第十一話 ユージ、還れないことをアリスたちに話す
ウオンッ!
静かな室内に犬の鳴き声が響く。
ほら、そろそろげんきだして、と励ますかのような声音。
コタローである。
「……ありがとうコタロー」
ぼーっと涙を流していたユージの目がコタローを捉え、微笑みを浮かべてわっしゃわっしゃとコタローを撫でまわす。
ユージに撫でまわされるいつもうれしそうにはしゃぐコタローだが、今日はユージの顔をじっと見つめるのみ。だいじょうぶかしらゆーじ、と心配しているようだ。
「大丈夫。うん、俺は大丈夫。こっちにはコタローもアリスもいるし、それにほら、俺は他の稀人と違って連絡が取れるから。……なんでだ?」
気づくのが遅い。
持って当然の疑問である。
まあ気づいたところでわかるはずもないのだが。
ワフワフッと呆れたように鳴いてから、コタローが三つの木箱を前脚でちょんちょんと突ついていく。
「ああうん、考えてもわからないし今はいいか。そうだねコタロー。どり……テッサさまのお願いは叶えられそうだし、家に帰ればキースさんの手紙も訳せる。ひとまず出よう」
そう言って立ち上がるユージ。
コタローは木箱に前脚をかけたままユージを見上げる。もっていかないの、とでも言っているかのように。
「勝手に持ち出していいかわからないし、いったん戻ろう。もう薄暗くなってきたし、みんな心配してるだろうしね」
ユージ、ナチュラルに犬と会話している。
そういえばモンスターではなく動物の位階が上がったらどうなるか、ユージは誰からも聞いていない。
普通、犬は魔法を使えないのだ。
ともあれ。
陽が傾き、徐々に光量が落ちていく木立の獣道をたどり、一人と一匹は歩いていくのだった。
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「ユージ兄! コタロー!」
木立の間からユージとコタローの姿が見えると、アリスは立ち上がってぶんぶんと大きく手を振る。
アリスの隣にいたリーゼも。
二人の少女は、まだレディにはほど遠いようだ。
『稀人が来たら案内する場所』の入り口には、アリスとリーゼ、リーゼの祖母、ハル、ケビン、ゲガス、それからこの地の守り人。合計7人が一人と一匹を待っていた。
小さなログハウスの横には敷物が敷かれ、思い思いに座って待ち時間を過ごしていたようだ。
敷物やお茶の道具、ターフはケビンが宿から持ってきたものである。
アリスやリーゼを見つけてダッと駆け出すコタロー。
小走りで後を追うユージ。
やがて境界を越え、スピードを緩めたユージに一人の少女が飛び込んでくる。
アリスである。
そのままユージの胸に顔をうずめ、ぐりぐりと頭をこすりつけるアリス。
一人にしないと言われていても、アリスは不安だったようだ。
「お待たせアリス! みんな、ただいま!」
『ユージさん、今日は間もなく日が暮れますし、宿までご案内しましょう』
『ええっ!? お祖母さま、リーゼ、何があったかお話聞きたい!』
『イザベルさん、そりゃないよ! ボクだって楽しみに待ってたんだから!』
『あー、全員で戻ればいいんじゃねえか? ハル、リーゼのお祖母さまの分ぐらい部屋は余ってるんだろ?』
『ゲガス、すばらしい! よーしみんな、今日は宿で話をしよう!』
『ちょっと、ハル! ……ユージさん、いいかしら?』
『あ、はい。俺からも聞きたいこと、話したいことがありますし。お願いします。ただその……』
チラリと守り人のエルフに目を向けるユージ。
うっすらと笑みを浮かべ、守り人が口を開く。
『私はここに残ります。稀人よ、また訪れる時まで私がこの地を管理しましょう。この身が朽ちるまで』
『……わかりました』
ユージはぺこりと頭を下げて踵を返す。
稀人のテッサから、読めるならと言われたもう一人の稀人の手紙。いまはまだユージも読めない。
ひとまず何も言わずに離れることにしたようだ。
ユージ、引きニートを辞めて5年目にして、コミュニケーションを覚えてきたようだ。
