第二十四話 ユージ、マレカージュ湿原を後にする
リザードマンの里に張ったテントの中で会話を続けるユージたち。
モンスターの素材を譲った見返りと、スライム討伐の報酬に何をもらうか話し合っているのだが、なかなか結論が出ない。
ケビンはいくら美味しいからと言って、リザードマンの口かみ酒をもらうのは止めたようだ。
「そうだ、お礼に水運に協力してもらうのはどうですか? リザードマンは水場を苦にしないわけで、船に乗ってもらって……ほら、冒険者とか傭兵みたいな感じで」
「ユージさん、難しいかもしれません。彼らが人間の前に出ることを良しとするかどうか」
「あ、そういえば。いいアイデアだと思ったんだけどなあ」
「それに、ユージさんがいないと話が通じませんよ? 文字はあるようですから、こちらの文字と合わせて辞書のようなものは作れるでしょうが……」
「あ、だったら希望者に言葉を教えましょうか? リザードマンに人間の言葉を、人間にリザードマンの言葉を」
「ユージ殿、儂ら人間には発音できんじゃろう。逆もまたしかりじゃ」
「ボクは挨拶だけは覚えたけどね! しゅー!」
「あ、ハルさん、それ通じてませんでした」
「え? ユージさん?」
「たまに来るエルフたちが、警戒されないように自分たちのマネをしてるっていうのはわかってるみたいです。たぶん挨拶なんだろうけど、発音が間違ってるって」
「は、恥ずかしい! 里のみんなにも教えとかなきゃ!」
「そうでしたか。簡単な言葉ぐらいならと思いましたが……ユージさん、意思疎通が文字だけになりますから、やはり難しいかと。とっさの対応も必要になりますしね」
「そうですか……報酬、報酬。けっこう難しいもんですねえ」
「ええ、おたがい意味があるものにしたいですしね。こういうのはお義父さんが得意なのですが……」
ケビンはここにいない義父・ゲガスを思い浮かべる。
己の身ひとつで各地を旅して、ついには商会を興したゲガス。
ゲガスは言葉が通じない国や部族とも交易を行なっていた実績を持っている。
というかゲガス商会は、ゲガスが築いたコネクションを活かした珍しい商品が主力であった。
今回のようなケースは得意分野である。
「うーん、欲しい物、あるいは手伝ってほしいことですか……」
「ユージ殿、ハル殿。ケビン殿も、もし良ければなのじゃが」
「バスチアン様、どうしました?」
「儂の領地に、おそらくリザードマンの住処があるようでな。もしユージ殿たちさえよければ、報酬はその橋渡しとしてもらえぬじゃろうか」
アリスとシャルルの祖父、バスチアン。
王都の屋敷で暮らすことも多いが、本来は自分の領地を持つ貴族である。
どうやら領内にこの集団とは別のリザードマンがいるらしい。
「領民がリザードマンを見ることは少ない。漁師や農民が遭遇して、人間側が逃げるだけじゃな。じゃが、儂の領地には遭遇例があることも確かなのじゃ」
「そうなんですね……なんだ、言ってくれれば知り合いかどうか聞いてみたんですけど」
「これは儂のワガママ、個人的な話じゃからな。もし報酬に値するものがあれば、そちらが良いと思ってのう」
「ニンゲンって大変だね! そんな気を遣わなくていいのに! モンスターの素材が欲しければ、ボクらはまた倒せばいいだけだし」
「ハルさんの言う通りですよバスチアン様。じゃあそれにしましょうか! ケビンさん、どうです?」
「ユージさんたちさえ良ければ。ほかの製造法ならともかく、口かみ酒であることを隠して売るのは微妙ですしね。装飾品は私たちの思い出の品としての域を出ないでしょうし、商売には繋がりそうにありませんから」
「ううむ、すまぬ。じゃがありがたい。領民には害がないゆえ放置しておったが、リザードマンはモンスターではないとわかったのじゃ。交流まではいかずとも、不幸な事故は起こらぬようにしたいからのう」
「じゃあバスチアン様の領地のリザードマンと交流があるか聞いてみて、あるようならその辺を説明してもらうってことにしましょうか! それを報酬に望みますって!」
「ユージ殿、本来はみながもらう報酬なのに、これは儂だけに価値があることになるのじゃ。後ほどユージ殿やケビン殿、ハル殿、アリス、シャルル、コタローにそれぞれ何か贈らせてもらおう」
「バスチアン様、そんな気にしなくていいのに……」
「ありがとうございますバスチアン様」
「じゃあボクは、王都に帰った時にお貴族様御用達のお店に連れていってもらおうっと! ああいうお店はなかなか入れてもらえないんだよねー」
「はは、リザードマンに口を利いてもらうことで領地の安寧が得られるのじゃ。ハル殿、その程度お安い御用じゃて」
「ではこれで決まりですね。ですがユージさん……」
「はい? なんですか?」
「いずれにせよ、簡単な辞書はあったほうがいいと思いますよ。どの単語を訳すかは私が考えますから、作っておきましょう」
「え……?」
「うむ、儂もそれがあるとありがたい。ユージ殿、どうだろうか? 簡易なものでかまわぬ。もちろん報酬も支払おう」
