こぼれ話22-35 ユージ、山あいの建物の中を見学してお土産をもらう
副題の「22-35」は、この閑話が最終章終了後で「34」のあと、という意味です。
つまり最終章よりあと、本編エピローグ前のお話で、前話の続きです。
プルミエの街を出てから一ヶ月と一週間がすぎて。
ユージは、目的地の「とつぜん現れて、中に入れない結界があった山あいの建物」にたどり着いた。
朽ちかけた門扉、崩れた石塔。
積み重ねられた石は苔むして、人のいない廃墟にさえ見えるその場所で。
ユージは、色褪せた黒いローブを身にまとう年老いた女性と相対する。
「俺……俺も。ここに突然やってきた人たちと同じで。稀人なんです」
ユージの言葉に、女性はフードの陰で目を見張り。
くるりと踵を返す。
門の内側に向けて数歩進んで、ユージたちを振り返る。
まるで、「ついてきなさい」と招いているかのように。
「えっと……」
戸惑うユージの足を、うしろにまわりこんだコタローがぐいぐい押す。
ほら、いくわよゆーじ、と言わんばかりの行動だ。
それでも、わ、危ないって、コタロー、とよろけるユージは進まない。
「ユージ兄? 行かないの?」
「中に入れていただけるようです。行きましょう、ユージさん」
「あ、そうなんですね」
アリスとケビン、二人の言葉でようやくユージが動き出す。
ケビンの専属護衛もあわせて、5人と一匹がついてくるのを見て、女性もまた歩き出す。
門を越えて敷地に入った女性が振り返る。
先頭のユージもまた、門を越えた。
さえぎられることはなく。
「あれ、結界は? 手を引かれないと中に入れないんじゃ」
中に入ってから、ユージが首を傾げる。
ユージ、続けてコタロー、アリス、ケビン。
腰に剣を提げた専属護衛の二人も、さえぎられることなく敷地に入る。
ユージの疑問に応える声はない。
朽ちた門を通った先は、石畳の道が続いていた。
もっとも、一部は石が割れ、ところどころに雑草が顔を出している。
道の先には、同じような石造りの建物が三棟。
ぐるりと石壁に囲まれた中の敷地は広いらしく、左手には畑が広がっている。
「これは……立派な物ですねえ」
「村まで遠いし、自給自足してるんですかね?」
「人数にもよりますが、おそらくは。麓の村で聞く限り、一部の物資は取引があるようですが」
斜面を削り出した段々畑、斜面をそのまま利用した果樹園らしきもの。
外からは「山あいにある狭く無骨な砦」にしか見えなかったが、敷地の中はのどかな風景だった。
かつて行商人として、いくつもの村をまわってきたケビンも感心しきりだ。
「あの、撮影してもいいですか?」
めずらしく撮影許可を取ろうとしたユージの質問に、前を行く女性は立ち止まってきょとんとして、何もアクションを返すことなくまた歩き出した。
「……怒られたら消せばいいか。声はかけたし」
ぼそぼそと言い訳を呟いて、ユージがカメラをまわす。
動画ではなく写真で、歩いては立ち止まり、パシャパシャと撮影していく。
本来、撮影許可に明確な了承がなければNGなのに。まあ、この世界にカメラがないのをいいことに、ユージはこれまで何度も無許可撮影をしてきたのだ。いまさらである。
石畳の道、道の先の建物、左の畑と果樹園。
ときどき、写り込むコタローとアリスも写真に残して。
遠景だけでなく、寄りを撮ろうと畑に近寄ったユージが気づく。
「あ、作業してる人たちがいる。ほかにも住んでる人がいるんですね」
「ほんとだ! こんにちはー! お邪魔してまーす!」
畑の中や、果樹園の間に、案内した女性と同じような黒いローブをまとった人影が数人。
アリスが大きな声を出してぶんぶん手を振っても、ちらっと見るぐらいで反応はない。
「一人じゃないんだ……よかった」
前を行く女性の答えはない。
けれど、ユージはしみじみと漏らして、胸を撫で下ろしていた。
かつて、自分が家ごとこの世界にやってきた時は一人だったから。
深く考えないようにしていたとはいえ、ユージとて孤独に潰れそうな夜もあった。
掲示板住人とコタローは、ユージにとっての救いだったのかもしれない。文字通りの。
石畳の道は、ひとつの建物に続いていた。
まわりを囲む石壁を除けば、一番大きな建物。
先導する女性に続いて中に入ったユージは息を呑む。
広々した空間に、壁のガラス窓から光が差し込む。
中央は通路として空けられて、その左右には木製のベンチが並んでいる。
「すごい……」
薄暗く、静謐な空間に、ユージは思わず声をあげた。
振り返る女性の視線で感じ取って口を閉じる。
アリスはもちろん、コタローさえも心なしかソロリソロリと音を立てないように歩いている。
