7話 小説と現実 アレクシス・デュラン
小説『聖女はドアマットを許さない』にて。
アレクシス・デュラン男爵令息は、文武両道の好青年であり、若くして成功した実業家だ。
特に薬師と商人の才能が抜きん出ている。なにせ、14歳で自分の商会を作り瞬く間に成功したのだから。
もともとデュラン男爵領は、様々な薬草を栽培して輸出している。薬を扱う商会と薬師も多く、薬師になるための教育機関まであるそうだ。デュラン男爵令息の成功は、その影響が大きいのだろう。
とはいえ、全ては本人の才覚と努力あってのことだ。
デュラン男爵令息のあつかう薬は、良質で適正価格と評判だ。難しい調薬もこなせる。おまけに、教会の神官に薬学を教えるビジネスは大当たりした。
そしてデュラン男爵令息は、築き上げた財力と人脈を二つの目的のために使った。
『ああ、マルグリット。どうか無事でいてくれ。きっと君を助けてみせるから』
一つ目の目的は、マルグリットお姉様を劣悪な環境から救うことだ。
デュラン男爵令息は教会に働きかけ、ベルトラン子爵領に聖人聖女が派遣されるようにした。
私が罹患していた魔炎病は、この時点では聖人聖女でしか治せない難病だ。ちょうど、ベルトラン子爵家でも治療費を用意できたので、聖人聖女の派遣申請を出していた。
本来なら申請してかなり待たされるが、デュラン男爵令息の働きの影響もあり、かなり早い段階で聖女ミシエラ様と聖騎士エリック・ルグラン様が派遣されることになった。
デュラン男爵令息は二人のことを調べた上で、教会の上層部を通じて接触した。
『マルグリットは今も虐げられています。私は彼女を助けたい。どうか、協力して頂けないでしょうか?』
この訴えは、聖女ミシエラ様に効いた。小説の聖女ミシエラ様は、現実と同じく正義感が強い。そしてある事情があって、ドアマットヒロインを守るためなら何でもするのだ。
『なんて酷い話でしょうか。わかりました。ぜひご協力を……』
『話が本当ならな。言っておくが、俺もミシエラもタダ働きはしないぜ』
『エリック!』
小説のルグラン様は、人嫌いで怒りっぽく疑い深い。聖女ミシエラ様以外の人間は、なかなか信用しなかった。
『ミシエラ。お前はこの手の話を信じすぎだ。全部コイツの嘘で、妙なことに巻き込まれるかもしれないぜ』
『そんな言い方をするなんて……』
『いいえ、ルグラン様の仰る通りです。どうぞ、お二人の目でお確かめ下さい。
無理をお願いしますので、もちろん報酬も用意しております。まずは、こちらの前金をお納め下さい』
『ふん。いいだろう。保護した場合だが、虐待の立証は手間だ。
女はお前のところに連れて行く。それでいいな?』
『はい。構いません』
以上が、小説内でのやり取りだ。
だから小説の聖女ミシエラ様とルグラン様は、ベルトラン子爵家を追い出されたマルグリットお姉様を速やかに保護できたのだ。
『マルグリットは救い出せた。次はあいつらへの報復だ』
そして、デュラン男爵令息のもう一つの目的は、マルグリットお姉様を傷つけた者たちを徹底的に破滅させることだ。
特に二人の縁談を壊して引き離した私と、マルグリットお姉様の婚約者でありながら彼女を虐げたジョルジュ・トリュフォー伯爵令息に対して苛烈だった。
ベルトラン子爵家が没落して、私たちが借金取りに攫われるよう誘導したのも。
私を捨てたトリュフォー伯爵令息が、とんでもない目にあって平民の愛人共々破滅したのも。
全てデュラン男爵令息が裏で手を引いていたのだ。しかもそれを知るのは、ごく少数の人間だけ。
特にマルグリットお姉様には、自分の本性を最後まで隠し通したのだというから徹底している。
あくまでも『愛する幼馴染を助けるため、聖女と聖騎士に懇願した』だけとなっていた。