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ユージたちが泊まる宿、その中庭。
中庭に置かれたイスに7人と一匹が腰掛けていた。
まわりにはふよふよと、ユージが使った明かりの魔法の光が漂っている。
先ほど稀人からの手紙を読んだユージとコタロー。
稀人のテッサの子孫でユージが保護した少女・アリス。
テッサの孫のエルフ・リーゼと、テッサの嫁の一人だったリーゼの祖母。
テッサと同じ頃に里で暮らし、話もしていたらしいエルフの冒険者・ハル。
人間とエルフの橋渡しのお役目を務めたゲガス、跡を継ぐケビン。
ちなみに7人と一匹は、温泉で一風呂浴びて上がってきたところ。
ユージ、気持ちを切り替える意味でもお風呂に入りたかったようだ。さすが日本人である。
『それでユージさん、どうだったの? あそこには私も入れないのよ!』
『お祖母さま、レディはもっとお淑やかにって』
『そうですね、何から話しましょうか……』
ユージが帰ってくるのを待つ間、リーゼの口から『お話みたいな大冒険』が語られていたらしい。
区切りが良くなかったため、リーゼの語りは入浴時にも続いていた。なにしろ混浴なので。
ユージが見てきたもの、知ったことを話すのはこの場が初めてである。
『そうですね、やっぱりまずはこれを聞かせてください。ハルさん』
まっすぐハルの目を見つめるユージ。
察したのだろう、同時通訳をゲガスに任せてハルもユージの目を見返す。
じっと見つめ合う二人。
二人ともノンケである。
『ハルさん。還る方法は見つかりましたか?』
『ユージさん、研究は続いてる。でも見つかってないよ。現状が知りたければ、研究してるニンゲンたちに紹介する。王都でもいいし、開拓地に連れていくのもありかな』
『そう、ですか。ええ、それはまた今度お願いします』
還る方法の研究は、テッサの死後160年経っても続いていたようだ。
『こことは違う世界が存在する』というのは、それだけ研究者たちとハルにとって興味を惹くことなのだろう。
逆に、ユージが元いた世界でも興味を惹かれまくった人々がいるのだが。
『アリス、みなさん。聞いた通りです。俺は、還れない。この先はどうかわかりませんけど……そんなすぐに見つかるってこともないでしょうし』
断言するユージ。
その顔はわずかにうつむいていた。
すかさずヒザに飛び乗るコタロー、繋いだ手をギュッと握るアリス、リーゼ。
ユージ、両手に花プラス犬である。
『ありがとうコタロー、アリス、リーゼ。でもまあ予想はしてたからさ。それにほら、こっちにはみんなもいるし、サクラとか向こうとは連絡取れるしね!』
『……え?』
『ユージさん、いまなんておっしゃいました?』
「ユージさん! おい、どういうことだケビン!」
「薄々気づいてましたけど……あちゃー、言っちゃいましたかユージさん」
「ユージ兄、ナイショじゃなかったの?」
『あは、あははは! ユージさん、サイコーだよ! イザベルさん、ボクのお役目だれかに継がせていいかな? 王都よりユージさんの近くにいたほうが絶対おもしろそう!』
『ちょっとハル、ズルいわ! リーゼ、里から出られないのに!』
「あ……ま、まあ信頼できるみなさんですし! あの、みなさん、連絡取れるっていうのはここだけの話にしてくれませんか? その……大変なことですよね?」
ユージ、勢い余ってカミングアウトしてしまったようだ。
ユージに手取り足取り教えられながら、自分で掲示板に名前を打ち込んだアリスとリーゼは知っていた。
わからないことがあると家に戻り、出てくると答えを持っていたこと、家を見たときにパソコンで動画を見たことから、ケビンも薄々感づいていた。
だが。
あらためてユージが口にしたのは初めてである。
『当たり前じゃないかユージさん! その、じゃあ、高速で自走する鉄の箱とか、空飛ぶ機械も見られたり?』
『車か電車かな。ハルさん、動かないけど車ならウチにありましたよ? 空は飛行機ですね。えーっと、映像でよければ見られます』