「教会……? でも、十字架も祭壇もない……」
十字架も、祭壇も、聖櫃も、説教台も、ステンドグラスも、薔薇窓も、燭台も何もない。
けれどユージは、この何もない、広く薄暗いだけの空間を「祈りの場」だと感じとった。
さすがに罪悪感が湧いたのか、「ほんと申し訳ないけど」とモゴモゴ言い訳を呟いて撮影する。けっきょく撮る。
これでわかることがあるかもしれないから。
テッサの家族のように、行方を捜している人につながるかもしれないから、と。
何をしているかわからないながらも、ユージの真剣さは伝わったのか。
案内してきた女性は、ユージが撮り終えて「すみません、お待たせしました」と声をかけるまで無言で待っていた。
女性のあとをユージたちが続く。
広い空間の脇、小さな扉を抜ける。
二人が並んで通れないほどの狭い通路の先で、女性が立ち止まった。
「えっと……?」
山あいの建物に到着してから、ユージは戸惑ってばかりだ。
まあユージのせいではなく、案内役の女性も、見かけた人々も言葉を口にしないせいだろう。すべて無言、文章で示すわけでもなく、案内板もない、となれば戸惑うのも当然である。
ここでも女性は言葉を発さない。
けれど、すぐ横の、かがまなければ通れない扉を手で示した。
ユージが見ていると、女性は扉を開けて中に入る。
まっさきにコタローが続いて、こないのゆーじ? とばかりにひょこっと顔を出す。
コタローに勇気づけられて、ユージが、アリスが続く。
ユージの肩口から中を見たケビンと、専属護衛の二人は扉の前で待機する。
室内には古びた机と、本や小物が整然と置かれた棚、木製の粗末なベッドが並んでいた。
何者かの生活空間なのに、生活感はない。
もうずいぶん昔に住人がいなくなったのだろう。
アリスは興味深く棚の小物や本を見つめ、コタローもすんすん鼻を鳴らす。
ユージがぱしゃぱしゃと撮影している間に、女性がベッドの下の荷物入れからがさごそと取り出す。
机の上に二本のワインボトルを置いてユージと目を合わせて、そっと手のひらで示す。
「これをくれるってことですか?」
ユージの質問に、女性はゆっくりと頷いた。
一本にはラベルがない。
緑色のガラスは透明度が低く、「液体が入っている」ことぐらいしかわからない。
もう一本には粗末な紙のラベルが貼られていた。
ユージには読めない。
「この国では美味しいと有名なワインですね。出まわる数が少なく、買えそうにありませんでしたが……ここで作っていたのですね」
「あっ! じゃあさっき見たのは葡萄畑だったんだね!」
「お土産ってことかな……?」
少し首をかしげたのち、女性はふたたび頷いた。
そして。
机の上に置いた一冊の本を手に取って、表紙をそっと撫でる。
まるで、愛する者に触れるように。
目を閉じて、本の、羊皮紙の感触を噛み締めたのち。
ユージに、そっと差し出した。
「これもお土産、ですか? 羽を広げた鳥……ネックレスと同じマークだ」
先ほどと違い、女性は困ったように眉を寄せた。
ユージに向かって、手を開くジェスチャーを示す。
開ければわかる、と言うかのように。
ユージが表紙をめくる。
そこに並んでいた文字は。
「…………読めない」
ユージには、理解不能だった。
ユージが振り返ってケビンに示す。
「これは、この国の言葉ではありませんね。周辺国の言葉とも違うようです。私も読めません」
が、博識なケビンも首を振る。
かつて冒険者として世界をまわっていた専属護衛の二人も。
ユージの足元でコタローが、わたしにもみせて、よめるかも、とぴょんぴょん跳ねているが、コタローが読めるわけはない。どんなに賢くとも犬なので。
「うーん……」
女性の意図が理解できず、よくわからない、とうなるユージ。
覗き込んだアリスが目を丸くする。
「ユージにい…………これ、ユージ兄の世界の文字に似てない?」
「ええ? 日本語にはこんな文字ないよ。英語ともちが……ちが……似てる気がする。飾りをつければこんな感じで」
目を見開いたユージが女性を見る。
女性は、にっこりと微笑んで。
ふたたび、手のひらを示した。
稀人だと自ら名乗ったユージに、持ち帰ってほしい、と無言で伝えるかのように。
ユージがプルミエの街を出てから一ヶ月と一週間。
目的地にたどり着いたユージが会話を交わすことはなかった。
門の前で一泊して、出発間際にまた現れた黒いローブの、60才前後の女性に頭を下げて。
ユージは、帰路についた。
ケビンいわく「作られた年が違う」二本のワインと、一冊の本をお土産に。
■あとがき
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