本当に腹黒で黒幕って感じ。怖い。
◆◆◆◆◆◆
では、現実のデュラン男爵令息はどうか。
現実のデュラン男爵令息も、聖女ミシエラ様とルグラン様ら聖騎士たちに働きかけていた。
最も、小説と全然違う聖女様一行は冷静で親切だった。
ルグラン様いわく、こんなやり取りがあったらしい。
◆◆◆◆◆◆
デュラン男爵令息から話を聞いた聖女ミシエラ様は、まずこう話した。
「デュランさん。情報を提供していただき感謝します。私たちも情報収集し、しっかりと準備した上でベルトラン子爵家に行きます。
エリック、ベルトラン子爵夫妻による虐待と領地経営の放棄が真実なら、その場で取り押さえることも可能ですよね?」
「ああ。取り押さえた後は、貴族院に連絡した方がいいな。ただし、慎重に行動すべきだ」
聖女ミシエラ様もルグラン様も、冷静に判断していた。
ルグラン様にいたっては「現時点では、デュラン男爵令息の集めた証言しか根拠がない」として、あまり信用していなかった。
その後、自分たちで情報収取して「子爵夫妻がアナベル嬢が甘やかし、マルグリット嬢を蔑ろにしているのは確実らしい」という判断を下した。
虐待かどうかは実際に行ってみないとわからない。思い込みで目を曇らせてはならない。そう自戒しつつ子爵家に来たのだとか。
そういった内心を知らないデュラン男爵令息は、頭を下げて感謝した。
「ありがとうございます。マルグリットは私が保護を……」
申し出に、聖女ミシエラ様もルグラン様も眉をひそめた。
「お気持ちはお察ししますが、それは無理です。ベルトラン子爵家内の様子次第では、監査が必要です」
「ああ。マルグリット嬢は後継者だ。監査対象になる」
「そんな!」
デュラン男爵令息は悲壮な顔になり、二人の足元に跪いて懇願した。
「マルグリットは何の罪も犯していません!どうかご慈悲を賜りますよう、伏してお願い申し上げます!」
「デュランさん。申し訳ありませんが、私もエリックも法に則った対処をするまでです。ですが、ご安心ください」
聖女ミシエラ様は膝をついて、デュラン男爵令息の目を見て語りかけた。
「貴方のお話を聞く限り、マルグリットさんが罪に問われる確率は低いです。再会は、監査が終わってからでも充分間に合いますよ」
「これ以上待つなんて……!」
デュラン男爵令息の瞳が剣呑に光る。ルグラン様は剣の柄に手を置いた。
それに気づいたからか、デュラン男爵令息は弱々しい様子に戻った。
「……いえ、聖女ミシエラ様の仰る通りです。無理を言って申し訳ございません」
「構いません」
「……」
ルグラン様は剣の柄に手を置いたまま、引き続きデュラン男爵令息を観察した。
◆◆◆◆◆
時は、私とルグラン様の話し合いの場に戻る。
ルグラン様の黒い瞳が、厳しく私を見つめた。
「アナベル嬢。君が警戒している通り、デュラン男爵令息は癖者だ。
何度かやり取りして確信した。令息は人当たりが良くて誠実だが、目的のためなら何でもする執念深い男でもある。
己の人脈を駆使してベルトラン子爵家の実情を掴んでいた点といい、俺たちを利用してマルグリット嬢を保護しようとしていた点といい、信用できるかあやしい。小説と同じく君のことも恨んでいるだろう。
それでも手を組むのか?」
ルグラン様の言う通りだ。大体、小説の私に対して過剰『ざまぁ』した相手なんだから、避けるべき相手だ。だけど。
「私のせいでマルグリットお姉様とデュラン男爵令息の縁談が潰れたんだから、恨まれて当然だよ。
でもこれから家族になるから、今よりは信用されたい」
「家族になる?どういうことだ?」
「私は、マルグリットお姉様とデュラン男爵令息に結ばれて欲しい。
あっ!小説でそうだったから言ってるんじゃないよ!
