閑話15-2 サクラ、無事に子供を産んでユージは『おじさん』になる
副題の「15-2」は、この閑話が第十五章 二話終了ごろという意味です。
ご注意ください。
アメリカ、ロサンゼルス市内の病院。
うろうろと落ち着きなく歩きまわる男の姿があった。
『ああ、まだかな、いくらなんでも遅いんじゃ、サクラ、ボクたちのベイビー、がんばって、ああ』
『落ち着いてジョージくん。ほら、そこにいるとドクターとナースの邪魔になるわよ』
『ジョージくん……気持ちはわかるが、私はもっと落ち着いていたぞ?』
『あなた、なに言ってるの? 挙動不審すぎて病院の外に追い出されてひたすらタバコを吸ってたって聞いたけど?』
『あはは、こんなジョージ初めて見た! 出産って大変なんだねえ』
廊下をうろうろと歩きまわっているのはサクラの夫のジョージ。
友人のルイスは、事前に二人に頼まれてカメラをまわしている。まあいまの被写体はふらふらしているジョージだけ。
プロデューサーと脚本家の老夫婦はベンチに座って落ち着いていた。年の功である。いや、ここ最近は親しくしているとはいえ、血縁関係はないのだ。落ち着いていて当たり前なのかもしれない。
まあそのおかげで、焦るジョージをなだめて素早く病院に到着していたのだが。
破水したサクラは、いま分娩室。
予定日より10日早いことから、病院に着いてすぐに分娩室に通されていた。
運が良かったのか、あるいはハリウッドでも有名なプロデューサーと脚本家の夫婦の顔がきいたのか。
サクラが入室してからすでに8時間が経ち、すっかり日は落ちている。
お産、とくに初産とはかくも過酷なものなのだ。12時間超えもよくある話である。
ルイス、冷静なように見えてカメラをまわしっぱなしであった。どうやらこの男も平静ではないようだ。
待つことしばし。
あ、あれ、撮影できなくなった、ルイスくん、バッテリー切れじゃないか? 予備は持ってきた? などという一幕も終わり。
分娩室の扉が開く。
『サ、サクラ! ベイビー!』
『旦那さんですか? 落ち着いてください』
『そ、それで二人は!』
『落ち着いてください、母子ともに健康です』
『おお、おお、ありがとうございます……神よ……』
ドクターを見つめながら涙を流し、手を組んで祈るジョージ。とりあえずその男は神ではない。
『では、中にどうぞ。あまり騒がないでくださいね』
ドクターが身を翻して室内へ。
開いた道をふらふらと進むジョージ。
後ろからはカメラを構えたルイス、続けて初老の夫婦もゆっくりと入室する。
『サクラ、サクラ……ありがとう……』
ジョージはすでに泣きじゃくっていた。
『もう、ジョージったら。ほら、私たちのベイビーよ』
上体をおこしたサクラの腕の中には、泣き声をあげる小さな存在があった。
しわくちゃで、顔はまだ赤らんでいる。
力いっぱいに泣いているのだろうが、その声は小さい。
『ジョージくん、ちょっと待って! こう、腕で輪っかを作って』
挙動不審なジョージを見かねたのか、後ろで見守っていた脚本家の上品な婦人がジョージにレクチャーする。
指示されるまま、婦人に動かされてカクカクと腕を曲げるジョージ。
分娩室に残っていたナースは、その様子を見て大丈夫そうだと判断したのだろう。部屋の片付けを再開する。
姿勢を整えたジョージの腕に、そっとベイビーが渡される。
『ああ、ああ……なんて小ちゃいんだ……その、大丈夫なんでしょうか? ちょっと早かったですし、小さくありませんかね?』
『予定日より10日早かったですが、体重は6.3ポンドです。まあ問題ありませんよ』
『そうですか、じゃあこんなに小さいんですね……あったかくて、ふにゃふにゃで……あ! 笑った! 笑ったよサクラ!』
ジョージ、大騒ぎである。
ちなみに、グラムに換算するとだいたい2860グラムぐらいである。
ヤード、フィート、ポンド式のめんどくささよ。
『ふふ、ジョージったら。それ、笑ったんじゃないと思うよ?』
『そうなのかい? でもいいんだ! ほら、ボクたちのベイビー、はじめまして。ボクがキミのパパだよ!』
固まったように腕を動かさず、首から上だけで顔を近づけるジョージ。
だが、意味はない。
生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えないのだ。
まあ正確にはぼんやりと見えており、白や黒、グレーは認識できるらしいが。
『ジョージったらはしゃいじゃって。それでジョージ、名前は考えてくれた?』
『あ!』
『サクラさん、出産待ちのジョージを落ち着かせようって狙ったみたいだけど、ムリだったね!』
『うん、まあわかってた。ホントはこれから出産予定日までに決める予定だったしね』
