第2部 12話 静かなる断罪 後編
トリュフォー伯爵令息はお姉様を虐げ、婚約者の義務も果たさなかった。
しかも婚約者の妹に、直接的な言葉がないとはいえ秋波を送っている。あの頭が沸いた手紙が良い証拠だ。
挙げ句の果てに、本来ならお姉様に使うはずの予算を平民の浮気相手に使っている。
お姉様は襲爵と同時に、トリュフォー伯爵夫妻に連絡して話し合った。
私はその場にいなかったが、こんなやり取りがあったそうだ。
場所は、ベルトラン子爵家のタウンハウスだ。伯爵夫妻を呼び出し、護衛騎士が睨みを効かせた。
ちなみにベルトラン子爵家には、平民の兵士はいても護衛騎士はいなかった。ルグラン様が知り合いの騎士に声をかけてくれたのだ。
平民の兵士と、騎士爵もちの騎士では威圧感と権限の重みが違う。
お姉様は心強い護衛を背景に、証拠を提示した上で言い放った。
「ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息との婚約は、破棄します」
すると、伯爵夫妻は慌てたそうだ。
二人は何も知らなかった。お姉様を虐げていたことも、私に言い寄っていたことも、平民の浮気相手と続いていたことも。
しかし、知らなかったでは済まされない。
令息が長年に渡り婚約者を虐げ、その妹に秋波を送り、挙げ句の果てに不貞して婚約者との交流予算を使い込んでいた。
お姉様個人とベルトラン子爵家への、明確な侮辱行為だ。
しっかりと証拠を揃えているので、婚約破棄するのは容易い。
理由が理由だ。令息だけでなく、令息の愚行に気づかなかった伯爵家そのものの醜聞になる。お姉様はさらに追及した。
「令息……いいえ、令息だけではなくトリュフォー伯爵家自体が、前子爵夫妻の罪に気づいた上で黙認していた。あるいは、積極的に関与していらしたのでは?
前子爵夫妻の罪の全容をはっきりさせるためにも、この件を訴えるべきではと考えています」
と、言い放つ。伯爵夫妻は関与を否定し、訴えないよう頼んだ。
まあ、実際に関与してないだろう。
小説でもそうだった。トリュフォー伯爵夫妻は、良くも悪くも貴族らしい貴族だ。家族への情は薄い。
特に、嫡男でもスペアでもない三男との交流は希薄だった。さらにその三男は、上辺を取り繕うことだけは上手かった。家族の前では人畜無害を装い、問題らしい問題を起こしたことはない。
トリュフォー伯爵夫妻にとって、ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息は【トリュフォー伯爵家にとって害にならない家に婿入り出来れば良し。出来なければ除籍すればいい】程度の存在でしかなかった。
ベルトラン子爵家と縁を結んだのは、政略的に毒にも薬にもならないから。だから実際には、作物の優先的な輸出もなかったし、二家の間は没交渉だった。
その無関心さが仇となる。
トリュフォー伯爵家の方が、ベルトラン子爵家より爵位も家格も資産も上だ。しかし、この王国の司法は公正で、忖度は期待できない。
というか、お姉様が裁判することを公表するだけでもヤバい。【トリュフォー伯爵夫妻は、三男の数々の愚行に気づかなかった無能】というレッテルを貼られかねない。長男次男の縁談にも影響が出るだろう。
充分に脅したところで、お姉様は以下のように提案した。
「いずれにせよ、ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息と婚約を継続するのは不可能です。
どう考えても破棄が相当ですが……穏便に婚約解消してもよろしいですよ。当家としても、トリュフォー伯爵家と対立することを望みません。
条件は二つです。婚約解消同意書を作成し費用を支払うことと、こちらが用意した筋書きに従うことです。
そうすれば裁判は起こしませんし、慰謝料も求めません」
この王国では、離婚や絶縁と同じく婚約解消は難しい。しかし、どうしても早急に手続きしなければならない場合もある。
その場合は、両家の当主が婚約解消同意書を作成し、高額の申請費用を支払うのだ。
ただし高額とはいっても、慰謝料や裁判の悪影響による不利益に比べれば安く済む。トリュフォー伯爵も、費用負担については有りだと判断した。
「では、筋書きとやらを聞かせてもらおう」
「幾つかございます。トリュフォー伯爵家にとって、最良のものを選んで頂ければ幸いです」
お姉様が説明し、トリュフォー伯爵夫妻は筋書きを選んだ。
そして今に至る。
◆◆◆◆◆
トリュフォー伯爵が、お姉様に笑いかけた。
「ともかく、これで無事に婚約解消できる。ベルトラン子爵は相応しい婚約者を迎えることができる。何よりだ」
「ええ。トリュフォー伯爵閣下の仰る通りです」
お姉様は艶然とした笑みを浮かべ、閉じた扇子で手のひらを叩いて令息を眺めた。
令息の顔は、青ざめて冷や汗が滴っている。
「トリュフォー伯爵令息も嬉しいでしょう?令息には、長らく当家の都合に付き合わせてしまったもの。
