第十七章 エピローグ
アオーン! と、オオカミの遠吠えが何度も森に響く。
遠吠えの音は徐々に大きくなっていく。
何匹かのオオカミが森に散って、遠吠えを伝えているのだろう。
そして。
エルフが魔法で造った土壁の上に立ち、コタローが遠吠えをあげる。
顔を空に向けて、アオーンと力強く。ボスの貫禄である。
『さあユージさん、くるわよ!』
『ええ? イザベルさん、その、オオカミたちを手伝わせたんですか? どうやって?』
『え? コタローに言ったらわかったみたいだったから。ダメなら魔法を使えばいいと思ってね』
「ユージ兄、もうすぐかな? もうすぐお水がくるかな?」
ホウジョウ村開拓地の西、土壁の外側。
木々の葉がすっかり落ちた晩秋、三人と一匹はまだ水が通っていない用水路を見つめていた。
リーゼの祖母でエルフのイザベル、ユージ、アリス。と、土壁の上で遠くを見つめるコタロー。
初期はアリスが、保護してからはアリスとエルフの少女・リーゼが一緒に。
リーゼを里に帰してからは、魔法に長けたエルフが10人がかりで造った用水路。
いよいよ開通の時である。
『あれ? ここにいたら流されちゃいません?』
『うふふ、大丈夫よユージさん! 私たちを信じて』
ユージたちがいるのは、用水路予定地のくぼみの中。
水が流れれば底となる場所である。
コタローだけは土壁の上で文字通り高みの見物であった。コタローはできる女だが、犬かきしかできないので。
『大丈夫って言われても……』
アリスの手を握り、チラリと川岸を見て距離を測るユージ。
いざとなればアリスを連れて逃げる算段を立てているのだろう。
ユージ、ちょっとはできるようになったようだ。
だが。
『ウッソだろ、なんだアレ……』
「う、うわあ、うわあ! エルフさんたち、すごーい!」
ユージとアリスの目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
用水路予定地、くぼみの中に立っているユージ。
視線の先に、くるぶしが浸かる程度の水が流れてくるのが目に入る。
そこまではいいのだ。
問題はその後ろ。
約30cmの深さで流れる水の後ろに、ユージの目線の高さほどの水の壁があった。
浅い水の流れ、水の壁。
いずれも異常なほどゆっくりとユージに近づいてくる。
『ま、魔法、なのかな。しかもなんか遅い?』
『リーゼちゃんのお祖母ちゃん! アリス、アリスもこの魔法おぼえたい!』
『アリスちゃん、これはけっこう難しいのよ? アリスちゃんは火と土が相性いいみたいだし、無理じゃないかしらねえ』
『ええー!? アリスがんばるから!』
『うーん……じゃあ今度エルフの里でね! リーゼに教える時、一緒にどうかしら?』
『やったあ!』
盛り上がるアリスとイザベル。
ユージの質問は無視である。
『あの、イザベルさん。なんか水の流れが遅くないですか?』
『そりゃそうよ、水路が問題ないか確かめながらですもの。一気に流して溢れたり壊れたら大変でしょう? だからすぐ後ろで魔法を使っているの。ほら』
リーゼの祖母・イザベルが、腕を伸ばしてすっと指を差す。
浅い水の流れ、その後ろから迫ってくる水の壁。
水の壁の上にエルフの船が見える。
『おお、おおおお! すごくファンタジーですね! 撮っててよかった!』
「うわあ! うわあ!」
ユージ、かつていた世界ではありえない光景にテンションが上がったらしい。
ユージがこの世界に来てから5年目の秋。
どうやらユージは、ようやくファンタジーな世界を体験できているようだ。エルフさまさまである。
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『よし! 開拓地の水路も問題なさそうね!』
『当たり前じゃ、誰が造ったと思っておる?』
『長老、仕事はできるんだよなあ……ふざけたことばっかり言ってるけど』
『上水・下水も問題なし。工業、農業用水もいまのところ問題なしか。排水能力はもう少し高めておいたほうが良さそうだな。村内での船の移動は主水路以外は難しいが……それは仕方ないか』
「ユージさん、いい感じよ! ところで……開拓地に入る主水路の入り口の横の金属はなんなのかしら?」
「あ、人間の言葉がしゃべれるエルフの人。えっと、水棲モンスターとか不審者対策で、大きな入り口は塞いでおこうと思ってですね……」
ホウジョウ村開拓地を囲う木の柵と空堀、そして土壁。
いまのところ入り口は村の南側、街と繋がる道がある方向だけ。
だが、ユージはリーゼの祖母・イザベルに言われて気づいてしまったのだ。
潜水できるエルフの船、水棲モンスターや隠密な人たちは水路から侵入できることに。
その対策として、ユージは無限増殖できる家の門を使い、障害を設置するつもりのようだ。
ちなみにイザベル以外のエルフたちは、開拓地以外の用水路が問題ないことを確認して大挙して押し寄せていた。
「え? 『ちょ、ちょっとイザベルさん、長老! 大変、大変よ!』」
『ユージさん、話は聞こえていたわ。ダメよそんなの!』
『そうじゃユージ殿! それでは儂らがコッソリ遊びに来れないではないか!』
『え……? あの、遊びにって……』
『せっかく! エルフが遊びに行っても! 問題ない場所なのに!』
『えっと、いや、そりゃいまは開拓民しかいないし、問題はおこらなさそうですけど……』
『何を言っておるユージ殿! この場所なら冬は雪が積もって人の出入りもないのじゃろ?』
『あ……』
