閑話20-42 マルクくん、オオカミたちのために奔走する
副題の「20-42」は、この閑話が第二十章 終了後で「41」の話の後ぐらい、という意味です。
ご注意ください。
冬の大森林は一面の雪景色に変わる。
雪に降りこめられたホウジョウ村は針仕事や缶詰の生産、冬の名物・ユキウサギ狩りを行いつつ、春まで静かな日々を送る。
冬も一番の寒さを越えて昼間は雪が融けはじめる頃。
長い冬は終わりに近づき、間もなく春になる。
今年の冬も、ホウジョウ村は特に問題はなく無事に乗り切れる。
はず、だった。
「エンゾさん、今日はユキウサギ狩りですか?」
「ああ、ユージさんにソリを借りてきた。もうすぐ春だからな、最後の一稼ぎよ」
「了解です!」
「マルク、オオカミたちはどうした? 他の日ならともかく、今日は一緒じゃねえとマズいんだが」
「そっか、ソリを引っ張ってもらうから……あれ?」
秋の終わり頃から、マルクには一匹の日光狼と四匹の土狼が付きまとっていた。
犬人族のマルクと五匹のオオカミで一つのチーム。
遠吠えの声音を聞き分けて、マルク自身も使い分けられるようになったいま、コタローはマルクのことを認めているようだ。群れのメンバーとして。コタロー、配下扱いである。
まあコタローとマルクが初めて会った際、マルクは腹を見せて上位者への礼を取っていたのだ。いまさらである。
「いつもならボクの近くをウロウロしてるんですけど……どうしたんだろ」
キョロキョロと周囲に目を向けるマルクだが、そこにオオカミたちの姿はない。
そういえば朝から見てないな、などとマルクが考えていると。
いつも一緒にいる五匹のオオカミたちが、マルクに駆け寄ってきた。コタローとともに。
「あれ? みんなどうしたの?」
コタローと五匹のオオカミに取り囲まれるマルク。天国である。
だが、どうも『遊ぼう』という雰囲気ではない。
「エンゾさん、ちょっと待っててください。何かあったみたいです」
「そんな感じだな。マルク、俺もついてくわ」
「あ、ありがとうございます。よし、じゃあ案内してくれるかな? どこかに連れていきたいんだよね?」
オオカミたちのリーダー・日光狼に話しかけるマルク。
言葉を理解したかのように、コタローが日光狼をぐいっと押し出し、先頭に立って小走りで進む。
コタローと五匹のオオカミたちは、どうやらオオカミの住居に案内するつもりのようだ。
寒い冬を快適に過ごせるようにとケビンが用意した寝床である。
場所はホウジョウ村の南、プルミエの街と村を繋ぐ道の入り口があるすぐ近く。
森と村の出入りに必須の場所である。
この場所に誰も文句を言わなかったのは、モンスターであるはずのオオカミたちが村人から信頼を得ている証だろう。
「ここ? ああ、家に何かあったのかな? え? 中?」
マルクの服の袖に日光狼が噛み付いて、ぐいぐいと引っ張る。
オオカミの住処の出入り口は布で塞がれている。
天井は低く、中は薄暗い。
布をめくって中に入ったマルクはしばらくその場で動かず、暗闇に目を慣らす。
オオカミも犬も犬人族のマルクも、夜目が利く。
ただ一人、エンゾだけが薄暗くて狭い小屋の中は見えないようだ。
「えっと……ああ、そういうことか! それでボクを呼んだんだね! ……ってそんなこと言ってる場合じゃない!」
「どうしたマルク? 緊急事態か?」
「エンゾさん! そうです! ユージさんとブレーズさんを呼んでください! あとお母さんも! あと、あとは誰が……」
「ああん? ユージさんとブレーズさんはわかるが……ニナ? おい、マジで何があったんだ?」
「日光狼と番だった土狼のお腹が大きくなってて……妊娠してるみたいなんです!」
「そういうことか! ユージさん、ブレーズは長だからとりあえず呼んでくるとして、ニナはおまえの母ちゃんで出産経験があるもんな。あとは……おいおい、マズくねえかコレ。とりあえず俺が行ってくるわ! マルクはここにいろ!」
「はい、お願いします!」
白い雪煙をあげてエンゾが全力で走り去っていく。
元3級冒険者の斥候はちょっと焦っているらしい。
なにしろエンゾは考えてしまったのだ。
オオカミが妊娠した。
ホウジョウ村で妊娠・出産の手助けができる人間は誰だ、と。
稀人としての知識を持つユージ。
マルクの母親で、とうぜん出産経験がある猫人族のニナ。