デュラン男爵令息は腹黒で怖いけど、お姉様への愛情は本物。お姉様も、今でもデュラン男爵令息の事を想ってる。
そして二人が結ばれたら、私とデュラン男爵令息も家族になる。信頼関係ゼロどころかマイナスのままだと色々問題だと思う。
だからデュラン男爵令息と協力して、あのクズを潰す。そして、お姉様と結ばれるようサポートしたい。
そうすれば、今の私はデュラン男爵令息とお姉様に危害を加えない。少しは信用できるって思ってもらえるはず……甘い考えかな?」
黒い瞳が少し和らぎ、ため息がこぼれた。
「確かに甘いな。向こうが許したふりをして、君に危害を加える可能性もある。
だがまあ、相手から信頼されるよう努力するのは悪くない考えだ。俺もしっかりサポートするし、君を守るよ」
「ありがとう!ルグラン様!」
「お礼はハグとかキスとかで」
「それはまだ駄目」
しゅんとするルグラン様。
「そんな顔をしても駄目だってば。というか、ハグなんてしたら部屋の隅にいる侍女たちが走ってくるし、大騒ぎになるよ」
彼女たちに私たちの話は聞こえない。物理的な距離だけでなく、ルグラン様の魔道具で音を聞こえにくくしているからだ。
でも、姿を隠したり誤魔化したりする魔法じゃない。近づき過ぎると止められるし、お姉様たちに報告されてお叱りを受ける。
「はあ。早く婚約、いや、結婚したい。……で、君はデュラン男爵令息の条件を飲むんだな?」
私とデュラン男爵令息が協力する条件。
【ジョルジュ・トリュフォー伯爵令息の計画内容と、計画を潰すためデュラン男爵令息が関わることを、マルグリットお姉様に知らせないこと】
デュラン男爵令息の気持ちもわかる。
お姉様にクズの計画を知らせたくないだろうし、計画を潰すために自分が暗躍することも知られたくないだろう。
小説でもそうだった。要するに、お姉様には綺麗で純粋なものしか見てほしくないのだ。
だけどそれは、お姉様の目を塞ぎ耳を閉じる行為でもある。
小説のお姉様はそれでよかった。
小説のお姉様は、デュラン男爵令息と結ばれて、デュラン男爵領で宝石果と薬草の栽培をし、彼と共に商会を盛り立てていく。
後に輝かしい功績を上げ、二人は子爵に叙されるのだが、それを話すと長くなるので省略する。
一方ベルトラン子爵家は、小説の私と両親のせいで取り潰しになり、子爵領は王家預かりになる。
お姉様は子爵領のことを気にかけるけど、追い出された時に除籍されたことで、深く関われない。精々、職を失った使用人を商会で雇うくらいだった。
それを切なく思いながらも、同時に『今の自分はベルトラン子爵令嬢ではなく、アレクシスの妻であり商会長の妻。弁えなければならない』と、割り切っていた。
「現実のお姉様は違う。「自分は新しいベルトラン子爵である」という自負と誇りがある。それを踏まえて判断しないといけない」
「そうだな。俺は、マルグリット嬢の妹である君の判断を信じる」
「ううん。私、視野が狭いところがあるから、話し合って決めたい」
「自覚があったのか」
「うるさい。まずは、条件を飲んだ場合のメリットとデメリットを考えないとね」
軽口を叩きながらルグラン様と話し合った。そしてある決断をし、デュラン男爵令息あての手紙を書いたのだった。
【条件を飲みます】と、書いて。
その後。私、ルグラン様、デュラン男爵令息は頻繁に手紙のやり取りを交わした。
お姉様を守るための計画を練り、打ち合わせと情報共有をするためだ。
同時に、夜会で上手く立ち回れるようダンスと所作を磨いたのだった。
そして、いよいよ王都に出発する日が来た。
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