閑話 あるはぐれ狼のお話 前編
どシリアスの胸糞展開です。
読まなくても本編に影響はありませんので、
苦手な方は飛ばしていただき、次章からお読みください。
ある秋の夜。
どこにでもある小さな農村。
今年も例年と変わらぬ収穫を得て、村人たちは安堵して眠りについていた。
これで次の冬を越せると。
また次の春からがんばろうと。
次の冬はこの村に来ないと知らずに。
安穏とした日常は今夜で終わると知らずに。
収穫を終えた村は静寂に包まれていた。
村の名前を、アンフォレ村という。
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村はずれにある一軒の家屋。
一間しかない小さな家。
その中で、一人の男が目を覚ます。
スンスンと鼻を鳴らして、まるで異常な臭いを嗅ぎ取ったかのように。
「草の臭い、土の臭い。収穫が終わった後だし、おかしくはねえんだが……」
藁を敷き詰め、布で覆った寝台から下りて、男は家の戸口を開ける。
三角の耳を立て、湿った鼻をスンスン鳴らす。
「血の臭いだと! クソッ、しかもどんどん濃くなりやがる! 襲撃か!?」
男が目を見開く。
すぐ室内に取って返して支度をはじめる男。
明かりはつけずに部屋は暗いまま。
それでも男にとっては問題はなかった。
暗くても見えるのだ。
ナイフ、短弓、矢筒。
ふだん狩りに使っている道具を手早く身に付け、男は静かに家を出る。
目を凝らしても家の周囲に異常はない。
だが、男の鼻は血の臭いを捉え、男の耳はカサカサと草がこすれる音を捉えていた。
尻尾をたなびかせ、男が駆け出す。
この村で、いや、この辺境で唯一の狼人族。
男の名前を、ドニという。
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男が生まれ育った群れを出たことに理由はなかった。
ボスが気に入らなかったわけでもない。両親の愛情を感じなかったわけでもない。
ただなんとなく。
群れて暮らす狼人族の中には、たまに男のような者もいるらしい。
ボスも両親も、別れを惜しみながらも男を送り出していた。
ひょっとしたらそうして種族としての生息域を広げてきたのかもしれない。
夏も気温が上がらず、冬は凍えるほどの寒さの故郷から南へ。
男は流れていった。
時には街道から外れて野山を歩き、狩りや採取で日々の糧を得る。
時には村やチェックが緩い街に寄り、狩りで得た毛皮を売って必需品を買う。
気ままに流れること数年。
いくつもの山を越え、川を越え、国を越えて男は流れていった。
誰もいない山に居を構え、狩人として暮らしていたこともある。
モンスターに襲われていた商隊を助けて王都で過ごしたこともある。
それでも。
男は旅を止めなかった。
此処ではない何処かを探していたのかもしれない。
自分の群れを探していたのかもしれない。
あるいは、自分の居場所を。
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男の旅を止めたのは、ある家族だった。
いつものように毛皮を売って必需品を得る。
そのために寄った村は、売買ではなく物々交換ですませるほどの小さな村だった。
男に対応したのは、その村の村長と、ある一家。
「いいのかい? このナイフ、けっこう業物だぜ? 俺が持ってきた毛皮じゃ釣り合いがとれねえほどの」
「ええ、いいのよ。もう使い道はないし」
「そうは言っても……」
「あ! じゃあ、あなたもこの村に住むのはどう? 毛皮でもいいし、この子たちにいろいろ教えてもらうのでもいいわよ? ねえ村長、狩人探してたんでしょ? 狼人族の狩人さんなんて最高じゃない!」
「あいかわらずよのう……まあ探していたのは確かじゃ。おぬし、狩人としてこの村に住む気はあるか?」
「いや、俺はこのまま旅を」
「ねえねえおじさん! しっぽふさふさだね! さわってもいーい?」
「こら、シャルル。お母さんたちが話してるだろ? あとにしなさい。あ、アリス!」
断ろうとした男に、トコトコと近づく二つの小さな影。