貴方の「真実の愛」にも悪かったわね」
「!!」
ヒュッと令息が息を呑む。青い瞳が雄弁に語る。「どうしてお前が彼女のことを知っているんだ?」と。
私もお姉様の言葉に乗っかった。
「ええ。令息のお相手については、よくお話を聞かせて頂きましたわ。平民の方だとか。茶髪に緑色の瞳の、とても魅力的な方だそうですね。
その方と結ばれるため平民になるのを選ぶだなんて、ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息は情熱的でございますね」
「あ……あぁ……あ……」
「ジョルジュ、どうした?さてはシャンパンを飲みすぎたな」
「祝杯だと言って何杯も飲むからだ」
冷や汗どころか震え出した令息を心配するていで、他の家族が令息を周囲から完全に隠す。そして令息の呻き声をかき消すように、朗らかに話を続けた。
「私たち兄弟も、末っ子の恋を応援するために手を回したんですよ。
トリュフォー伯爵領内で、夫婦共々農民として暮らせるよう手配済みです」
「我が領地の中でも過疎が進んでいる土地でしてな。人手はいくらあっても困らないのです」
「結婚式も行いますのよ。いえ、当家を出て平民になりますから、私どもは出席しません。寂しいですがケジメというものですわ」
「ジョルジュは本当に幸せ者だなあ。誰にも邪魔されず、愛しい恋人と二人きりで暮らせるんだ」
「おめでとうジョルジュ」
「おめでとう」
朗らかに明るく、これから令息がどうなるか話す。
私たちと、私たちの会話に耳をそばだてている周囲に聞かせるために。
これで周囲は、お姉様と令息の婚約解消は円満なものだったと認識するだろう。
お姉様が背筋を伸ばし、もはや形だけでしかない婚約者に向き合った。
「ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息。以前からの取り決め通り、貴方との婚約は今宵限りで解消するわ」
令息はよろめいた。その身体を長男が掴んで支える。令息を見る眼差しは鋭く厳しい。
無理もない。ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息は、子爵家に婿入りするチャンスを棒に振り、家名を傷つけかねない愚行を重ねたのだから。
それでも、まだ温情のある処置だ。
廃嫡されて平民となり、農民としてトリュフォー伯爵領内の過疎地に押し込められる。
王子様みたいな繊細な美貌……というか、薄っぺらくてヒョロヒョロした身体の青年に農業が出来るか怪しいけど、少なくとも命は奪われない。
というか、やらかしがやらかしだ。お姉様が用意した筋書きの中には【令息を速やかに急死させるか、大怪我をおわせる】や【問答無用で廃嫡して放逐し、頃合いを見て急死させる】があった。
伯爵夫妻が非情で面倒を嫌う性格なら、この二つのうちどちらかを選んだだろう。
伯爵夫妻はそれらを選ばず【ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息は、子爵家の婿入りを蹴り平民の恋人を選んだ。貴族としては失格だが、男としては甲斐性がある。婚約者と家族も後押しし、円満に婚約解消して令息の門出を祝った】と、した。
……案外、わかりにくいだけで家族としての情があったのかもしれない。
ともかく、現実のジョルジュ・トリュフォー伯爵令息は運がいい。
小説みたいに【異常性癖の女性と結婚して、性奴隷として浮気相手と共に死ぬまで弄ばれる】よりは、はるかにマシな結果だ。
しかし令息自体は温情に気づいてないらしく、震える声が悪あがきする。
「き、君……ベルトラン子爵、貴女は僕のことを慕っていたのでは?」
「私が貴方を?」
お姉様は本当に驚いたのだろう。軽く目を見開く。表情を整えて、周りに聞かれないよう小声で囁いた。
「貴方は元両親に決められた婚約者。それ以上でも以下でもないわ。
少し前まで「トリュフォー伯爵令息と結婚すれば、家族との仲も改善される」なんて、根拠のない期待と貴族としての義務感はあったけど、貴方自身には興味はなかった。
そもそも貴方のことをよく知らないのよね。会話らしい会話をしたこともなかったし……。
貴方が婚約者としての義務を果たしていれば、違っていたかしら?」
「そ、そんな……」
「ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息。今までお世話になったわ。どうぞ真実の愛とお幸せに。
貴方はもう必要ない。用済みよ」
お姉様は淑女の笑みを崩さず言い放った。
偶然にも、小説の令息がアナベルを捨てる時と対応するような言葉を使ったからか、心がスッとする。
令息は次男に連れられて退出した。夜会が終わるまで控室に押し込めるそうだ。
さて、これで大人しく諦めればいいけど……。
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