第九話 ユージ、エルフの里に4言語対応の辞書を届ける
「ユージ兄、アリスちゃん、ひさしぶり!」
「リーゼちゃん!」
ひしっと抱き合う二人の少女。
およそ一年ぶりの再会である。
ワイバーン戦から時は流れて、初夏。
ユージはエルフの里を訪れていた。
同行者は船頭役としてエルフのハル、アリス、コタローである。
今回は取引ではないため、ケビンは同行しなかったようだ。
「リーゼ、ひさしぶり! ちょっと大きくなったかな?」
アリスごと抱きつかれたユージは、リーゼの頭を撫でながら問いかける。
胸の話ではない。
身長である。
『そうねユージさん。エルフの成長は遅いけど、季節が一巡りもすれば少しは成長してるわ。100才までゆっくりだけどね』
『リーゼのお祖母さん。おひさしぶりです』
『ユージさん、イザベルでいいわよ?』
『あ、はい。なんかひさしぶりだとなんて呼んでいいかわからなくて』
人間は15才で大人として扱われるが、エルフの成人は100才。
どうやら成人まではゆっくり時間をかけて成長する種族らしい。
「あのねリーゼちゃん。アリス、この前またリザードマンの里に行ってきたんだよ!」
「アリスちゃんは冒険してきたのね! リーゼはまた新しい魔法を覚えたのよ。水場では最強なんだから!」
抱き合った体を離して手を繋ぎ、笑顔で報告し合う二人の少女。
別れた時と違って、14才のエルフと11才の人間の身長は同じぐらいになっている。
それにしても、魔眼持ちのリーゼは『水場では最強』説をいまだに唱えているらしい。湿原におけるアリスの活躍を見たわけではないので。
『ふふ、ほら二人とも、宿でゆっくりお話ししたら?』
「『はーい、お祖母さま!』アリスちゃん、行こ!」
「うん、リーゼちゃん!」
手を繋いだままパタパタと駆け出す二人の少女。
後を追うようにコタローが走っていく。ひさしぶりだから、はしゃぐのもしょうがないわね、わたしがついててあげる、とばかりに。面倒見のいい女である。犬だけど。あとコタローも千切れんばかりに尻尾を振っているけれども。
「ユージさん、ボクらも行こうか! あれは明日の長老会に持っていけばいいから!」
「あら、もうできたのね。ありがとうユージさん」
「いえ、頼まれたのが春ですから、けっこう時間かかりましたよ」
ユージとハル、リーゼの祖母のイザベルは少女と犬の後を歩いていく。
ユージがこの世界に来てから7年目の初夏。
ひさしぶりのエルフの里で、ユージはまた稀人のテッサが作った宿に泊まるらしい。
透き通った水が流れる小川のそばにある、小さな宿。
『ホテルリバーサイド』である。
ユージに卑猥な目的はない。
いかがわしく思えるのはテッサがつけた名前のせいである。
まあ宿泊者がいない時、特定の棟はそんな目的に使われているようだが。
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『では第9万とんで62回長老会議をはじめる』
『……あの、多くないですか?』
『うむ、このぬるいツッコミもひさしぶりじゃの』
『うむうむ、ユージ殿はそうでなくては』
『はあ、もうふざけてないでさっさと進めるわよ!』
ユージたちがエルフの里に到着した翌日。
予定通り、ユージはエルフの長老会に招かれていた。
開かれた林の中で大きなテーブルを囲む十人のエルフたち。
それに加えてユージ、アリス、コタロー、リーゼの姿もある。
『えっと、これが頼まれていた辞書です。リザードマンの文字と、あと日本語も足しておきました。エルフのみなさんは稀人を保護してるから、使うかもしれないと思いまして』
『おお、これがニホンゴ!』
『複雑な模様がカンジか! テッサからいくつか見せてもらっていたがのう』
『うーん、覚えるのは現実的じゃなさそうね』
『ユージ殿、感謝しよう。言葉は通じるが、過去に稀人を保護してきたと伝えても疑われることがあるのでな』
『あ、でも日本人しか読めないと思います。英語ならだいたいの国の人に通用すると思うんですけど、俺ができないから写すのが大変で……』
ユージは英語ができない。
リザードマンの言葉も書き込んだ4言語対応の辞書をアップして、日本とアメリカではすでに英語、ドイツ語、フランス語、その他言語を付け足す動きがはじまっていた。
だが、すでにプリンターはインク切れを起こしている。
ケビンがインクの開発に励んでいるようだが、成功の見込みは薄い。
なにしろ上手く使えるか実験しようにも、そのせいで詰まったら終わりかもしれないのだ。
掲示板住人たちの情報提供はあり、使えそうな素材を探っているが、なにしろ一発勝負。
汚れ、粘度、研究は慎重に行われていた。
インクの研究の進捗はともかく、プリントアウトできない状態なのは確かである。