男の子は男を見上げて問いかける。
女の子はまだうまくしゃべれないのか、ふさふさー、と言いながら男の尻尾を触ろうとしていた。
「ふふ、シャルル、アリス、こっちにおいで。獣人さんの尻尾は触っちゃダメなのよ。それで、どうかしら? ウチの子ももう懐いちゃったみたいだし。それに……弓も余ってるのよねえ。ナイフと同じ由来の」
母親の言葉に、ブンブンと男の尻尾が振られる。顔は無表情を装っているが、体は反応を隠せなかったようだ。
尻尾に近づいていた女の子は、うわー、うわー、と言葉にならない声をあげていた。
狼そのものの顔立ちをした男に臆さず近づいてくる子供たちがうれしかったのかもしれない。
流れ者の素性を疑いもせずに受け入れようとしてくれたことがうれしかったのかもしれない。
あるいは、弓に興味を惹かれたのか。
狼人族の男は、まあしばらくならな、と言って小さな農村に定住するのだった。
村の名前を、アンフォレ村という。
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男の家があるのは村の外れ。
狩人である男は、獲物の処理をする必要がある。臭いが発生するため、村の外周部に家と小屋を提供されていたのだ。
音を立てずに静かに走る男。
その目が草の塊を捉える。聞こえてくるのはカサカサと草がこすれる音。そして、わずかな息づかい。
鼻から感じるのは土と草の臭い。そして、わずかに人の体臭と鉄臭さ。
「チッ、気づかなかったのはこのせいか。てめえ、何者だ?」
声を出して誰何する男。
草の塊が男に気づいて立ち上がる。
そして。
隠すように持った短剣で、男に襲いかかってきた。
素早い動きで近づき、草の塊にナイフを突き刺す男。
引き抜いたナイフには、赤い血が付いていた。
瞬殺である。
もっとも、その自信があるから男は奇襲を選ばなかったのだが。
「回答なしかよ。まあいい」
ボソリと呟き、草の塊をまさぐる男。
そして、ガサッと草を剥ぐ。
中から現れたのは、男の予想通り。
人間であった。
襲撃者である。
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男が襲撃者の一人を屠ったと同じ頃、村が騒がしくなる。
どうやら何人かの村人が襲撃に気づいて抵抗し、大声をあげて村人に知らせているようだ。
「広場のほうか。チッ、入り口からも聞こえやがる。予想以上の大人数かよ」
顔を上げた男が呟く。
少人数であれば、村に入り込まれた状態でも男一人でなんとかなった。
だが、村の各所から争う声と音がする。
「起きろ! 戦うな、森へ逃げろ!」
叫びながら男は村を疾走する。
村は、家が50軒ほどあるだけの小さな村。
男はすぐに広場にたどり着く。
そこには、10体の草人形がいた。
「逃げろ! 森へ!」
村人の姿は見えない。
それでも男は叫び続ける。
流れ者の狼人族を受け入れてくれた村。
そこに住む人たちを、一人でも多く救うために。
男は矢を射ち、ナイフを振るう。
襲撃者に取り囲まれ、傷付けられ、傷付ける。
一人でも多く守るための囮として、一人でも多く殺すための武器として。
多勢に無勢。
絶望的な状況で戦う中、男は一つの言葉を思い出す。
故郷の群れを離れる時にボスから言われた言葉。
「ドニ、覚えとけ。狼人族はな……武器がなけりゃ爪で。爪がなけりゃ牙で。牙がなけりゃその身体で。群れを守るために戦って、死んでも殺すのが狼人族の誇りだ。いつかおまえにもわかる日が来るかもな」
荒い息を吐く男。
満身創痍だが、男は襲撃者たちを斬り伏せていた。
右手に持ったナイフを、そして左手の弦が切れた弓を見る。
傷付いた足を引きずりながら、男はある場所へ向かっていた。
男と同じ、他所からの移住者。
彼らが住むのは、男の家とは反対の村のはずれだった。
傷付いた体を休めることなく、流れる血を顧みることなく、男は足を進める。
毛皮と知識と引き換えに、男にナイフと短弓を渡した一家の下へ。
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村はずれにある一軒の家。
