2 真夜中の尋問
――正直なところ、ディエルはまだいい。
彼は、剣士としての見込みや危なっかしさを功罪とともに加味し、怪我の療養と最低限の教育を施すために預かっただけ。医師から完治と診断されれば自由の身となる。その後は冒険者ギルドで新人研修を再履修するなり、フォアロード辺境伯軍に入隊するなり、本人が決めるだろう。
たとえ前者を選び、生活基盤が整うまで星明かり亭での滞在を希望したとして、いっこうに構わない。ここは、駆け出しの冒険者にこそ利点の多い宿なのだから。
しかし、アルゼリュートは。
「あの子、ちゃんと帰るつもりあるのかしら……」
ぼそりと呟いたひと言は、近くを通りがかった女給のルチルに拾われた。
「えー? 女将、それ、どっちですか」
「え? アルゼのほうよ」
とっさにきょとんと瞬くと、ルチルはきゃらきゃらと笑った。
「やだあ、女将ったら! アルゼさん捕まえて子ども扱いなんて。てっきりディエル君かと思いましたよ」
「ああ……そうね。うふふっ!」
盛大に笑ってごまかしたサラは、拭き終えたグラスを棚に戻した。
幸い、客に呼ばれたルチルは朗らかにカウンターから離れてゆく。
(危ない危ない)
油断すると、たいていの相手を年下扱いしてしまう。『ギルドマスターの養女サラ・オルタネイル』として、自身を取り繕うことを忘れがちである。
黒靄の夢魔を討伐して以降、魔力を行使しても年齢を吸い取られることがなくなった、弊害といえば弊害だった。
「実力行使かな」
黒金の髪の女将が漏らしたひと言は、今度は誰にも聞き咎められなかった。
◆◇◆
「だからと言って、こんな時間にひとの部屋を訪ねるか? ふつう」
「私を誰だと思っているの? アルゼ。ふつうではないのよ。見た目どおりの存在ではないんだと、貴方こそ思い出してちょうだい」
「……うぐぐッ」
就業時間を終えたあと。
サラは、通いの者にその日の給金を手渡して見送ったあと、宿の戸締まりや火の始末を確認し、住み込みの者が暮らす一角を訪れた。
食堂から通路を隔てた、通りから奥まった棟の二階がサラの居住スペース。一階にある、かなり手狭な個室の並びがそれに当たる。
王子様といえど、きちんと雇用した以上は優遇できない。内装はほかのスタッフ同様、最低限の物入れとベッドに机と椅子がひとつずつ。
みすぼらしくはないが、簡素極まりない室内でふたりきり。部屋着に着替えたばかりのアルゼリュートは後ずさった。
――と、見せかけて果敢にもサラの脇を通り過ぎようとするのを涼しい顔で阻む。B級冒険者にふさわしい反射速度と膂力で壁に手をついた。
「うわ!」と、つんのめったアルゼリュートは、寸でのところで踏みとどまる。
サラは勝利の笑みを浮かべた。
「アルゼ。残念だけど逃さないわ」
「サラ……その顔でそういう台詞はやめてほしい。頼む」
鮮やかな赤毛の王子は、言うなり頬を赤くした。追い詰められるまま、じりじりと壁に背を預ける。
サラは容赦ない。
「乙女のような反応をされても困るのよ。立場が逆でしょう」
「〜〜自覚はあるのか!?」
「乙女としての? ごめんなさい。ないわ」
「ううっ」
とうとう顔を両手で覆って俯き、神に何ごとか訴え始めたアルゼリュートに、身長差のあるサラが下から覗き込む。
「さあ、教えなさい。セザルク公爵家からの鳥文魔法だったんでしょう?」
「……っ、神よ……! 試練がひどい!!!!」
「かわいそうに。話して楽になることをお勧めするわ」
すでに、ノックに応えてドアを開け、サラを迎え入れた時点で王子の敗北は決まっている。
そのときサラは、驚き固まるアルゼリュートににっこりと笑いながら後ろ手に閉扉し、無詠唱で防音魔法を施した。どれだけ喚かれようと隣室には何も聞こえない。衝撃も伝わらないだろう。
結果、王子は折れた。
観念して両手を下ろし、降参の姿勢に。
「わかった。話す。だから、その、椅子にすわってくれないか。……これでは拷問だ」
◆◇◆
譲歩案を受け入れたサラを前に、寝台に腰かけたアルゼリュートは前傾で肘を膝に当てて、両手を組んで話し始めた。
「貴女の言うとおり、鳥はセザルク公爵ラズライト叔父上からだった。だいたいは私事で、世間話だ。パールレティアの行いを謝罪されたり。それでも、かねてよりの予定通り、春には領地経営を学びに来てほしいと念押されたり」
「仲がいいのね」
「人が良いかたではある」
為政者をして『人が良い』は、どうなのだろう――? と、サラは首を傾げたが、アルゼリュートにとっては人間性の肯定らしい。そのままスルーされる。
こほん、と咳払いをした彼は、複雑そうに眉をひそめた。
「叔父上は、一人娘を命がけで守った青年に礼がしたいと……窮地を救ってくれた貴女も一緒に、公爵領グレイシアへ招きたいとのことだった」




