第八話 ユージ、エルフの里に繋がる関門に到着する
「うわあ、はやーい!」
「アリスちゃん、エルフははやいのよ!」
悲しい事実である。
違う、誇るべきことである。
下ネタではなく船の速度なので。
「すげえ……あれ? そういえばこの船、どうやって進んでるんだ?」
ユージ、いまさらながらその事実に気づいたようだ。
エルフの少女・リーゼ、稀人であるユージ、人とエルフを繋ぐお役目のゲガスとケビンを迎えに来た二艘の船。
川原から船に乗り込んだユージたちは、川を遡っていた。
水面をかき分けて船は静かに進む。
いまは潜ることなく、船は普通に水面に浮いていた。
二艘の船の船頭役は船尾に腰掛けている。
ユージが乗る船にいるのは、船頭のエルフのほかにアリスとリーゼ。
そして、舳先に両前脚をかけて進路を睨みつけるコタローであった。船首に飾られる女神像か。犬だけど。
「ハルさーん! これ、どうやって進んでるんですか?」
隣を走る船に乗っているのは、ハル、ケビン、ゲガス、船頭役のエルフ。チームおっさんである。まあハルも船頭も見た目は若いのだが。
風を受ける帆はない。
ユージが見る限りエンジンらしき動力もない。
離岸するときに船頭のエルフが櫂を漕いでいたが、いまは何もしていないように見える。
それでも船は静かに進む。
川を遡って。
「ユージさん! 決まってるじゃないか、これも魔法だよ! 風の使い手なら風を、水の使い手なら水を。船尾から吹き出して推進力にしてるのさ!」
「え? はい?」
手にしたカメラをゆっくり水平に動かして、ハルが乗る船の船尾を撮影しようと試みるユージ。
特に変わった点は見られない。
強いていえば、船尾に座ったエルフが手を水中に伸ばしていることぐらいだろうか。
ハルが言うように、そこから魔法を使っているのだろう。
「今日は二人とも水魔法の使い手だからね! 風だとちょっと泡立って見えるんだけど……」
ユージが船尾、魔法に注目したことがわかったのか、ハルが続けて説明する。
ユージ、残念ながら『船が魔法で進んでいる』と一目でわかる映像を残すことはできないようだ。
「リーゼちゃん、エルフのお船は静かだね! 景色がキレイだね!」
「ありがとうアリスちゃん!」
アリスは初めての船旅に上機嫌。思えばヤギリニヨンで川を渡った時もアリスは上機嫌であった。
手を繋いだリーゼは誇らしげに胸を張る。
船尾のエルフもわずかに頬を緩めていた。
少女の素直な感想は、エルフの自尊心をくすぐったらしい。
「ほんと、アリスの言う通り船はいいね! 王都までの旅も、馬車じゃなくて船のほうがよかったかなあ」
森を流れる澄んだ川。
人の痕跡もない自然の中を、船は静かに進んでいく。
のどかで平和な船旅である。
この川はプルミエの街、その先はヤギリニヨンを経由して王都まで繋がっている。
それを思い出したのか、ユージは王都への旅も陸路ではなく水路を選べばよかったか、と思ったようだ。
『ユージ兄、ニンゲンの船じゃこうはいかないんでしょ? 魔法じゃない風とか、漕いで進むって聞いたわ! それに、水辺や水中に棲むモンスターだっているんだから!』
ボソリと呟いたユージ。
現地の言葉、続けてエルフの言葉で繰り返す。
ユージ、すっかりリーゼに配慮した同時通訳がクセになっている。半ば独り言でも、二つの言葉で続けて話すほどに。
『あ、そっか! そういえばケビンさんが船は危ないって言ってたっけ。あれ? じゃあこの船は襲われたらどうするの?』
『ふふん、ユージ兄もアリスちゃんもコタローも安心してね! リーゼには水の魔眼があるんだから!』
『そういえば……あれ? じゃあ王都への旅も、船のほうが安全だった?』
『うーん、襲われれば使ったかもしれないけど、ハルがいなかったし、水の魔眼を使った魔法をニンゲンに見せていいかわからなかったから……』
『……リーゼ、ちょっと見せてくれるかな? どんなことができるんだろ?』
「いいわよ! ユージ兄、アリスちゃん、コタロー、見ててね!」
半年の間に覚えた言葉で、同乗するメンバーに宣言するリーゼ。
船の縁に移動して進路方向の水面を見つめる。
そして。
詠唱もなく、きっかけもなく。
船の斜め前方に、いきなり水の柱が突き立った。太さ、高さともに2mほどの。
すぐに柱の上部が切り離され、水の球となる。
浮き上がった水の球は、ゆっくりと船に近づいてくる。
中に一匹の魚を閉じ込めたまま。
「う、うわあ、うわあ! リーゼちゃんすごい! すごーい!」
「な、なんだコレ……すごいよリーゼ!」
『魔眼なら、離れたところの魔素を目標にして魔法を使えるのよ! リーゼは水の魔眼だから、水場ならさいきょーなんだから!』
そう言いながら、リーゼは水の球を操作する。
船の上空に浮かぶ水の球から、閉じ込められた魚が泳ぎ出てきた。とうぜん、そのまま落下する。船の上に。
