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第二十九話 衝突、崩壊

 「……何故来た」

 

 布団を被り、掠れた声を発する男。

 体中のあちこちに包帯を巻く、これが人の成り果てだと言わんばかりに見せる彼の表情に、光は見えない。


 俺は迷った。

 この人に全てを打ち明けるべきなのだろうかと。

 言ってしまえば、全てが壊れてしまう気がした。


 「はは……おのれはこんな様になった儂を

  高みで嗤っておるのだろう、違うか」


 南部は嘲笑交じりに俺を睨む。

 俺は口を噤む。

 ただ、これだけは分かって貰いたかった。


 「南部様、私は貴方様に同情するつもりはありませぬ。

  ただ話をせねばならぬと思い立ち、此処に参ったのです」

 「帰れ」


 ただ一言、南部は言い放つ。

 自信に溢れていた今までとは違う。

 怯えと不安が入り混じった様な、混濁した瞳を向けている。

 「いえ、帰りませぬ」

 いささかおののきながらも、俺はその場に座る。

 此処に来る以前から、何と言われようと意地でも動くまいと、心に決めていた。


 「はっ......同情だと?同情など元から要らぬわ......

  それよりもな、儂はおのれのそういう偽善ぶる態度が

  何よりも心底嫌いなんじゃ!」


 その瞬間、南部は俺に向けて枕を投げつけた。

 宙を舞った枕は、動じなかった俺の頬に強く当たる。


 「儂の失態を棚に上げられ、あげく新参者に助けられる、

  其れがどれ程惨めな事か分かるか!?」


 口を切り血が流れ始める。

 それでも目を逸らすことは無い。



 もう、良いか。

 南部の態度に、俺まで少々腹立たしくなった。

 ここまで(うと)ましく思われているのなら、もはや壊れてしまっても良いのかもしれない。

 


 俺は立ちあがり、溜め息交じりに言った。


 「藤三郎殿は、貴方様を慕っておられました。貴方様と共に居た際も、貴方様を討捨(うちすて)ようとした際も。

  貴方様は、それに気付いてはおられぬのですか」

 「おのれは……何処まで儂を苦しめるのだ……」


 彼の様子に、俺は悟る。

 やはり南部は気付いていた。藤三郎の真意を。

 彼を殺してから、気付いてしまったのだ。

 

 「貴方様は、唯逃げているだけにございます。

  私には、藤三郎殿から目を背けておる様にしか見えませぬ」

 「黙れ!!黙れだまれっ!!!」


 南部は遂に俺の頬を殴った。

 居ても立ってもいられず立ち上がった南部の表情は、俺と初めて会ったあの時と、同じ生気を宿していた。


 

 そんな状況に対し、俺は微笑む。


 「……良い目ではないか、

  ようやく真面まともに語り合えそうじゃな」


 一段と低い声に、南部は動きを止める。

 

 それは決して〈異物〉のせいではない。

 俺自身が持つ、心からの〈怒り〉。

 この男と本心から語り合う為の、布石。


 南部は暫くの後、俺の着物の襟を掴む。

 「野郎……嘗めるな……っ!」

 怒りのあまり、南部は俺の左目に付けた眼帯を掴み、取り上げた。


 「ははは、この罰当たりめが!

  その醜い(つら)がよく見えるわ、実に御似合いじゃなぁ!!」

 自暴自棄に近い言動。

 しかし、俺の顔を見た途端、彼は言葉を失う。




 晴幸(おれ)の持つ左目。

 その瞳は、白かった。



 南部は驚きのあまり、一歩退く。

 「返せ」

 呆然とする彼を、俺は白濁の瞳で睨んだ。

 「ば、化物が……!」

 数歩後退する南部は、不意に背で何かにぶつかった。


 「何の騒ぎか」

 其処に居たのは、数名の男。

 どうやら、南部の怒鳴り声を聞きつけて来たらしい。


 「南部、これは何事じゃ」

 「……!」


 南部は持って居た眼帯を、落とす。

 俺は掌で咄嗟に左目を覆う。

 状況を見れば、十中八九南部が俺を(いじ)めているような絵面にしか見えない。





 「ちがう、ちがう、ちがう、わしは」

 彼の身体が、徐々に震え始める。



 どうして、この男ばかり恵まれるのだ。



 南部は狂ったように叫び、男達を押しのけながら部屋を飛び出す。

 その後、彼は何日経っても、武田家に戻ることは無かった。









 こうして、一連の騒動を晴信に報告した事で、

 南部は乱交を理由に、武田家を名目上追放される。

 噂によると、南部は会津まで流浪した後、

 誰にも助けを請えずに、其処で餓死したという。


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