「ユージさんがお考えの通り、大変なことですよ。例えば、連絡を取って、ユージさんの家にあった透明で大きなガラスや鏡の作り方を教えてもらうこともできるわけですよね?」
「ええまあ。材料探しが大変だし設備がすごいことになるし、作れるようになるまで時間がかかると思いますけど……」
「ケビン、止めとけ。危なすぎる」
「ええ、わかってますよお義父さん。ユージさん、大変なことです。あのガラスと鏡を作れるようになるだけで、動く金は莫大ですから。もしそうしたことが可能だと知られたら、ユージさんとあの家を巡って戦争になるでしょう」
「はい? そ、そんなに?」
『ユージさん! じゃあ、テッサのお母さまとお姉さまに連絡を取ることも! あの人の、最期の心残りも!』
『落ち着いてイザベルさん! ニンゲンはそんなに長生きじゃないから!』
『リーゼのお祖母さん、ハルさん、それが……連絡取れるかもしれません。いや、俺とテッサさまが同じ世界だったのかまだわかりませんから、はっきり言えませんけど、でもたぶん……』
『え? ユージさん、テッサさまは向こうの世界では、ニンゲンは100年も生きればすごい長生きだって』
『えっと、ハルさんが知ってるかどうかわからないんですけど、時間がおかしいって話は聞きましたか?』
『ああ、なんかテッサさまとか研究者たちがそんなことを』
『だから、間に合う可能性があるんです。ちょっと俺もよくわからないんで、はっきり言えないんですけど』
『ユージさん……お願いします。ああ、でも期待し過ぎないほうがいいわよね、はっきりわからないんだものね』
『はい。それでリーゼのお祖母さん、その、あの場所に手紙や服なんかが残ってたんですが……一度、ぜんぶお借りできないでしょうか? テッサさまの家族に連絡取れるかもしれないです。それと、もう一人の稀人・キースさんの手紙はたぶん確実に訳せると思います』
『……ユージさん、わかりました。家に持って帰ればわかるかも、という理由で長老たちと守り人に話をつけます』
『お祖母さま?』
『心配しないでリーゼ。連絡が取れるっていうのはまだ黙っておくから』
『そのほうがいいよ! ニンゲンと関わるエルフは少ないから、秘密が漏れる心配はないけど……みんな面白がってユージさんの家に行きたがっちゃうだろうし!』
『あなたもよ、ハル。お役目はちゃんとしてちょうだいね。合間なら構わないから』
『ええーっ?』
『ハル、わきまえろ。1級冒険者で名の知れたお前がいきなり開拓地に移住してみろ、何かあると思われるだろ。たまに来るぐらいにして普段は王都で、遊びに来る時は川を使え』
『ゲガス? それはわかったんだけど遊びに『来る』ってまさか……?』
『ああ? 俺は義理の息子と娘の近くに住むからな! 開拓地には娘夫婦の商会の生産拠点もあるし、なあ? 父親としては、大事業に乗り出した娘夫婦を手助けしてやらなきゃだよなあ?』
『ず、ずるいよゲガス!』
「お義父さん……それちょっとやりづらいんですけど」
「それで、その、ハルさん。俺の家だと連絡が取れるので、こっちの研究成果と合わせたら何かわかるかも……」
「たしかに! じゃあボクが護衛して研究者を行き来させたり、報告書を運ばなくちゃね! ボクが!」
ハルはようやく納得したようだ。
それにしても、このハルの喰いつきよう。
テッサがハルに教えたユージの元の世界の情報が気になるところである。
「はあ、この顔ぶれでもこれだけ混沌とするわけですからねえ。ユージさん、みなさん、他の場所ではうっかり口を滑らせないように気をつけましょう。戦争になりますから」
「はーい! アリス、気をつける!」
『リーゼも! うふふ、でもリーゼはお祖母さまとしゃべれるものね!』
「せ、戦争……気をつけます、いやマジで。えっと、みなさんよろしくお願いします!」
深々と頭を下げるユージ。
還れないと知って感じた気持ちは『連絡が取れると知られたら戦争になる』と聞いて吹っ飛んだようだ。
ひとまずは。
リーゼの実家への訪問からはじまった、エルフの里滞在三日目。
長い長い一日は、まだ終わらないようだ。