サクラの作戦は失敗であったようだ。
ジョージは名前を考えて時間を潰すことなく、ただ動揺して廊下を往復し、大丈夫か、まだかと決まった言葉を繰り返すだけだった。古いゲームの村人か。
『それでサクラさん。この子は男の子? 女の子?』
ジョージの腕に抱かれた赤ちゃんを撮影しながら問いかけるルイス。二人の友達というだけのルイスは、父親のジョージよりも早く動揺から立ち直ったようだ。
『男の子だって! ジョージ、はやく名前をつけてあげなくちゃね!』
『おお、おお、男の子……』
ジョージ、いまだ感激状態が続いているようだ。
まともな言葉すら話せていない。壊れかけの……いや、それほどうれしいことであるらしい。
『ほらジョージ、何かしゃべってよ。男の子だってさ』
ルイス、変化のない映像がちょっと物足りなくなってきたようだ。
クリエイターにありがちな病気である。
『名前……男の子の名前……ジョージJr.?』
『ちょっとジョージ! 日本じゃその風習に馴染みがないから、それはやめとこうねって話したじゃない!』
父と子で同じ名前を付けて『Jr.』、祖父とあわせて三代同じ名前をつけて『Ⅲ』。
ジョージの場合で言うと、『ジョージ・フローレス・ジュニア』、『ジョージ・フローレス・ザ サード』である。
かっこいい。かっこいいが、サクラが言うように現代の日本で『父親と同じ名前を付ける』のはあまり馴染みがない。もちろん有名な名前を襲名する、などのケースはあるが。
ジョージ、いまだ平静に戻れていないようだ。
『じゃ、じゃあ、ジョンソンかジャクソン……』
『じゃあって何よ! それにジョージ、あなたジョンでもジャックでもないじゃない!』
基本的には『〜ソン』は『〜の息子』である。もちろん気にせず名付けるケースもあるようだが。
ジョージ、いまだ平静ではないようだ。
『え、えっと、そしたら、ルーカス……』
『もう! ジョージ、思いつきで言ってるでしょ?』
ジョージ、ルーカスと名付けるつもりなのか。危ない。いや、繋げなければよいのだ。
『そうだよジョージ! それならルークにしようよ!』
『ちょっとルイスくん! それじゃジョージが大変なことになるじゃない!』
古い。
それにファミリーネームはフローレスなのだ。きっと、私が父親だと名乗っても大丈夫だろう。空は駆けないので。
そもそも、すでにジョージは『I am your father』だと伝えている。
『もう! もう!』
サクラ、おかんむりである。
それにしてもサクラ、初産を終えたばかりなのにずいぶんな体力である。
『うふふ、サクラさん、今日のジョージくんには無理だと思うわよ?』
見かねて助け舟を出す脚本家の女性。
やはり年の功である。
『そうだよ三人とも。名前は大事だしな。ところでサクラさん、テッサという名前はどうだろう? あるいはテスタロッサ』
『ちょっとあなたまで! だいたいテッサって女性名じゃない! 男の子なんだし……あら? でもサクラさんは日本出身なんだし、そっちからの名前ですって言えばアリなのかしら?』
年の功ではなかった。
歳を取っているからといって、冷静でも判断力があるとも限らないようだ。
初老の夫婦も浮ついている。
『お二人とも! その名前はジョークにしてもダメです! この子が異世界に行っちゃうじゃないですか!』
ジョージの腕からサクラの腕の中へ移動していた新生児。
サクラは、もう! とばかりに産んだばかりの子供を抱きしめる。
『や、やだなあサクラ、ボクもみんなもアメリカンジョークだよ! そんな、本気で言ってないって! ねえ?』
『そ、そうよサクラさん。軽いジョークなのよ、ねえあなた?』
『ああ、もちろんだとも。テッサくんにして、撮影班を密着させようなんてそんな、なあ』
『時系列が違う。いまは同期していたとしても可能性としてはユージさんより前に行くこともあり得るのか。ボク、改名してみようかな。いや本名とは限らないんだから、改名しなくても名乗ってるだけで可能性はあるのか』
ジョーク、であるようだ。
ともあれ。
ユージの妹、サクラは無事に第一子を出産した。
34才のユージは『おじさん』であり、甥っ子が産まれたユージは『伯父さん』である。
ユージにそこまでのこだわりはないようだが、もしアリスに『ユージおじさん』と呼ばれたら、それなりにショックを受けることだろう。
流れる時間は人を癒すが、時に残酷な一面を見せるのだ。
本人の内面はともかくとして、気づけばもうおじさんになっているのだ。
時空魔法の発見が待たれるばかりである。
※赤ちゃんの体重、ポンド表記に修正しました。
アメリカの病院は立ち入りが通常らしいですが……
海外の大都市に稀によくある日系の病院だった、ということで何とか。
何とか!