たどり着いた男が目にしたのは、予想外の光景だった。
家の前には8名の襲撃者。
相対するように家の入り口に陣取る二人の男。
一家の父親と、その息子のバジルである。
父親は盾を構え、入り口を守っている。
16才の少年・バジルはその前に立ち、燃える剣を手にしていた。
家の中から顔を出すのは一家の母親。
男の耳に言葉が届く。
「万物に宿りし魔素よ。我が命を聞き顕現せよ。魔素よ、炎となりて敵を討て。火矢」
女の頭上に炎の矢が現れ、襲撃者に向けて飛んでいく。
その矢は襲撃者を貫き、草で覆われた体を燃え上がらせた。
「くそ、なんでこんな村に魔法使いが! 矢だ、矢を射て!」
襲撃者のリーダーらしき男が声をあげる。
声に応じて放たれた矢は、前に出た一家の父親の大きな盾で弾かれる。
まだ間に合う、俺が後ろから襲えば、と呟き傷付いた体を前に進める男。
だが。
「しゃあねえ、火矢だ! 家ごと燃やしちまえ!」
「頭、後ろから一人来ます!」
襲撃者が矢に火をつけて構える。
準備の最中に視界に入ったのか。近づく男の姿も発見されたようだ。
「アイツは俺が殺る! おめえらは構うな、射て!」
頭と呼ばれた襲撃者が男の前に立ちふさがる。
必死に攻撃を避け、ナイフを振るいながら、傷付いた男は目にしていた。
家が燃え上がるさまを。
燃える家から離れるため、外に足を踏み出した一家の父親が射抜かれる姿を。
魔法で作った剣を振るい、奮戦していた少年が斬られる姿を。
そして。
森から、盗賊に抱えられて一人の少年が連れてこられる姿を。
襲撃者の頭と斬り結んでいた男と、一家の母親の目が合う。
女は、森から連れてこられた少年に目をやった後、男に視線を合わせて小さく微笑んだ。
頼んだわよ、というかのように。
「万物に宿りし魔素よ。我が命を捧げて乞い願う。魔素よ、敵を焼き尽くす炎となれ。敵だけを燃やして、村人を、ドニさんを、息子を、娘を、守ってちょうだい。私からの、最期のお願いよ。命の炎」
女の胸元に小さな火が灯る。
崩れ落ちた女と一緒に、地面についた火は。
ボウッと音を立て、一面に広がっていった。
広がる炎と接した襲撃者が燃え上がる。
そして、男の足も炎に触れる。
だが。
「熱くない、だと?」
襲撃者を燃やした一面の炎は、男になんの影響も与えなかった。
「お、お母さん! お父さん! バジル兄!」
悲痛な叫び声が男の耳に届く。
「気にしてる場合じゃねえか。逃げるぞシャルル!」
「ドニさん! お父さんとお母さんとバジル兄が!」
地を這う炎に照らされて、倒れる家族に駆け寄ったシャルルの顔が浮かび上がる。
近づいた男は、倒れる三人に触れていく。
小さく首を振る男。
三人とも、すでに事切れていたようだ。
「ダメだ。シャルル、いまはここから逃げることを考えろ。アリスはどうした?」
「ドニさん! でも、だって、みんなが!」
「見ろ、シャルル! 炎は村全部には届いてねえんだ! 残党がいる! おまえたちを逃がすためにみんな命を張ったんだ!」
シャルルの両肩に手を置いて男が叫ぶ。
群れを守るために戦って、死んでも殺すのが狼人族の誇り。
ならば、群れを守れなかった男は。
最期に、一家の母親から息子のことを頼まれた男は。
「いいか、シャルル。群れを守れなかった俺は負け犬だ。だがな、おまえは守ってみせる。逃げるぞ!」
小さな男の子の手を引いて、森へ逃げ込もうと歩みを進める男。
生まれた群れから離れたはぐれ狼。
ようやく自分の群れを見つけた狼人族の男は、群れを守れなかった。
後悔も自責も押し隠し、男は戦いを続ける。
はぐれ狼を受け入れてくれた村。
群れに自分を入れてくれた、ボスの子供を守るために。
ありふれた小さな農村は、次の冬を迎えることなく消滅した。
村の名前を、アンフォレ村という。
群れを守りきれなかった狼人族の男は、一人の男の子を守るために絶望的な戦いを続ける。
男の名前を、ドニという。
読まなくても本編に影響ありませんので、苦手な方は本編からお読みください。
次話は後編をやりまして、その次から本編です!





