第五話 ユージ、ゲガス商会の会頭『血塗れゲガス』と対面する
「うーん、暑い……」
米を食べてユージが号泣した翌日の早朝。
ボソリと呟いて、眠っていたユージが目を開ける。
首だけを動かしてあたりを確かめるユージ。
「はは、そりゃ暑いよな。…………ありがとう、みんな」
仰向けに眠るユージの右側にひっつくリーゼ。
左側にひっついているのはアリス。その後ろで横になってアリスに密着しているのはアリスの兄・シャルル。
さらに、ユージの上にはコタローが乗っかっていた。
ユージは三人と一匹にまとわりつかれて寝ていたようだ。
暑くて当然である。
微笑みを浮かべて、ふたたび目を閉じるユージ。
しばらくすると、幸せそうに寝息を立てる。
帰れないかもしれないけれど、一人じゃない。
きっとそう感じたのだろう。
ちなみに、ユージは泣き疲れてそのままの体勢で裏庭で寝ていた。
寝台まで運んだのは、プルミエの街の冒険者ギルドマスター・サロモンである。
寝ているユージを起こさないよう、お姫様抱っこで。
時に人は知らないほうがいい真実もあるのだ。
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「おはよーみんな」
「ユージ兄、おはよ! もう痛いの治った?」
目覚めたユージの顔を心配そうに覗き込んでくるのはアリス。
アリスの後ろにいるシャルルも、言葉は出さないが心配そうな表情でユージを見つめている。
優しい兄妹である。
「うん。アリスとシャルルくんが一緒に寝てくれたおかげかなー。ありがとう」
「ユージ兄、リーゼ、リーゼは?」
「リーゼもありがとうね」
続けて問いかけるリーゼ。
それにしても、レディが男に添い寝してもいいのだろうか。
リーゼが自称するレディは、優しい存在であるようだ。
しゃがみこんだユージが、両手を広げて三人の子供を抱きしめる。
きゃっきゃと喜ぶアリス。
頬を染めるリーゼ。
静かに微笑むシャルル。
前脚をユージの肩にかけ、背中にのしかかるコタロー。
まるでユージの寂しさをごまかすような、濃厚なスキンシップである。
そこに妙齢の女性はいない。
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「あれ? なんかバタバタしてるなあ、なんだろ」
「あ、ユージさん、みなさん! おはようございます!」
「ケビンさん、どうしたんですか? なんかみんな忙しそうですけど?」
「ああ、先触れがあったんですよ! もうすぐゲガスが帰ってくるって! ユージさん、ちょっと私も急いでいるので、また後ほど! 包帯と血止めの軟膏と……ああ、打ち身の薬はどこに置いたかな……」
そう言い残してさっと行ってしまうケビン。
用意する物を確かめる独り言が物騒だ。
どうやらこのゲガス商会の会頭、『血塗れゲガス』が帰ってくるようだ。
「そっかー。帰ってきたら俺たちも挨拶しないと」
「はーい! どんな人なんだろうねユージ兄!」
まとわりつく子供たちに告げるユージに、アリスが元気よく返事する。
ユージ、すっかり保父さんである。
だが。
リーゼは一人、小さな声でブツブツ呟いていた。
『ゲガス。ケビンさんにあの布を渡した人ね。たぶん……』
独り言が多い危ないレディである。
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ユージたち、そしてケビンは応接室でゲガスの到着を待っていた。
ユージ、アリス、リーゼ、コタロー、サロモン、ケビン。
客人として挨拶するため、シャルルやドニも座っている。
ユルシェルは最後の仕上げね! と言ってフラッと消えていった。
ケビンの専属護衛の二人はゲガスを迎えに行ったようだ。
「ケビンさん、ゲガスさんってどんな人なんですか?」
「どんな人……うーん。ま、まあもうすぐ来ますから」
暢気に質問するユージに、腕を組んだケビンが答える。緊張なのか、額からは汗が垂れていた。
と、ドタドタと部屋の外から足音が聞こえる。
そのままノックもなしにバンッと開かれる扉。
ズカズカと、一人の男が応接室に入ってきた。
「お客人、ようこそ。俺がゲガス商会の会頭、ゲガスだ」
口ではユージたち客人に歓迎の意を示しながらも、目はがっちりとケビンを捉えていた。
日焼けした肌、シワの多い顔は人生の大半を屋外で生きてきた証明だろう。
黒々とした長いアゴヒゲ以外の場所。禿頭にも顔にも、いたるところに傷跡が見える。
ケビンを睨む眼光は鋭い。
