閑話 ある掲示板住人のお話 九人目
「おはようございます!」
「おはよう正人くん、今日も早いね」
「朝の散歩が日課ですからね! ……その、今日も」
「ああもちろんだとも。ジョンもかまってほしそうだからね」
涼やかな海風が吹き抜ける朝。
海岸ぞいを散歩していた男が、一人の老人に声をかける。
二人の毎朝の恒例行事。
そして、老人が連れていた一匹の犬も。
大人しく老人の横を歩いていたゴールデンレトリバーが男に近づく。
ブンブンと尻尾を振って。
「ジョンは今日もいい子だなー」
近づいてきた大型犬をわっしゃわっしゃと撫でまわす男。
ニコニコと笑顔である。
いや。
ニヤニヤと、気持ちの悪い笑みを浮かべている。
つぶらな瞳のジョンは気づかずご機嫌な様子。
男の表情は、立ったままの老人からは見えなかった。
「そんなに好きなら正人くんも犬を飼えばいいのに」
「いやあ、俺は実家暮らしですから。両親はあまり好きじゃないようで……だからジョンと触れ合えるのがうれしいんですよ」
「ああ、ならしょうがないか。ジョンも懐いているようだし、これからもよろしく」
男の両親が犬嫌いなわけではない。
これは男がよく使う言い訳なのだ。怪しまれることはない。
というか、ペットを飼えない事情などさまざまだ。
嘘がバレたところで、まあ言いたくない理由があるんだろうと思うまでのこと。
毎朝の恒例行事。
男は今日もジョンの毛並みを堪能して、満足げに散歩を続けるのだった。
今日はあそこに野良猫がいるかなー、ちょっと坂を上ってみるか、などと呟きながら。
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「あ、正人? 明後日空いてる?」
「どうした?」
「いやあ、あっちゃんのとこのホテルが満室になったみたいでさ。ウチにも客が流れてきそうなんだわ」
「ああ、いつもの手伝いか。おう、じゃあ明後日行くわ」
「助かる! しかしなんだろうなー急に」
「さあな。また再放送でもあったんじゃねえの?」
「あり得る! そういうのマジこっちにも教えといてほしいよなー」
「まあしゃあねえだろ。じゃあ明後日な」
「おう、サンキュー!」
友人からの電話を切る男。
男は定職に就いていない。
実家暮らしの立派なニートである。
ただ時々このように、友人の要請で仕事の手伝いをしていた。
臨時のバイトが男の収入源であるようだ。
「んー、じゃあ明後日は自転車屋か」
自室のパソコンデスクの前に座っていた男はポツリと呟く。
繁忙期になればレギュラーで入ることもあるが、いまは春。
例年であればゴールデンウィークの前のこの時期は混まない。
が、男が住む街は時おりこうして突発的に混雑することがあったのだ。
「検索しても……ムダか。しっかし、あいかわらずすげえ数だな」
地名、観光。検索結果は大量。
地名と映画、アニメ、ゲームなどの単語を組み合わせても大量。
男も地元民たちも、いつしか気にすることを止めていた。
気にするのはせいぜい撮影が行われている時だけ。
あとは観光協会と、それ目当ての旅行客が来だしてから。
閑古鳥が鳴くよその観光協会が聞いたら血涙を流さんばかりの態度である。
仕方あるまい。
この地を舞台にした物語は数多あるのだ。
穏やかな瀬戸内海の美しさ、港町としての一面、そして坂が多く絵になるスポットが無数にある。
一度有名になってからは写真も増え、参考資料が大量に存在するせいもあるだろう。
尾道。
ときどき友人の伝手でバイトするニート。
21才の山本 正人の住む地である。
ちなみに明後日のバイトは自転車屋 兼 観光用のレンタサイクルの店である。電動アシスト自転車が主流だが、貸出用のママチャリも置いていた。
店員すら止めるにもかかわらず、時おりママチャリを借りていく若者もいるようだ。若さゆえの過ちである。
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男がソレに目覚めたのは、必然だったのかもしれない。
実写もアニメもゲームも尾道を舞台にしたフィクションは多く、子供の頃から物語に接する機会は多かった。
子供の頃に映画とアニメに触れ、そのままのめり込んでいく。
そして。
男は出会ってしまった。
人間ではないのに、愛くるしい生き物に。
地元が舞台のアニメではなかったのは、男にとって幸運だったのかもしれない。
もし地元のシーンがあれば、男はずっとその場に張り込んだろうから。
だが、ある意味では不幸だったのかもしれない。
地元が舞台なのに出会えないとなれば、子供のうちに男は現実を知ったろうから。
小学校を出て中学に通い、高校に入ってからも男の好きなタイプは変わらなかった。
結果、童貞のままである。
だが。
男は出会ってしまった。
理想のヒトを探して繰り返すネットサーフィンの中で、出会ってしまった。
それは、男が初期からずっと見守ってきた掲示板。
時おり書き込んではいたが、名無しだったスレ。
「マ、マジかよ……コレだよコレ! 俺が探してたのはコレだ! よっしゃあ、ずっと見守ってきた甲斐があった!」
その日、男が見つけたのは。
『【ケモミミは】10年ぶりに外出したら自宅ごと異世界に来たっぽいpart23【まだか!】』