「ユージさん、それにいつかリザードマンたちも困ることがあるかもしれません。例えばこの里に危機が訪れたとき。あるいは人間が迷い込んだとき。簡易なものでも辞書さえあれば、人間と筆談ができます。揉め事を避けることができるでしょう」
「そっか、そうですよね。いまのままじゃモンスターだ! って攻撃されてもおかしくないわけで」
「そういうことです。単語を絞ったとしてもユージさんに手間はかかるでしょうが……」
「わかりました! せっかく知り合ったんですからね。アリスも仲良くなってたし」
過去の稀人・テッサがリザードマンたちに文字の必要性を説き。
そしていま、稀人のユージはリザードマンと人間の意思疎通をするための辞書を作ることになったようだ。
これがあれば、リザードマンに何かあったとき、人間に助けを求めるという選択肢ができる。
あるいはマレカージュ湿原で人間に出会ってしまった時も、不幸な事故を避けられるかもしれない。
ユージ、あいかわらずお人好しである。まあ報酬はバスチアンから出るようだが。
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《それじゃあみなさん、お世話になりました!》
《ニンゲン、我らこそ感謝を。モンスターは減って安全になり、次の冬の蓄えもできた》
《うむ。何よりユージ殿が作ったコレがありがたい》
マレカージュ湿原、川の本流に繋がる水場では、ユージたちがリザードマンと挨拶を交わしていた。
ユージたち6人と一匹がこの地に滞在したのは三日間。
1級冒険者でエルフのハルが立てた予定よりも長い滞在である。
「へへー、アリス、毎晩体が痛くなったんだよ! 位階が上がったみたい!」
「彼らが協力してくれたから、たくさん倒せたね!」
「ユージ殿にもリザードマンにも感謝を。ふふ、一番得るものが大きかったのは儂かもしれんな」
「お祖父さま、まだわかりませんよ」
モンスターを倒して位階を上げたアリスは、予定よりも長い滞在に満足したようだ。
そして、リザードマンの長とバスチアンはそれぞれ羊皮紙の束を手にしている。
宴の次の日、湿原滞在二日目からユージが取りかかった、リザードマンの言語と人間の言語の辞書である。
例えば、味方、敵、安全、危険、食べる、行く、帰る、あげる、交換するといった単語、『ない』と否定する言葉。私、あなた、彼、彼女、私たち。もちろん、それぞれの言葉で書かれた数字も。
単語数にしてわずか三百程度ではあるが、意思疎通のための最初のツールとしては充分。
パワーレベリングにいそしむハルやアリス、シャルル、案内役のリザードマンたちに討伐を任せて、ユージとケビンはひたすら翻訳作業であった。
「俺、もうしばらく三角形は見たくないです」
「はは、私もですよ。なかなか難しい文字でした」
ユージとケビンはお疲れであった。
リザードマンの文字は、その爪を使って形を描く文字であった。
まるで元の世界にあった楔形文字のように。
彼らの記録媒体は粘土。
ぐいっと爪を押し当てるだけで書ける楔形文字になったのは必然なのかもしれない。
とはいえ、ユージはただの人間。
リザードマン側の言葉はリザードマンに書いてもらったのだが、それでも丸二日間見続けた楔形文字にうんざりしてしまったようだ。
「さあユージさん、準備おっけーだよ! 出発しようか!」
《はじめての旅だーっ! 楽しみだなニンゲン!》
《落ち着け。はあ、我が面倒を見るのか……先が思いやられる》
船に乗り込んだユージとアリス、コタロー、シャルル、バスチアン、ケビン。
操作するのはもちろんエルフのハルである。
そして。
船の横、水の中に二体のリザードマンの姿があった。
最初にユージたちに声をかけてきたリーダー格の一体と、エメラルドグリーンの鱗で風魔法を使える子供のリザードマンである。
《良いか、遊びに行くのではない。リザール部族と話をするのが我らの役目》
《わかってるって! へへー、楽しみだなーっ!》
《二人とも、出発するそうです。大丈夫ですか? ……ん? 二人? 二匹?》
《すまぬなユージ殿。では行こうか》
《しゅっぱーつっ!》
二体のリザードマンが水に潜り、くねくねと尻尾を動かして船を押し出す。
水から出ているのは頭だけ。
水辺でも苦もなく行動できるからこそ、リザードマンはこの湿原を住処にしているのだろう。
パワーレベリングと、シャルルとバスチアンを送る旅の最初の目的地、マレカージュ湿原。
アリスの願い通りに位階を上げて、ユージたちは湿原を後にするのだった。
6人と一匹の旅に、二体のリザードマンを加えて。
開拓民のユージとアリス、商人のケビン、貴族のバスチアンとシャルル、エルフのハル、二体のリザードマン。あと犬。
ユージのパーティは、さらに謎構成になったようだ。
そこに妙齢の女性はいない。
まあいつものことである。
次話、明日18時投稿予定です!





