゃうのは悲しいでつし」
ビアーラの言葉に、嬉しそうに幼女はパタパタと小さい足を跳ねさせる。それ自体は極めて可愛らしい。が、この幼女は妖精花の価値をわかってはいないのだろう。ちょっと綺麗な花を手に入れたと喜んでいるだけだ。
家宰が慌てて魔法の保存箱を持ってきて、その中に花は納められる。これで枯れる心配はなくなった。
そして、どのような条件で妖精花を譲って貰おうかと懸命に考える。
傍目には商会の騎士崩れ50人程度で精霊を退治して、妖精花を手に入れたことになるのだ。ドッチナー騎士団はどれだけ脆弱なのかと噂されてもおかしくない。
噂されないように、妖精花は譲って貰い陛下に献上する必要が絶対にある。即ち、こちらは妖精花を譲って貰うことが絶対条件であり、口止めもしておかなければならない。
精霊たちを倒す凄腕の騎士団である。口封じなどできようもない。かなりこちらが不利なのだ。
どうやって倒したのか確認できればと歯噛みする。まさかここまでとは考えておらず、監視をつけてもいなかったのだ。この混乱した状況でその余裕もなかったのだが。
「アイ孃。その、ですな、よろしければ妖精花を頂けたらと思います。取り引きできないでしょうか?」
アイという幼女の隣に座る老齢の騎士を見ながら問いかける。幼女はお飾りだ。高貴な身分の者は自らの功績を部下にたてさせて箔をつける。年若いがそれだけ功績が必要な身分なのだろう。実際の指揮・采配は老騎士がとっているのだから、幼女ではなく老騎士の反応を見る。
だが、幼女への進言という名の指示は既に終わっていたに違いない。老騎士はまったく反応を見せない。
代わりに幼女がニコリと微笑み口を開いた。
「んと〜、うちの騎士が3人亡くなったので、慰労金を与えたいのでつ。一人につき金貨5000枚、合わせて15000枚くだしゃい。それとでつね〜、えと〜、なんだっけ……。そだ、侯爵様が所有している魔物に関する書物を見たいでつ」
う〜ん、う〜んと教えられたことを懸命に思い出しながら、幼女が取り引き内容を口にして、最後にこれで良いんだっけと、老騎士へと視線を移す。コクリと小さく老騎士が頷くので、取り引き内容に間違いないようだ。
しかしながら、侯爵は戸惑っていた。やけに取り引き内容が甘い。我が家の秘蔵である錬金術の蔵書ならわかるが、魔物に関する蔵書? それなりにあるが集めようと思えば、簡単に集められるものばかりだ。金貨の要求も少なすぎる。10万枚でも安い。金貨ならば50万枚までは要求をのむつもりであったからだ。
それが死んだ騎士の慰労金のために金貨15000枚。安すぎる。平民と自称しながら家臣を騎士と呼ぶのは気にしないことにする。幼女ならそのような隠し事はできないだろうし。
「我らはこの地には不案内。見たこともない魔物たちばかりなので、情報が欲しいのですよ」
ここらへんの魔物は魔帝国、南部地域とほぼ同じ魔物だ。貴族は魔物と戦うことがあるので必ず一度は勉強する。見たこともない魔物とはあり得ない。
貴方たちはいったいどこからやって来たのかと問い質したいが、なんとか我慢する。それよりもそのような話ならば魔物の蔵書について詳しくないことも理解できるからだ。
貴重な書物だと思っているのだろう。これは大変に都合が良い。自分たちから提案してきたのだから、あとから安すぎる取り引きであったと文句もつけられまい。
内心でほくそ笑みつつ、表情は重く見せて、魔物が書かれている蔵書がいかにも貴重だと演技をする。
腕を組み深く考え込んで、ようやく決心をしたとため息をつきつつ、妖精花を手に入れるためだと、顔を手で覆いながら仕方あるまいと返答する。
「……わかりました。秘蔵の書物ではありますが閲覧を許可いたしましょう」
演技が凝りすぎなルド・ドッチナー侯爵であった。
「ありがと〜でつ。魔物の絵も書いてありまつか?」
「あぁ、もちろんだ。画家に書かせているのでな」
やったーと満面の笑みになり、両手を掲げる幼女の無邪気さに思わず癒やされて笑みが浮かぶ。それとともに罪悪感も湧くが、これが駆け引きなのだ、高い勉強代を払ったと諦めてもらおう。
「話が纏まったようですな。では侯爵もお忙しい身。契約書にサインをして頂き、この取り引きを纏めるとしましょう」
既に用意してあったのだろう。羊皮紙とは違う触り心地の紙が老騎士から差し出されてくるので、内容に不備がないかを確認してから、私はサインをするのであった。
「これで契約は成りまちた。これからも仲良くお付き合いをお願いいたしまつ」
「あ、あぁ、こちらこそよろしく頼む」
私がサインした瞬間、冷たい笑みを幼女がしたように見えたが……。まぁ、気のせいであろう。
金貨は金板としてすぐに用意して渡し、家宰に命じ書庫に案内させる。一週間は籠もるらしいが、錬金術の蔵書は他の場所にあるので問題はない。
やけに急いで蔵書へと向かったが、幼女なので絵が見たいだけだろう。これで取り引きは成されたのだ。私の目の前には妖精花がある。陛下も喜ぶに違いない。