異世界生活三年目のユージが、獣人の写真をアップしたスレである。
「おいおいおいおい、これも加工じゃねえのかよ!」
辿ってきた物語を、男は思い返すように貪り読む。
どうやったら異世界に行けるのかと。
山本正人、21才。
コテハン・ケモナーLv.MAX。
ジョン、早急に散歩ルートを変えるべきである。
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「あいかわらず接客はうまいんだよなあ。正人、ウチで働かないか? そろそろニートもアレだろ?」
「すまん。俺、行かなきゃいけないところができたんだ」
行かなきゃいけないことはない。
あちらサイドはむしろ来られても困るだろう。
「お? めずらしく真面目な感じだな」
「ああ。何をおいても行きたいんだ。親不孝になるかもしれないけど……」
「お、おう。がんばれよ?」
友人とその両親が家族で営む自転車屋。
友人が仕切るレンタサイクル部門はそこそこ儲けているようだ。
観光客が多いタイミングでは男がビラを持って客引きをして、友人が実務を行う。
坂が多く狭い道ばかりの尾道。
観光客相手の商売はうまくいっており、友人は男の能力を評価していたようだ。
「ああ。とりあえず今年の春もまた関東に行ってくる。すまんがその頃はバイトに入れないから」
「去年も行ってたヤツか。まあゴールデンウィークまでに帰ってきてくれたらいいさ」
「ゴールデンウィーク、か。それまでに帰ってこなかったら……俺は尾道に帰ってこないものだと思ってくれ」
「え?」
「そして、俺の幸せを祝福してくれ」
「はい? 正人、大丈夫?」
どうやらこの男、キャンプオフに行くつもりのようだ。
まあ『ヒマだから』という理由で第一回キャンプオフに参加していたのだが。
獣人の存在が確認されたいま、第二回キャンプオフは本気であるようだ。
本気になったところでどうしようもないのだが。
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「ダメだったか……いや、来年。まだ時間はある、マジでいるってはっきりしたんだ、諦められるかよ」
第二回キャンプオフも、男を含めた住人たちは異世界に行けなかった。
だが。
男は未だに諦めていないようだ。
帰ってきてからも男は掲示板に張り付く。
異世界の街の写真を見ては、通行人に獣人がいないかチェックする。
服作りが始まると聞いて、うれしそうに理想の服を考えだす。
尻尾はどこから生えているのか、メスは複乳なのか。
開拓の様子やモンスター、保護したエルフよりも男にとっては大事な問題である。
そして男は、第三回キャンプオフにも参加する。
心のどこかでは『今回も無理だろう』と諦めながら、それでも期待に胸を膨らませて。
『諦めなければ、夢はきっと叶う』
そう自らに言い聞かせて。
キレイな言葉が台無しである。
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「どうかしたのかい正人くん? 最近落ち込んでいるように見えるけど」
「ああいえ、なんでもないんです。犬はいいですねえ」
「そうか、ならいいんだけど……ジョンは賢いからね。本当にいい子だよ」
肩を落としてゴールデンレトリバーを撫でまわす男。
第三回キャンプオフから帰ってきた男はちょっと沈んでいた。
老人とジョンは、大丈夫か? と心配げな様子である。
ちなみにジョンの貞操は無事だ。オスなので。
ユージは王都へと旅立った。
新たなもふもふの写真がしばらくアップされないのも、男の落ち込みの原因なのかもしれない。
だが、男はまだ知らない。
帰ってきたユージが持ってくる情報を。
過去にも稀人が存在し、エルフの里に情報があるらしいという報告を。
それは、ユージ以外にも異世界に行った人がいるという情報。
自分も異世界に行けるかもしれないと考えるのに充分な事実であった。
「よしよしよし! 俺にもまだチャンスはある! 俺、異世界に行ってケモハーレム作るんだ! 夢は諦めない!」
諦めてほしいものである。
まああちらの世界では『変わり者』には見られるが、違う人種同士の恋愛や結婚もOKではある。
穏当な手段を使うのであれば、男の夢は諦めなくてもいいのかもしれない。
行けるかどうかは別問題だが。
コテハン、ケモナーLv.MAX。
高校を卒業し、忙しい時には友人の要請で臨時のバイトを手伝うものの、実家暮らしのニート。
数多の物語の舞台・尾道で生まれ育ち、次第にフィクションにのめり込む。
初恋はアニメの中のモフモフ。
以来、男はケモナーの道を突き進む。童貞のまま。
ユージの掲示板を発見してからは、理想郷ここにあり! と異世界トリップを目指してキャンプオフにも参加。
エルフの里に残された稀人の情報を誰よりも心待ちにしているのは、この男なのかもしれない。
あるいはYESロリータNOタッチか。
人間の三大欲求の一つが、異世界でしか合法的に叶わない特殊な人間たちゆえ。
ユージが異世界に行ったことをきっかけに、『夢を諦めない』と誓った男。
ある掲示板住人の、ちょっとした物語であった。





