第2部 19話 マルグリットとアレクシス
トリュフォー伯爵が退出してすぐに、アレクシス・デュラン男爵令息が談話室に入ってきた。
「失礼します」
「どうぞ」
私、お姉様、ルグラン様はソファから立って出迎えた。
私もお姉様も、直接会うのは8年ぶりだ。ずいぶんと立派になっている。
美しく撫で付けた赤髪、優しそうなオレンジ色の瞳、人の良さそうな整った顔立ち、ルグラン様ほどではないけれど背が高くがっしりした身体。
厳かに礼をとり、お姉様からの声がけを待つ。
小説のイラストそのままの爽やか好青年風イケメンだ。
お姉様の黒い瞳が、一瞬だけブラックダイヤモンドのように輝く。泣きそうな笑顔を浮かべ、また淑女の笑みになる。
「改めてご挨拶するわ。マルグリット・ベルトラン子爵よ。アレクシス・デュラン男爵令息。お久しぶりね。貴方と再びお目にかかれて嬉しいわ」
「マルグリット・ベルトラン子爵閣下。お久しゅうございます。デュラン男爵が息子アレクシス、閣下の夜の女神の如くお美しいお姿を拝見し、ご挨拶する機会を頂き恐悦至極に存じます」
お姉様への恋心を込めているからだろうか、静かな口上なのにとても耳に残る。お姉様は頬を染めてはにかんだ。
か、かわいい!そんな場合じゃないけど!
「デュラン男爵令息。素敵なご挨拶をありがとう。すでにご存知でしょうけど、妹と妹の婚約者候補を紹介するわ」
その後、お姉様は私とルグラン様を紹介し挨拶を交わした。
挨拶はお互いとても普通にした。だけど。
「ベルトラン子爵令嬢も、お元気そうで何よりです」
「……っ!」
私は少しだけルグラン様に身を寄せた。デュラン男爵令息が、一瞬だけ凄まじく冷えた眼差しで私を見たから。
背中に冷や汗が流れる。
うん。そりゃあ、私を恨んでるし怒ってるよね。
8年前。癇癪を起こしてデュラン男爵令息とお姉様の縁談をぶち壊し、二人が会えないようにした。
そして現在。私はまた、怒らせるようなことをしたのだから。
怖い。今すぐ逃げたい。
きっと、小説のアレクシス・デュラン男爵令息と同じく、私を過剰ざまぁして破滅させるつもりに違いない……!
「……」
優しい感触に、暗い思考が途切れた。そっと、ルグラン様の手が私の背に触れていた。
そうだ。私は一人じゃない。この世界は小説とは違う。
小説の私とお姉様は決別した。お姉様はドアマットヒロインから、溺愛される若奥様になった。
現実は違う。私たちは和解した。お姉様はベルトラン子爵として、その能力を発揮している。
小説と現実は違う。
私は落ち着きを取り戻し、デュラン男爵令息に微笑み返した。オレンジ色の瞳は冷ややかだけど、先ほどのような敵意はぶつけてこない。
デュラン男爵令息が、何を話す気かは知らないけど、このままお互いに冷静に話ができればいい。
◆◆◆◆◆◆◆
デュラン男爵令息は、トリュフォー伯爵が座っていたソファに座った。意外なことに、なかなか本題に入らない。
対面に座るお姉様に柔らかな眼差しを注ぎつつ、思い出話や世間話をしている。
「はい。薬効も確かで、想定以上に良い薬が出来ました。閣下、覚えていらっしゃいますか?二人で見学したあの薬草畑で育てているんですよ」
「村の南端にある大きな畑かしら?懐かしいわね。二人で畑の中に入って手伝いをして……。私たちは楽しかったけれど、お付きの侍女たちが真っ青になっていたわね」
「ははは!そうです!
あの時の侍女や護衛からは、今でも言われるんですよ。「子爵家のお嬢様に畑仕事をさせるなんて!」って。確かにその通りですが、閣下は私たちの生業に敬意を抱いてくださった。
話を聞いて謝る両親に「とても素晴らしい経験でした。またお手伝いさせて下さい」と、仰られた。あの日から、我が家は閣下の信奉者ばかりなのですよ」
「まあ!嬉しいことを。ふふふ。私はただ思ったままを言っただけよ」
今はお姉様だけに話しかけているが、私やルグラン様にも会話をふるのを忘れない。
流石は、薬師であり若くして成功した商会長だ。話をするのも聞くのも上手い。
空気がほぐれ、先程の冷たい眼差しは私の錯覚のような気がしてきた。
駄目。恐れすぎても駄目だけど、油断するのはもっと駄目。
デュラン男爵夫妻と良く似た柔和な雰囲気だが、油断ならない腹黒男だ。今回の件で、【協力者】として暗躍した男だ。
そう、服装からして侮れない。
デュラン男爵令息が着ているのは、黒を基調にオレンジ色の差し色が入った礼服だ。
マルグリットお姉様の、黒とオレンジのドレスと色合いが同じだ。おまけにカフスピンやクラバットピンは黒真珠。お姉様の黒真珠のパリュールと対応している。
二人で並んで立てばお揃いに見えるだろう。
こ、怖い。お姉様のドレスの配色も装飾品のことも、私もルグラン様も一切教えてない。家宝のパリュールはともかく、ドレスは既製品を我が家でリメイクしたから、デュラン男爵令息が知っているのはおかしい。
いや、この令息なら調べられるか。この歳で王国の裏にも通じているため、情報収集能力が異様に高いのだ。
それにしても、縁談の話すら出てないのにお揃いの衣装を用意する?執着怖い。
あ。でも、お姉様もドレスにデュラン男爵令息の瞳の色を加えてたし、愛が重いのはお互い様か……。
やっぱり二人には結ばれて欲しいなぁ。
怖いけど。
などと考えていたら、会話の流れが変わった。