「リーゼちゃんすごい! アリス、得意なのは火魔法でその次は土だから、水はちょっとしか作れないの!」
「俺は光魔法だから、あんまり役に立たないしなあ」
「ユージ兄、アリスちゃん、大丈夫!『モンスターが襲ってきたら、ぜんぶリーゼが倒しちゃうんだから!』」
リーゼ、二人に褒められて絶好調である。
いや、二人だけではない。
コタローも、ワンッと吠えながらリーゼのまわりをウロウロしている。りーぜはすごいのね、と言わんばかりに。
「ふふ、ユージさん、そういうこと! 船の操作もあるから、外に出るのは水か風の魔法の使い手。だからもしモンスターが出ても魔法でね! 襲われても敵じゃないし、湿地帯も問題なく抜けられるんだ!」
「はあ……それでハルさんは自由に動いてたんですね。エルフの里はこっちなのに、馬車はひさしぶりって言ってたし……」
「ま、これでも風魔法なら里でも上のほうなんだよ?」
「これでもっていうか、ブレーズさんとの模擬戦で見せてもらいましたから!」
そんな会話をよそに、船頭役のエルフは船を進めていく。
モンスターに襲われることなく、船旅は順調に進んでいた。
アリスとユージ、コタローに褒められて調子に乗ったリーゼが、バッシャバッシャと水魔法で魚を獲りながら。
静かに水面を滑り、心地よい風を切って船は進む。
ユージたちが乗る船は、途中からだいぶ魚の生臭さが匂っていた。
リーゼ、調子に乗りすぎたようだ。
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ユージたちが船に乗り込んでから三時間ほど。
ピクリとコタローの耳が動き、ふたたび舳先に前脚をかけて身を乗り出す。若大将か。メスだけど。
いや、かっこつけているわけではない。
コタローはどうやら何かの音を聞きつけたらしい。
やがてユージの耳にもその音が届く。
そして、前方に見えてきた。
「うわあ、水がいっぱい落ちてくる!『リーゼちゃん、これは何?』」
「アリスちゃん、これは『滝』って言うの!『ユージ兄、ニンゲンの言葉で滝はなんて言うのかしら?』」
「『えっと「滝」かな』 え? 滝? どうすんのこれ?」
コタローがいち早く反応した音。
そしてユージたちの目の前に見えてきたもの。
それは、滝であった。
落差は10mほど、幅は5mといったところか。
それほど大きな滝ではない。
なにしろユージの地元・栃木県には、落差100m弱の名瀑・華厳の滝があるのだ。お隣には袋田の滝もある。
かつて北関東に住んでいたユージの目の前にあるのは、比べようもないほど小さな滝であった。
ユージは座ってカメラで撮影しているが、迫力のある映像にはならないだろう。
だが。
「ハルさん? 川、途切れてますけど……あ、魔法的なアレで滝を登るんですかね?」
鯉か。
龍にでもなる気か。
「ユージさん、さすがにそれは難しいよ! お嬢様が水の魔眼をもっと使いこなせるようになったらイケるかもしれないけどね!」
「え、マジかよ」
ユージ、自分で言い出したくせにイケるかもしれないと聞いて驚いたようだ。
ワフッと呆れたような声で鳴くコタロー。まったくゆーじはおばかなんだから、と言わんばかりに。
「それでハルさん、ここからどうするんですか? 船を下りて山道ですかね?」
ユージ、もっともな質問である。
滝を登らないとなれば、それしか考えられないだろう。普通であれば。
だが、ユージもその答えは知っているはずだ。
聞かれたハルは、ニコニコと笑顔を見せて宣言する。
「ユージさん、この船がなきゃエルフの里に帰れないって言ったでしょ? 上がダメなら下へ! 潜るんだよユージさん!」
「あ! そうか!」
ここまでユージたちは、普通に水上を進んできた。動力こそ魔法だが、それを除けばあまりにも普通に。
『潜る』という発想を忘れていても無理はあるまい。
船の上、ユージたちの頭上には二本のフレームがあるが、それ以外はあまりにも普通の船なのだ。
「さあ、こっちの船はボクが魔法を使おう!『お嬢様、そちらはお嬢様がやりますか?』」
『ええ! ユージ兄とアリスちゃんとコタローを驚かせてやるんだから!』
ハルの問いかけにぎゅっと両手を握って答えるリーゼ。
アリスの姉貴分として、いいところを見せたいようだ。水魔法を連発して魚を獲りまくっていたのもその表れだろう。
そのせいで船上は魚臭い。
開拓地から西に出て、川原へ。
川原で迎えに来たエルフたちの船に乗り、上流へ。
目の前には滝と滝壺。
これから水中に潜ると聞いて、ユージとアリスは目を輝かせている。
いや、二人だけではない。
コタローも、そして隣の船に乗るケビンも。
エルフの里への旅。
最終行程は、おっさんを少年に戻すものであるらしい。
リーゼ風に言うところの『お話みたいな大冒険』。
冒険を諦めて職務に戻ったプルミエの街のギルドマスター・サロモンにこの話が漏れないことを祈るばかりであった。