ユージが思わずヒッと声を上げ、姿勢を正すほどには。
狼人族のドニがシャルルの前に立ちふさがり、心に傷を負っているシャルルの視界を隠すほどには。
「あ、ああ、すまないお客人。ちょっと聞き捨てならない話を聞いたもんでな。あとでゆっくり話したいこともあるから、しばらく待ってくれ。先に男と男の会話をさせてくれ」
雰囲気に飲まれたユージに告げるゲガス。
ユージが隣に座っているリーゼにその言葉を通訳しようと、耳に顔を寄せたその時。
『嬢ちゃん、ちょっと待っててくれな。あとで伝えたいことがある』
『やっぱり! ええ、ここまで来たらちょっとぐらい待ってるわ』
「え!?」
ゲガスは、エルフの言葉で直接リーゼに伝えていた。
驚くユージ。
いや、ゲガスとリーゼ以外はみんな目を見張っていた。
「会頭、どうして……」
「ああん? おまえはいまそんな話がしたいのか?」
疑問を口にするケビンだが、ジロリとゲガスに睨まれて口をつぐむ。
ぐっと体に力を入れるケビン。
意を決して口を開く。
「会頭。ジゼルを私の嫁にください」
ケビンの言葉を受けて、ゲガスがさらに鋭い視線を向ける。
関係ないユージがビクッと体を縮こめる。
どうやらユージは、大事な娘をくれと言われた男親の殺気にあてられたようだ。
シャルルの目線を遮ったドニ、ファインプレーである。
「ケビン。てめえ、俺が娘を嫁にやる条件は覚えてるな?」
「はい。まずは経済力ですね。私はプルミエの街で自分の商会を興しました。それから、これが主力になる商品です」
怯むことなく回答するケビン。
足下に置いていた袋から缶詰を取り出してテーブルの上に置く。
「缶詰ってヤツか。話は聞いているし試食もした。で? これだけか?」
「いえ。アリスちゃん、ローブを脱いでくれるかな?」
「はーい!」
前屈みになってさらにケビンに近づき、いまだ睨みつけるゲガス。とても商人には見えない。
ケビンの言葉を受けて、アリスが立ち上がっていそいそとローブを脱ぐ。
9才の幼女によるストリップである。
違う。
ローブを脱いだアリスは、既存の技術と素材でユルシェルが作った、現代風デザインの服を着ていた。腰には布のコサージュが縫い付けられている。
王都でも見たことがないデザイン。
高価な布をふんだんに使う貴族向けではなく、庶民でもちょっと手を伸ばせば買えるであろう作り。
それを見て取ったゲガスがわずかに雰囲気を緩める。
「ケビン商会は、服飾も取り扱っていきます。それから……ジゼル!」
部屋の外に向けて、大きな声で合図を送るケビン。
応接室にいた一行が揃って扉に目を向ける。
全員の視線を浴びた扉が、ゆっくりと開いていく。
そこにいたのは。
ドレス姿のジゼルだった。
「ジゼル……」
「どう? 似合うかな、パパ?」
「パ、パパ……?」
目を見開いて娘を見るゲガス。
恥ずかしそうにはにかんだジゼルが、上目遣いでゲガスに問いかける。
ユージの呟きは誰にも聞こえなかったようだ。
幸いなことに。
いや、ワフワフっとコタローが小さな声で吠えていた。ゆーじ、くうきよみなさい、たしかにぱぱっていがいだけど、と言わんばかりに。
ジゼルの斜め後ろにいるユルシェルは隈を浮かべ、頬がこけていた。
それでも、最終調整を終えたユルシェルは誇らし気な顔だ。
夫のヴァレリーとともに一冬をかけて縫い上げた渾身のドレスであった。
「ふ、ふわあ! すごい! おねーちゃん、キレイ!」
『すごい、すごいわ!』
我慢できなかったのか、感嘆の声をあげる二人の少女。
だが、肝心のケビンは。
「……素晴らしい。すごいよジゼル。綺麗だよ。最高だ」
ふらふらと立ち上がり、ジゼルの下に近づいていった。
ずっと想い続けてきた女性を、そっと抱き寄せるケビン。
抱かれたジゼルはうっとりとした表情を見せる。
「ありがとうケビン。愛してるわ」
「ジゼル、私も愛しているよ」
完全に二人の世界である。
目を閉じて口付けを交わそうとする二人。
だが。
「待てや! ケビン、てめえ表でろ! 『血塗れ』の意味を教えてやる!」
応接室に怒号が響く。
甘い空気をぶち破ったのは、抱きしめられた女性の男親。
鬼の形相を見せるゲガスであった。
血涙を流さんばかりである。
ゲガス商会の会頭、『血塗れゲガス』。
娘を嫁にやる条件として、自分の店を持つほどの経済力、それから娘を守りきれる戦闘力が必須だと公言していた男。
どうやら、これから戦闘力のテストが行われるようだった。
ちなみに。
表に出ろと言っていたが、向かったのは裏庭である。
※「表に出ろ=外に出ろ」ですが、ついつい……