椅子に深く凭れ掛かり、満足げに息を吐く。嬉しさがこみあがり、笑みを隠せない。
「どうだ、我が愛する妻よ。私の頭の良さっぷりは? 次期宰相に相応しいものだろう? 相手が無知であったことも関係するが」
隣に座り、静かにホットワインを飲む妻へと得意げな表情で伝えると、妻は軽く肩をすくめた。
「そうね。私が止める暇もなく取り引きを決めてしまったものね。せめて考える時間を貰えれば忠告できたのに」
ビアーラの不吉を感じさせる返答に、にわかに不安が押し寄せる。なにか変な取り引きがあっただろうか? いや、瑕疵はない。問題はない取り引きだったはずだ。
「なにか変な内容が契約書に書いてあったか? 私が気づかないような?」
「いえ、契約書は取り引き内容そのままでしたわ。問題はありませんでした」
「な、なんだ。驚かすのではない。相手の無知につけ込んだ取り引きがまずかったと言うなら見当違いの非難だぞ。これは貴族の駆け引きなのだから。正直者同士の取り引きではないと言うことだ」
安堵で胸をなでおろす私に、ハァとため息を吐いて妻は言葉を続ける。
「そうね。相手の無知につけ込んでも、貴族の駆け引きなのだから仕方ないわね。まったく貴方の仰るとおり。我が家は一生を左右するかもしれない取り引きをしてしまったわ。妖精花、ただ一輪のために」
「はぁ? な、なにを言うのだ? 我が家の一生を左右する? なにを言うのだ。ただ金貨を少しと、珍しくもない魔物に関する蔵書の閲覧を許可しただけではないか」
予想以上の不吉な内容を妻が口にしたために、思わず椅子から立ち上がり、声を荒げる。なにを言っているのか意味がわからない。
「月光は他国の貴族よ。そしてその技術は我が国を遥かに上回っているわ。譲って貰った馬車を見たでしょう? あんなのを作れる国なのよ」
「そ、そうだな。たしかに物凄い技術であった。どうやって作っているのか皆目見当がつけられない。錬金術を駆使すれば或いは作れるかもしれないが、金はかかり素材も貴重な物を使うだろう。とてもではないが馬車にかけられる費用ではない。それを複数作っているのだから、技術が上だというのはわかる」
あの馬車は凄かった。あれほど軽く頑丈な馬車なら物資の運搬は軽々とできて、軍の馬車への転用をすれば強力な戦車となるだろう。
悔しいが作り方もわからない。相手の国が技術面で上だと理解できる代物だった。それがなにか関係するのか?
「貴方。もしも月光が錬金術を用いた薬などをタイタン王国で売り出したらどう思う?」
「月光は錬金術の技術も高いのかと感心するだけで……いや、違う。まずい、まずいぞ! ドッチナー侯爵家と縁がある商会だ。錬金術の秘術を月光に渡したのかと噂されるに決まっている。最悪なことに契約書もある!」
ハッと極めてまずいことに気づいた。
悟ってしまった。あの魔物の書物を見せる契約は問題だ。あの契約書では錬金術の秘奥に関わる閲覧許可などは絶対に出していない。
しかし、月光が錬金術を使い始めたら? きっとドッチナー家は魔物の書物と称して、錬金術を売り渡したと言われるに決まっている。
元から月光の技術は高いので、錬金術の技術も高いと叫んでも無駄なことだ。宮廷雀たちは都合の悪いことは聞かないフリをするに違いない。
「噂なら消せるでしょうけど、あのドッチナー家に不自然に有利な契約書を月光が周りに見せたり話したりした途端に、私たちは他国と怪しい糸で繋がっている一族となるわね。次期宰相のルド・ドッチナー様?」
「首根っこを月光に掴まれてしまったということか……。あの老獪な騎士に……」
口封じや暗殺などを思い浮かべるが、高位精霊を倒し、魔物をテイムでき、我が国の技術力を上回っている相手だ。上手くはいかないだろう。
ルド・ドッチナー侯爵は、宰相になり妖精花も手に入れ高位精霊も倒されたので、なんと自分は天に愛されているのかと、喜んていた。
だが、今は自分が微妙な立場に追いやられたと理解してしまった。
月光が高位精霊を倒し、妖精花を渡す代わりに書物を求める。自分から見ても錬金術の書物と引き換えだったのだと思う。
これがタイタン王国の者や南部地域、魔帝国ならまだ知らぬ存ぜぬで切り抜けられたかもしれない。
しかし月光は強力な武力、高度な技術を持ってタイタン王国に食い込んできている。王国の未来が最悪な方向に向かった場合、周辺諸国にドッチナー家の裏切りだと認識される可能性は高い。
それを知った者たちは囁くだろう。
ドッチナー侯爵家はやはり売国奴であったのだと。月光側に密かについたのだと。
先程取り引きを了承した月光たちの無知なのがいけないのだと、嘲笑いながら思ったが、あの取り引きは絶対に受けてはならないのは自分であったのだ。
順風満帆だったはずの未来には暗雲が立ち込み始めた。自分こそが無知で愚かであったのだと、ルド・ドッチナー侯爵は膝から崩れ落ちるのであった。