ひょっとしたら、エンゾの妻でプルミエの街の夜の店で働いていたイヴォンヌは先輩や友人の手助けをしたことがあるかもしれない。教えられた知識も。
だが。
それだけ、なのだ。
「くっそ、こんなことも考えつかなかったなんて! イヴォンヌちゃんが妊娠してたらどうするつもりだったんだ俺!」
雪上を滑るようにエンゾが駆け抜けていく。
気がつけば、横にはコタローが併走していた。同意するかのごとく、ウォンッ! と吠えながら。
「ユージさーん! 大変だ! イヴォンヌちゃんが! もしイヴォンヌちゃんが妊娠したら大変なんだ!」
連想ゲームのごとく考えが流れて、エンゾの発言はよくわからなくなっていた。
愛妻家、というかただのバカである。
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大騒ぎであった。
「ブレーズさん! 俺ちょっとソリを走らせて街まで行ってきます!」
「待て待てユージさん。とりあえずユージさんが持ってる知識を伝えてくれ」
「あ、そっか、ちょっと待っててください! オオカミ、オオカミの出産、そうだ、あの人なら!」
「ユージさん、医者だ! 医者か産婆を移住させてくれ! もし、もしイヴォンヌちゃんが妊娠してたら……」
「落ち着いてエンゾ。私はまだだから。ユージさん、清潔な布とお湯が必要になるはずよ。あ、でも人間と同じなのかしら。ユージさん、人間のお産に必要なものはひとまず用意しておくから、ほかに必要なものがないかケビンさんに聞いて、もしケビン商会で何もわからなければ私が働いていたお店に行ってちょうだい」
「わかりましたイヴォンヌさん。えっとまず掲示板で、次にソリで街まで行って……」
「はーい! アリス、たくさんお湯を作ります!」
「アリスちゃん、それはまだ早いわよ」
「お母さん、土狼は大丈夫かなあ」
「マルク、心配いらニャい。モンスターニャんだから強いはず」
「布なら任せてちょうだい!」
「ユルシェル、ちょっと待って! それエルフの里の絹の布で高級品だから! こっちの普通の布で充分だから!」
ホウジョウ村には夫婦が何組か存在する。
みな、いまのホウジョウ村には妊娠・出産に頼れる人がいないことに思い至ったらしい。
それにしても大騒ぎである。
ひとまずユージは、ブレーズに『いつもの謎知識を吐き出せ』と言われたことで、掲示板住人に相談することを思い出したらしい。
コテハン・圧倒的犬派の出番である。
とりあえず、犬の出産の知識は役に立つことだろう。
まあもし掲示板住人たちが知らなかったとしても、ネットにはいくらでも情報が転がっている。
犬の出産なら。
「エンゾさん、ボク、宿場予定地までソリを走らせます! ゲガスさんなら何か知ってるかも!」
「ああ、『血塗れゲガス』か。そうだな、歳も食ってるし知識があってもおかしくねえ。マルク、悪いがひとっ走り頼む」
「はい! 行くよ、オオカミたち! お前たちも心配だろう?」
「あー、ユージさんが戻ってきたら街に行ってもらうから、いつもの五匹以外は置いていってくれ。コタローもな。それでいいだろ、コタロー?」
エンゾに問いかけられて、ワンッ! と吠えるコタロー。そうね、しんぱいだけど、わたしはだいにじんでいくわ、と言わんばかりに。
続けてマルクと五匹のオオカミたちに向き直るコタロー。キリッと見つめて、ワンワンワン! と吠えたてる。げがすをつれてきなさい、たのんだわよ、とでも指令を出しているかのように。さすがボスである。
「よし。頼むぞマルク!」
「はい、エンゾさん! さあ行こう!」
勢いよく飛び出したマルクだが、オオカミたちに吠え立てられる。
村も森もまだ雪が積もっている。
走ってゲガスのいる宿場予定地に行くわけではないのだ。
オオカミたちは、ソリの横でマルクを呼んでいた。
「あっ。えへへ、ちょっと焦ってたみたいだ。落ち着けボク、こういう時こそ落ち着かなきゃ」
住人たちに協力してもらいながら、オオカミたちをソリに繋ぐマルク。
繋がれるのを待っていたオオカミたちは、後脚で雪を蹴っている。はやく、はやく、とでも言っているかのように。仲間の出産を心配しているらしい。
「よし、今度こそ! 行こう、みんな! アオーン!」
セッティングを終えて、犬ゾリ、というか狼ソリに乗り込んだマルクが吠える。
日光狼をリードに、狼ソリが走り出した。