『そう、小川なら表面は凍るかもしれないけど……中は問題ないもの。そして、エルフの船は水に潜れる』
『つまり冬場、人は出入りできないが、エルフは出入りできるということじゃな』
『ユージさん、雪が積もったら仕事が減るし、ハルも遊びに行こうかなとか言ってたわよ? そろそろハルの別宅もできるんでしょ?』
『う、うわあ、ハルさん最初からそのつもりだったんだ……』
現役の1級冒険者で王都を拠点にしているエルフのハル。
ユージ、開拓地に別宅を建てたハルの思惑をようやく知ったようだ。
雪が積もって街の外に出る活動が制限される冬の間のヒマつぶし。
ハルははじめからそのつもりで家を発注したようだった。
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「ユージさん! いやあ、すごいですよこの水路! 工場でもさっそく活用してます!」
「あ、ケビンさん。めずらしくテンション高い」
「こんにちはケビンおじちゃん! ジゼルおねーちゃんも!」
水路は問題なかったし、私たちは帰るわねーと軽い言葉を残して、10人のエルフは去っていった。嵐のように。
ユージはいま、水が通るようになったホウジョウ村開拓地に問題がないかどうか、村内を見まわっているのだ。なにしろ村長なので。
「こんにちはアリスちゃん! ほんとこの開拓地はすごいわー。ケビンは幸運の持ち主ね!」
「そうかもしれませんね、ジゼル。こうしてジゼルが私の妻となったわけですし」
「もうケビンったら!」
ユージの目の前でイチャつきはじめるケビンとジゼル。
その背後では、試運転をはじめた缶詰生産工場の鍛冶師たちが働いている。
イチャつく新婚夫婦を無視して。
彼らにとってこの光景は見慣れたものなのだろう。
「あの……ケビンさん? その、問題はありませんか? 工業用水とか上水とか下水とか」
「ああ、すみませんユージさん。水は快適ですよ! 試運転も順調ですから、今年の冬はユキウサギ料理の缶詰を量産できそうです」
「あとは狩り部隊の活躍次第ね! コタローもがんばってね!」
ユージの横にいたコタローに言葉をかけるジゼル。
まかせなさい、ことしはこぶんたちもいるもの、とばかりにコタローはワンッ! と一吠えしていた。賢い女である。犬だけど。オオカミたちのボスなのに。
「ユージさん、これで缶詰も生産できるようになりました。冬の間は試運転ですが……春になれば素材をこちらに持ってきたり、ここから缶詰や服を持ち出したり、行き来も増えるでしょう。衣料品も好調ですから、針子も増やそうと思っています」
「おお、じゃあ春からは賑やかになりそうですね!」
「ええ、間違いありません。それにユージさんは春から文官になるわけですしね。お手柔らかにお願いしますよ?」
「あ、あはは、がんばります」
領主からの誘いを受けたユージ。
そろそろ雪が降ってもおかしくない季節のため、ユージは勧誘を受けることを手紙で領主に報告していた。
領主からの返事もあり、春以降にまた話をすることが決まっている。
ユージがいるこの世界において、雪が積もる冬は活動が停滞する時期であるようだ。
「春から文官になるのか……開拓地でいままで通りでいいって言われてるけど……開拓団長とか村長とか、そのままでいいのかなあ」
「ユージさん、今から考えてもしょうがないですよ。まずは春になってからです。なにしろほら」
決めたものの、不安がよぎったのだろう。
表情が陰ったユージを慰めるようにケビンが言葉をかけ、開いた扉の向こうの外を指さす。
「ああ! ユージ兄! ゆきふりむしだ!」
ケビン、そしてアリスの言葉に誘われてユージが外に出る。
フワフワと風に揺られるように、指先ほどの小さな綿毛のような白い球がホウジョウ村開拓地を飛んでいる。
一番近いのはタンポポの綿毛だろうか。
それが無数に飛び交い、ときおり家屋の壁や木の幹、枝にとまっている。
ゆっくりゆっくり上昇していき、最後は空に向かっていくようだ。
ゆきふりむし。
これが飛ぶと、2、3日後に雪が降るという合図である。
「ユージさん、私たちはプルミエの街に戻ります。缶詰の生産工場にも針子たちにも冬の間の指示は出していますので。雪が融けたらすぐにこちらに来ますね」
「そっか、移動できなくなりますもんね……わかりました!」
力強く頷くユージ。
だがそもそも、ユージは雪が積もっても移動する手段を持っている。
潜水して川をたどれるエルフの船。
さらに、コタローは15匹のオオカミを配下に置いたのだ。ホウジョウ村開拓地には鍛冶師も木工職人もいる。
雪が積もれば、犬ぞりも活躍することだろう。犬ぞりというか狼そりというか。ボスのコタローが犬なのでやはり犬ぞりというべきか。
どちらもユージは気づいていないようだが。
ユージが異世界に来てから5年目。
ホウジョウ村開拓地は缶詰の生産工場が完成し、エルフの手により土壁も水路も完成した。
まだ人こそ増えていないものの、快調な発展っぷりである。
春からは開拓民も増えるし、俺も「文官」っていうのを引き受けるんだなあ、などと感慨にふけるユージ。
暢気か。
まあそれでも問題ないほど順調なのだ。この世界では。
冬を迎え、この世界においてユージの激動の5年目はほぼ終わったので。
だが、なぜか繋がるネットの先で。
ユージが元いた世界では、大騒ぎになっているのだった。
知らぬはユージばかりである。
いや、ネットを通して知っているのだが、あくまで画面の向こうの話であり、ユージには実感がないので。
暢気か。