絵やデザイン、型紙などはユージがモニターに紙を当ててトレースすることで対応している。
だが文字はその手が使えず、地道に写すしかない。
『このままでかまわぬよユージ殿。そもそもこの辞書は稀人のためではなく、我らとリザードマンが争わぬための補助ゆえな』
『うむうむ、充分じゃ。あとはこちらで写本しよう。む、装丁をどうするか』
『装丁……こだわりたいところね!』
『あの、すみません。写本ができたらリザードマンにも一冊渡したいんですけど……』
『そうじゃな、そのほうがいいじゃろ。我らが湿原でレベリングする際に持っていかなくてもよくなるのじゃから』
『持ち運び用に簡易版も作っておいたほうがいいかもしれないわね!』
『うむ。ではユージ殿への報酬とは別に、何冊かユージ殿に預けよう』
『ありがとうございます!』
辞書を作るにあたって、ユージはリザードマンの里をふたたび訪れている。
アリスとコタロー、ハルが湿原のモンスターを殲滅している間、ユージはひたすら辞書作りに励んでいた。
長時間リザードマンと一緒にいたためか、情が移ったのかもしれない。
まあ去年一緒に海に行った時点で、ユージは見捨てられなくなっているようだが。甘いおっさんである。
『さてユージ殿、報酬じゃが……どうする? この中から選ぶかの?』
『取引の時みたいに、エルフが作った装飾品を用意したわ! どれでも選んでちょうだい! 最近じゃ、ユージさんに選ばれることがステイタスになってるのよねえ』
『うむ、我らは手慰みに作るばかりであったからな。稀人に価値を感じてもらえるのは誇らしいのじゃ』
長老たちが囲む大きな一枚板のテーブルには、すでに装飾品が並んでいる。
長命種のエルフが手ずから作る品々。
数百年、人によっては千年近くの時間、自らの技術を鍛えて作った品である。
対抗できるのは、天才と呼ばれる人間が作ったものぐらいであろう。
『ええっと、どれでもいいんですか? なんか俺でもわかるぐらいどれもすごそうなんですけど……』
『かまわぬよユージ殿。一つと言わず、好きなだけ持っていくがよい。儂らのところにあっても使い道など知れておるでな』
『ええ……? ま、まあ今回は取引の対価なわけじゃないし……そうだ! アリス、リーゼ、どれがいい? せっかくだから二人にプレゼントするよ。ほら、ミサンガもだいぶ汚れてきたでしょ?』
『ありがとうユージ兄! リーゼ、ずっとつけてたから心配だったの!』
リーゼと旅をした際、ユージとアリス、リーゼ、コタローはお揃いのミサンガを購入していた。
三人は左の手首に、コタローだけは首に巻いていたミサンガ。
およそ2年が経った今、お揃いのアクセサリーはへたってきていた。
ユージ、代わりをここで揃えるつもりのようだ。
「アリスちゃん! ユージ兄が、贈り物してくれるんだって! お揃いにしよう!」
「うん、リーゼちゃん!」
二人の少女が目を輝かせて、テーブルの上に並べられた装飾品を物色する。
身を乗り出して、コタローも。オシャレが気になる女であるようだ。犬だけど。
『ふむ、そういうことであれば、一つしか出てない品でも気に入ったら言うとよい。作り手に聞けば同じものがあるかもしれぬでな』
『そうね、コタロー用に調整できるかもしれないし!』
『なに、なければ作らせればよいのじゃ。少々時間はかかるがな』
目を細めてリーゼに告げる長老たち。
孫を見るお爺ちゃんお婆ちゃんの目である。
リーゼは現在エルフの里で唯一の子供で、アリスの天真爛漫さは長老たちにも受け入れられている。
どうやら二人の少女は、爺婆キラーであるらしい。
プレゼントを選ぶ二人と一匹を無視して、ユージは一人ブツブツ呟いていた。
「これだけ器用なら、エルフなら作れないかなあ……ああ、でも素材がないんじゃないかって話だっけ……やっぱり魔法を創ってもらうしかないよなあ……土、それか水で……」
などと、何やら考え込んだ様子で。
ともあれ。
ユージがエルフから依頼されていた辞書は、無事に依頼主のもとに届けられた。
ざっと確認されて、中身も問題ないらしい。
合ってるかどうかは確認しようがなく、ユージを信じるしかないのだが。
二人の少女は、銀細工のネックレスを選んだようだ。
キラキラに惹かれるあたりまだ子供である。
長老に確認したところ、ユージ用とコタロー用も同じデザインで作ってもらえるらしい。
ひさしぶりのお揃いを手にするべく、ユージたちはしばしエルフの里に滞在するのだった。
その間、二人の少女はさらに親交を深め、ユージはリーゼの祖母やリーゼの協力を得て魔法を開発して。
ユージがこの世界に来てから7年目。
村長と防衛団長という役職から解放されたユージは、リザードマンやエルフの里、ホウジョウ村と、それなりに忙しく飛びまわっているようだ。
次話、明日18時投稿予定です!