「それにしても、ベルトラン子爵令嬢は聡明でいらっしゃる。魔炎病から快癒して半年も経たないうちに、淑女としての作法と知識を身につけていらっしゃるのですから」
「恐れ入ります。全ては国王王妃両陛下のご采配と、姉であるベルトラン子爵閣下、後ろ盾であるドゴール伯爵閣下、こちらにいらっしゃるルグラン様のお陰です」
「ご謙遜を。ご令嬢の努力と元来の聡明さ故でしょう……まさか、その聡明なお方がお約束をないがしろにされるとは思いませんでしたが」
来た。ここで言うとは思わなかったけど、あの条件を破ったことをちくりと刺された。予想していたことだ。
「今回お時間を頂いた理由は二つございます。一つは、ベルトラン子爵令嬢のご真意をうかがいたい」
今回。私とルグラン様は、ジョルジュからお姉様を守るためと、デュラン男爵令息との関係を改善するため、デュラン男爵令息と接触して協力しあった。
協力の条件は以下の通りだ。
【ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息の計画内容と、計画を潰すためデュラン男爵令息が関わることを、マルグリットお姉様に知らせないこと】
だというのに、お姉様は全てを知った上で、デュラン男爵令息と連絡を取った。
デュラン男爵令息はさぞ驚き怒っただろう。しかし、夜会直前というタイミング、お姉様を守るためには協力しあった方がいいという事実ゆえ、この瞬間までは何も言わなかった。
これは、条件を守れなかった私に非があるので謝罪しようとしたけど……。
「デュラン男爵令息。我が妹アナベルは、貴方の提示した条件を破っていないわ」
お姉様がそれまでの親しみを滲ませた笑みを消し、圧のある笑みを浮かべた。
「アナベルもルグラン様も、あの愚か者の企みと貴方のご協力については黙っていました。私が自分で気づいた。貴方と連絡していることを突き止め、当主としてアナベルに全てを話すよう命じたのよ」
「……左様でございましたか」
そう。お姉様は自分で私たちの動きに気づいたのだ。
そして正式にベルトラン子爵となり子爵家当主となったあの日、私たちを追及して全てを知った。
カッコいい!流石は有能で頼もしいマルグリットお姉様だぜ!
……というか私とルグラン様は「多分、お姉様は打ち明けなくても気づくだろうから、とりあえず条件を飲んでおこう」「そうだな」などと言って、バレる前提で隠していたのだ。
もっと必死に隠せ?いや、だって、お姉様の身の安全に関わるし、ベルトラン子爵家当主のお姉様が何も知らない状態なのはおかしいじゃん。
それに、今のお姉様は守られるだけの可哀想な令嬢じゃない。ベルトラン子爵家を引っ張って行く、強く賢いご当主様だ。
だから私は、あえてそこまで必死に隠さなかった。
確かに私は、デュラン男爵令息の信用を得たかった。でもそれ以上に、お姉様を当主として尊重したいし、一番の味方でいたい。
例え腹黒担当イケメンに恨まれて、小説と同じく命を狙われることになったとしても、それは譲れなかった。
いや、死にたくないし怖いけどね!
デュラン男爵令息は、笑顔の仮面をつけたまま頷いた。
「貴族令息令嬢は、貴族家当主に従うもの。なるほど。ベルトラン子爵閣下のご慧眼と、ベルトラン子爵令嬢の忠誠心を見誤ったという訳ですね。
ベルトラン子爵令嬢、不躾なことを言いました。申し訳ございません」
「いえ。どうぞお気になさらず」
わー!謝罪されてしまった。お姉様が自分で気づいたことを伝えるタイミングがなかったとはいえ申し訳ない!
「デュラン男爵令息は、どうして私に何も知らせないようにしたの?」
「閣下のお心を煩わせたくありませんでした」
それも本音だろうけど【お姉様には綺麗で純粋なものしか見てほしくない、デュラン男爵令息の裏の顔も知られたくなかった】が、本音でしょう。
デュラン男爵令息の真意ついては、お姉様には話していない。
たぶん、これも察してしまうから。
「デュラン男爵令息。今回の件は助かったわ。だけど、ベルトラン子爵家当主である私を侮りすぎよ」
「侮ってなど……!」
予想外だったのか焦りをみせるデュラン男爵令息。お姉様は構わずに話を続けた。
「私はもう、助けを待つだけの子供ではない。貴族家の当主であり、一人の人間として自立している。
愚かな企みを知ろうが、貴方の裏の顔を見ようが、私は傷つかない。
……私は貴方に幻滅なんてしないのに、私を守ろうとしてくれたのに、どうして教えてくれなかったの」
「……っ!閣下……!」
マルグリット・ベルトラン子爵としてアレクシス・デュラン男爵令息に淡々と話していたのに、最後だけ声が震えていた。
ただのマルグリットとして、アレクシスに話しかけていた。
デュラン男爵令息の条件が、いかにお姉様にとってショックだったかがよくわかる。
「閣下はやめて。昔みたいに名前で呼んで。貴方の本音を聞かせて……アレクシス」
デュラン男爵令息は、お姉様に手を伸ばそうとしてやめた。深く頭を下げる。
「マルグリット。ごめん。君を守ろうとしたのに傷つけてしまった」
ストックがなくなりました。しばらく更新できないかもしれません。早く再開できるよう頑張ります。
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