ぐんぐんスピードを上げて、あっという間にホウジョウ村から遠ざかる。
マルク、15才。
いつの間にか村で一番の下っ端ではなく、仕事を任されるようになっていた。
少年の成長は早いものである。
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「がんばれ、がんばれ!」
「ユージ兄、アリスお湯わかしたよ! ここに置いておくね!」
「アリスの嬢ちゃん、ありがとよ。すまねえが外で待っててくれ。もうすぐだからな」
「はーい!」
冬の終わり、ユージの家の前には小さなテントが張られていた。
地面はアリスの土魔法でやや窪ませられて、周囲には乾燥した落ち葉が敷き詰められている。
中に入るのはユージとゲガス、コタローと一匹の日光狼。
アリスはたらいを置いて、すぐに外に出る。
テントの中心で、苦しそうに息を吐く土狼にチラッと目を向けて。
アリスはできるだけ人間が入らないように、という注意を守っているようだ。
日光狼と番になっていた土狼の妊娠が発覚してから一週間。
巣穴代わりの出産用のテントは、何かあればすぐユージが掲示板に聞いてこられるようにと家の前の広場に張られた。
寝床を整えて、お湯や布を準備して。
考えられる準備は整えられたようだ。
ユージは狼ソリで街まで行ったが、誰も連れて帰らなかった。
当然である。
人間の出産ではなくオオカミの出産なのだ。
プルミエの街には、オオカミ、あるいは犬であっても出産の手伝いをしたことがある者はいなかった。
ゲガスは行商人時代に牛や馬といった家畜の出産を手伝った経験があるため、ホウジョウ村に留まっていた。
あとは掲示板住人の知識が頼りである。
それもほとんど犬の知識だが。
はあはあと苦しそうな息を吐く土狼。
人間と同じようにモンスターであっても出産は大変らしい。
ユージとゲガス、最小限の人間が中で、外では村人たちが固唾を飲んで待機している。
土狼が苦しみはじめてから、待つこと数時間。
やがて。
「よし、よくがんばった! コタロー、これで終わりかな?」
ペロペロと土狼の鼻面を舐めるコタローに問いかけるユージ。
コタローは土狼と、ワフワフと小声で会話らしきものを交わした後。
ワンッ! とユージに大きく吠える。
「そっか、よし、よし!」
「元気な子供たちじゃねえか。ちっちゃくてもモンスターか、心配なさそうだな」
並んで母狼の乳首を口に含む小さな小さなオオカミたち。
保温のためにかけられたユージ提供のタオルをかぶって、クークーと鳴き声をあげている。
「よかったあ。ほんと、どうなることかと思いました。ありがとうございますゲガスさん」
「俺はたいしたことしてねえよ。ユージさんの知識とコタローの補助、それからコイツのがんばりだな」
戦いを終えて、男たちはお互いを讃え合う。
まあコタローはメスだが。
「へへ……でもマルクくんもがんばりましたよ。最初に気づいて、ゲガスさんを連れてきて」
「ああ、そうだな。オオカミたちとも良い関係を築いてるようだし、大人になったってことだろ」
「そうだ、マルクくんを呼んでも大丈夫かな。コタロー、どうだろ」
ユージの問いかけに、チラリと土狼に目をやってからワンッと同意するコタロー。
マルクといつも一緒にいる五匹とは違うが、出産した土狼も同じ群れの一員である。
ボスの許可は得られたようだ。
こうして。
ホウジョウ村の冬の終わりの大騒動、オオカミの出産は無事に終わるのだった。
産まれてきたのは雌雄合わせて五匹。
ホウジョウ村で暮らすオオカミは、合わせて二十匹になったらしい。
ちなみに、産まれた五匹のうち二匹が日光狼、三匹が土狼であった。
ハーフはいない。
この世界では、産まれてきた子供は両親のどちらかの性質を受け継ぐ。
犬人族のマルセルと猫人族のニナの息子のマルクが、犬人族であるように。
そして、オオカミが出産を終えた夜。
エンゾの喜びの雄叫びが、村に響くのだった。
妻のイヴォンヌちゃんに言われたのだ。
私、できちゃったみたい、と。
初めてのオオカミの出産を終えて。
来年の秋あたりには、初めての人間の出産があるらしい。
ホウジョウ村の騒動は続くようだ。
ユージが元いた世界での騒動とは種類が違うようだが。
次話、明日18時投稿予定です。
明日こそ本章再開で、プロローグ!





