6 雪のなかの死闘
冬の森を前に立ち、地図を広げる。巻き癖のある厚紙は汎用品で、各冒険者たちが使いやすいように書き込む実用性の高いもの。
だから、多少の雪が降りこめて濡れようとも気にしない。サラは、風に流れる白い吐息の向こうに広がる巨大な森と地図を交互に見比べた。
手元に影が差す。
キュ、と雪を鳴らし、風上にあたる右隣にアルゼリュートが立っていた。
「その、赤いバツ印が彼らの消息不明点なわけだね。我々の現在地は?」
「ここよ」
サラは、すっと地図の手前に指を置く。
アルゼリュートは巻き戻った地図を広げ、支え持った。書き込まれたちいさな文字列にぐっと目を凝らす。
「……『夏季:水馬の谷/冬季:吹雪の谷』。穏やかじゃないな。ギルドマスター殿も言っていた。ひょっとして、いまは吹雪妖精……の、巣なんだろうか」
「さすがね王子様。基礎知識がすばらしいわ」
「茶化さないでくれ、サラ」
「ごめんなさい。つい」
叱られたサラは、くるくると地図を巻いた。自嘲の笑みを浮かべる。
見どころのある生徒には、『つい』余計なことを言ってしまう。年増冒険者の悪い癖だ。
いっぽう、アルゼリュートの青い瞳には真摯な光が宿っていた。ギルドでも話していたとおり、本当に王家の宝をいち庶民のために使ってしまうつもりかもしれない。
全滅ともなりかねない状況となれば。
(そんなこと、させるわけにいかないじゃない)
意志を込め、サラはアルゼリュートをひたと見つめ返す。
すると、王子は目を瞬き、するりと視線を逸らした。寒さのためか頬が赤い。
「あ、あの……説明をありがとう。そろそろ行こう。まずは直進、最初の岩棚で十時方向に下るとみた。合ってる?」
「ええ、合ってるわ。行きましょう」
足元は雪深いため、どうしても速度を出せない。
これには装備も関係しており、厚着の上の大荷物なので、一歩一歩着実に進むしかなかった。体力も残す必要がある。こんなの、冬の探索の大基本だ。
つまり、ディエルとて同様の対策はしているはず。仲間とはぐれたとしても一晩程度なら寒さをしのげる場所を見つけ、同行者ともどもやり過ごしているのでは……と、いうのが希望的観測だった。
“がんばってついてきてね”の一言を、サラは、きちんと堪えた。
◆◇◆
「くそ、くそおっ!」
ディエル・クラークスは剣を振り、がむしゃらに大量の雪だるまを粉砕した。が、相手の体の材料はいくらでもある。壊れたとたんに元通りのまん丸ボディーを手に入れ、嘲笑うかのようにゆっくりと迫るのだ。円陣を組んで。
「なんでっ……。なんで! こんなことにー!!!!」
曇天の空の下、満身創痍に近い状態で青年が吠えた。
始まりは、一件の無茶な依頼だった。何でも、とある魔道具の材料のため、吹雪妖精の魔石が欲しいという。
吹雪妖精の名を冠する谷が『入らずの森』にあるのは知っていた。ならば、そこに行きさえすれば手に入るだろうと、仲間内で盛り上がったのがきっかけ。
ディエルをリーダーとするパーティ『キメラ』は、ディエル以外がD及びEランクの冒険者で構成されている。
彼らは、低ランクといえど冒険者としての習熟期間が長く、駆け出しのディエルをよく助けてくれた。
彼らが森を案内し、荷物を運び、遭遇した魔物についての知識を与えてディエルが屠る――そんな流れ。
ディエル以外の低ランク勢は、待機メンバーも合わせて八名。ディエルは、得た報酬を均等に分配した。稼ぎは数をこなせば良かった。
冬に入り、めっきり依頼も減っていた。とにかく仕事が欲しかった。割高報酬に目が眩んだのも否めない。
(けど……っ、けどさあ! ふつう、見捨てるか!? 依頼者が危なかったのに! なんで逃げたんだよ、あいつら……!!)
森に入ってしばらくは順調だった。依頼者は女の子だったから、彼女が不便なく同行できるようソリを使った。彼女のソリを仲間たちが交代で引いた。
戦闘が始まれば、仲間たちが彼女を守る。蒼氷狼も、巨大熊も、ディエルが魔石による消費魔法と剣技を用いて難なく狩った。
結果、魔物の素材を剥ぐのに時間がかかったせい……も、あるかもしれない。件の谷に着いたときには、もう日が傾いていた。
冬の魔物が、晴天の昼より気温の下がる夜のほうが、ずっと強いし群れるなど誰も――……何も、教えてくれなかった。どころか。
「なんであいつら! 依頼者の私物のソリに素材とか全部乗せて! 一目散に逃げて……っ、置いていくとかあり得ないだろ!? 死ぬじゃん! まじで!! ――――うわっ!!!?」
間一髪、雪だるまが不意打ちで放った拳大の雹を避ける。谷底は幸い水が涸れ、つめたい川に落ちる心配はなかったが、いかんせん依頼者を残して逃げられない。
魔除けの魔道具も、比較的廉価な消費型しか持たなかった。効果範囲はどんどん狭まり、いまでは、雪壁に掘った横穴に潜ませた依頼者ひとりしか守れない。
頼みの綱だった攻撃用の消費魔石は、仲間たちが全部持ち去った。たぶん、彼らの帰路の安全のために用いられるのだろう。
……いや、人として違うだろうと内心激しく突っ込みながら。
(せめて、吹雪妖精の本体さえわかれば……!)
気合いと意地をありったけかき集め、集中して剣を構える。そろそろ手の感覚がない。本当に、やばい。
仲間だった奴らが言っていた。有象無象の雪だるまは本体の傀儡だ。でも、どれが「本体」なのかはわからない。だからこそ、ふんだんに範囲魔法の消費魔石を持ってきたのに!
「あ」
まるで思考を読まれたように、今度は雪だるまたちが揃って青白く発光する。
これは――来る。昨日は、これにやられたんだ。
全体魔法『氷槍雨』に酷似した、苛烈なる氷礫の一斉射撃。
(終わった)
頭が真っ白になって目をみひらいた。そのとき。
「――――大地よ融かせ! 熱波」
「え……えぇっ!?」
視界の高み、谷に差し掛かる手前の岩壁で高らかに呪文を詠唱する少女がいた。




