第2部 20話 想いの発露
デュラン男爵令息は、お姉様に手を伸ばそうとしてやめた。深く頭を下げる。
「マルグリット。ごめん。君を守ろうとしたのに傷つけてしまった」
「アレクシス……」
焦燥と罪悪感に揺れるオレンジの瞳と、恋心と誇りを傷つけられた悲しみに潤む瞳が見つめ合う。
デュラン男爵令息は、赤裸々に思いを語った。
「俺は、君がこの8年間どう過ごしていたか。かなり詳しく知っている。
君を助けたくて……いや、それだけじゃない。俺が君と結ばれるため、ベルトラン子爵家の使用人や出入り業者に接触し、情報を仕入れていた」
「……当家に間諜を忍ばせていたということかしら?」
お姉様は滲んだ涙をハンカチで拭き、冷めた眼差しでデュラン男爵令息の真意を探っている。
さっきまでの恋する乙女はどこかに行ったようだ。デュラン男爵令息も気づいたらしく、表情が強張る。
「俺の手先は潜り込ませていない。使用人も出入り業者も、君が心配だからわずかな報酬だけで情報を流してくれたんだ。彼らを責めないでやって欲しい。責任は全て俺にある」
「そう。この件については後日判断するわ。アレクシス、話を続けて」
「……君は、本当に酷い目にあっていた。家族から山ほど仕事を押し付けられ、肉体的にも精神的にも虐待されていた。
助けようにも使用人たちの証言だけでは弱い。しかし、このままでは君は壊れてしまう。
だから俺は、教会に訴えかけて聖女ミシエラ様と聖騎士ルグラン様を派遣してもらった」
「ん?初めから俺たちを指名していたのか?」
デュラン男爵令息はルグラン様にうなずいてから、私のことを軽くにらんで目を逸らした。
そして、お姉様への慕わしさを滲ませながら説明する。
「ベルトラン子爵令嬢の魔炎病を治す。という建前での派遣だけど本当は、マルグリット、君を助けて頂くためだ。
聖女ミシエラ様は、聖人聖女の中でも正義感が強く苛烈なお方。君に対する虐待を見逃さないし許さないだろうと思った。
その後は俺が君を保護しようと思ったが……ベルトラン子爵令嬢が思いがけない行動に出た」
そう。私が前世の記憶を取り戻したことで、全てが変わった。両親は虐待や仕事の放棄などで逮捕され、お姉様と私は保護された。
「聖女様方が派遣されてすぐ、情報規制が厳しくなった。その時点では、君たちがどうなったか正確なことはわからなかった。
【恐らくベルトラン子爵令嬢は回復し、前子爵夫妻は逮捕されたのだろう】そう予想をつけながら、俺は情報を得る機会をうかがっていた。
そんな中、ルグラン様から連絡が入った。マルグリットがベルトラン子爵位を継ぐこと、ベルトラン子爵令嬢が正気に戻ったこと等を教えて頂いた。
そして、元トリュフォー伯爵令息について調べるよう依頼された。
案の定、あの恥知らずは君を蔑ろにしたばかりか、浅ましく悍ましい企みを……!」
ギシリと耳障りな音がした。デュラン男爵令息が、奥歯を噛みしめ怒りに唸る音だった。
黒々しい怒りのままジョルジュを罵りつつ、どうやって調査したか話した。
「そしてルグラン様とベルトラン子爵令嬢に、君を守るため協力することを打診された。
俺はとても迷ったよ。ルグラン様はともかく……アナベル・ベルトラン子爵令嬢が信用出来なかったからね。だから、君を傷つけないためにも条件をつけたんだ」
私を冷ややかに貫くオレンジの視線。蓄積された憎悪と怒り。そして明確な殺意によって、視線は刃より鋭い。
「……っ!」
刃を首筋に突きつけられた。あるいは、獰猛な肉食獣に睨まれた鼠の気分だ。全身から血の気と体温が引いていく。息が出来ない。気が遠のいて……。
「アナベル嬢」
私にしか聞こえないくらい小さな声と、寄り添う体温に我に返った。
デュラン男爵令息の殺意は依然としてあって、私を見る目は冷たい。だけど、私は一人じゃない。お姉様だって、様子のおかしい私に心配そうな顔をして……あれ?怒ってる?
「アレクシス!アナベルに殺気をぶつけないで!それに信用できないってどういう事よ!」
お姉様は身を乗り出す勢いで怒鳴った。デュラン男爵令息は一瞬傷ついた顔をして、キッと私を睨みつける。
「こいつは君の不幸の元凶だ。こいつが魔炎病に罹ったせいで、俺と君の縁談は潰されたし、君は虐待された。俺は君に会うことも手紙をおくることも出来なくなった。
こいつが君を虐待していたのは、魔炎病に罹っていて錯乱してたせいだって?本当かどうかなんてわからない。また君を傷つけない保証なんてないじゃないか」
言い返せなくてうつむく……間もなく、お姉様の怒声が響いた。
「アナベルはそんな子じゃない!酷いことを言わないで!それに元凶はアナベルじゃない!元両親と私の弱さのせいよ!」
「君に非なんてない!全部こいつと元子爵夫妻のせいだ!」
え?え?二人ともめちゃくちゃヒートアップしてるうう!
お姉様がこんなに怒るのを初めて見た!というか、この2人が怒鳴るなんて小説でもほとんど無かったのに!
私が慌ててる間にも口論は続く。
「アナベルをこいつって言わないで!私の大切な妹なの!」
「こんな奴!こいつで充分だ!君のものを奪って八つ当たりして!今さら淑女ぶってるのも気色が悪い!」
「だからそれには事情が……!」
「君を本当に大切に思ってるなら、魔炎病に罹っていても感情をおさえれたはずだ!
そうでなくても、君を傷つけた過去は無くならない!俺はこいつを信じないし許さない!俺が!」
ダァン!と、デュラン男爵令息の拳が机を打った。
「俺が君と婚約して君を幸せにするはずだったのに!その機会を潰した!今こうやって君と言い合ってるのもこいつのせいだ!絶対に許さない!」
ビリビリと空気が震え、沈黙が降りる。
怒鳴り合いが終わったのはいいけど、剥き出しの敵意が怖い。それに、この重い空気どうしよう……。
内心でガタガタ震えていると、ルグラン様がにっこり笑って両手をパン!と、叩いた。
「ベルトラン子爵閣下。デュラン男爵令息。お二人とも言いたいことは言い尽くしたようですね。では、少し落ち着いてアナベル嬢の気持ちも聞いてあげて下さい」
「「「は?」」」
私、お姉様、デュラン男爵令息の声がハモる。いや、何でここで私の気持ちを話すの?どういうタイミング?
ルグラン様は笑顔に圧を込めて言う。
「デュラン男爵令息。許可を得たとはいえ、子爵閣下と子爵令嬢……特に、アナベル嬢に対して無礼が過ぎる。彼女の言い分も聞くべきだ」
「ルグラン卿!お言葉ですが、こいつの言うことなど……っ!」
「黙れ。無礼者が」
「……っ!」
ルグラン様がまとう空気が変わる。ズシンと重さを感じるほどの威圧感。
「俺の愛する人をこいつ呼ばわりするな。感情にまかせて喚くのを止めろ。
お前はアナベル嬢がそうさせたと思いたいらしいが、ベルトラン子爵閣下に怒鳴ったのは、お前自身が感情を制御出来ない未熟者だからだ。
これ以上わめくなら、この場で殺す」
本気だ。静かな声に薄い笑顔だけど、脅しではない。本気だとわかる重みがある。
これが、魔獣退治で命をかけている聖騎士の殺気。デュラン男爵令息の殺意など、比較にもならない。
私とお姉様はすくみ上がり、デュラン男爵令息は息を荒げて苦しんでいる。
「か……!はっ……!……!」
「どうした?返事をしろ」
「……っ!……ぐっ……!わ、わかり……ました……!」
デュラン男爵令息は、脂汗を浮かべ悔しそうに頷く。途端、殺気が軽くなった。
「過去の出来事を恨むのはいい。仕方ないことだ。嫌味を言うのも許容範囲だ。
だが今のアナベル嬢は、君にもベルトラン子爵閣下にも危害を加えていない。むしろ君たちのために協力した立場だ。
最低限の礼儀をもって接し、話を聞くくらいの度量は見せろ」
「……はい……仰る通りです。ベルトラン子爵令嬢、失礼しました。お話をうかがいます」
うわー!完璧な他所行きの笑顔で謝られた!爽やかな笑顔なのに禍々しい!
この流れで何を言えっていうの?怖い!
あ。でも、そうか。
デュラン男爵令息が本音をぶちまけた。ある意味で心を開いた今の方が、私の言葉は届くかもしれない。
なら、私が言うことは決まっている。
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