第六話 ユージ、襲ってきた草人形を撃退する
残酷な描写があります。
ご注意ください。
プルミエの街から王都への旅、その峠道。
左右を斜面で挟まれた切通しに停車する一台の馬車。
その後部に、短槍と盾を構えたユージの姿があった。
ユージの視線は、10mほど離れた場所でひと塊になっている草人形に向けられている。
ユージが見ていると、一体がもぞもぞと動き出す。
「サロモンさん! 一匹動き出しました!」
「ユージ殿! 対処を頼む! 防御優先でいい!」
「ユージさん! ブレーズとの訓練を思い出せ! アイツよりは弱い!」
プルミエの街の冒険者ギルドマスター・サロモンに呼びかけるユージ。
返ってきた答えは、ひとまず対処を頼むというものであった。
二人の会話を聞いてユージが戦闘に参加することを察したのだろう。元3級冒険者『深緑の風』の斥候・エンゾが、ユージに訓練を思い出すように告げる。いまは開拓地に住む『深緑の風』のリーダー・ブレーズ。ユージは元3級冒険者のブレーズやエンゾ、盾役のドミニクと訓練を続けてきたのだ。
「は、はい!」
二人の言葉を聞いたユージは、駆けてくる草人形に向き直る。動き出した草人形は、剣を手にしていた。
斜面から転げ落ちてきた二体のうち一体はいまだ道に寝そべったまま。
一対一である。
緊張をほぐそうとしたのだろうか、ふうっと一つ息を吐くユージ。
「たしかにブレーズさんより迫力ないな」
当たり前だ。
引退したとはいえ、ブレーズは元3級冒険者。ワイバーンの首を一刀で斬り落とした男なのだ。
ワラワラと現れた草人形がブレーズを超える実力者であったら、アリスやリーゼも参加させて魔法を交えた激闘になっているはずだ。
「よし! さあこい!」
自分を勇気づけるように大声を出すユージ。
ようやくユージの下にたどり着いた草人形が手にした剣を振るう。
ユージは左手で持った盾の位置を調整してあっさり弾く。
ユージが持っている盾はプルミエの街で購入したもの。
位階が上がって身体能力がアップしたことで、ユージはいわゆる大盾を使っている。横50cm、縦1mほどで、半身を隠せるサイズの盾だ。
防御優先でいい、そんなサロモンの言葉が頭にあるのか、草人形の隙にも短槍は振るわない。
いや、振るわずに突くのが基本なのだが。
余裕を持って待ち構えるユージに、ふたたび剣が振るわれる。
しっかりと防ぐユージ。
草人形は隙だらけである。
あれ? 弱くね? と、ユージが小さく首を傾げる余裕すらあった。
普段ユージの訓練相手になっているのは、元3級冒険者の斥候・エンゾ、盾役・ドミニク、リーダーで両手剣使いのブレーズだ。いくら元3級冒険者たちが手加減しているとはいえ、そこは実力者。ユージが防げるように調整した攻撃であっても、終わった後に隙など見せない。
誘いなのかな、いやでもそれにしては、などとユージがブツブツ言うのも仕方あるまい。
また剣を振るう草人形。
ユージは盾で弾く。
余裕がありすぎたのか、それとも訓練の成果か。
ユージは小さく右手を動かし、草人形を短槍で突き、引き戻す。
体重も乗せない、速度重視の牽制のような突き。
ドミニクがユージに何度も言い聞かせた、盾役は粘ればいいんだ、一撃で決めようと思うな、というアドバイスの通りの小さなモーションの突きであった。
「ぐっ」
小さな突きはあっさりと草人形を傷付けた。
わずかに声をあげて脇腹からポタポタと赤い血を落とす草人形。
それでも引く気はないのか、あるいは頼りなさげな男に傷付けられたのが癇に障ったのか。
手にした剣を両手で振り上げ、大上段から振り下ろしてくる草人形。
ユージは盾を斜めに傾け、地面との間に隠れるような姿勢をとる。
見え見えの振り下ろしはあっさり盾で防いだ。
盾の陰から窺うユージの目の前には、隙だらけの草人形の腹。
先ほどよりも力を込め、ユージが右手の短槍で突く。
ドスッと突き刺さった短槍をグッとひねってから引き抜くユージ。
訓練通りの動きである。
この場にブレーズとドミニクがいれば、満足そうに頷いたことだろう。
いや、草人形にダメだししそうだが。
腹部に深い攻撃を受けた草人形は、ドサッと前屈みに倒れる。
ユージは一歩後ろに下がり、腹を押さえてうめく草人形の姿を警戒しながら見つめていた。
「サロモンさん! こっちは大丈夫そうです!」
「おう、見てた見てた」
大声を張り上げて報告したユージ。
だが聞こえてきた答えは、すぐ後ろからだった。
どうやら草人形はサロモンの姿を見て早めに決めなければと焦り、大振りの一撃を狙ったようだ。
「ユージ殿、よくやった。戦闘はもう終わりだ」
「え、あ、そうでしたか」
「次はもっとまわりを見ながら、な」
そう言ってポンとユージの肩を叩くサロモン。赤い返り血がついた顔を歪めて笑っている。褒めているつもり、なのだろう。凶相である。そもそも護衛のくせに斬り込んでいったのはサロモンだ。説得力がない。
「あーっと、あと一匹あそこにいるんですけど……」
そんなユージの言葉が聞こえたのか。
倒れていた草人形がゆっくりと上体を起こす。
すぐに盾と槍を構えるユージ。
だが、ふたたびユージの肩が叩かれる。
「ユージ殿、待て。あれは……」
ヒザを地面についたまま体を起こした草人形。
左手を高く上げ、右手はヒジを上げている。負傷したのか、右の前腕はブランと垂れ下がっていた。
敵意はない、あるいは降伏を示しているように見える。
「え? ……え?」
その行動に動揺するユージ。
だが、さらなる衝撃がユージを襲う。
攻撃されないと理解したのか、草人形はゆっくりと左手を動かして首に持ってくる。
バサリと音を立て、草が外れる。
現れたのは、泥にまみれた狼の顔。
「すまねえ。俺はどうなってもいい、アジトにいる子供を助けてくれ」
聞こえてきたのは、人の声。
「え……え? 狼? 言葉?」
「珍しいな、狼人族か。誇り高い種族のはずだが……」
狼が発した言葉を聞いて、ボソリと呟くサロモン。
「え? 狼人族? 獣人ですか? え、ウソだろ、それじゃ……」
「ユージ殿、やはり気づいてなかったのか」
そう言ってサロモンがつかつかと歩を進め、ユージが倒した草人形の下へ向かう。
しゃがみこみ、バサッと草をはがす。
現れたのは、泥を塗りたくった人の顔であった。
内臓が傷付いたのか、あるいは失血か。いずれかはわからないが、ユージの攻撃を受けた草人形はすでに事切れていたようだ。
それは、苦悶のうちに命を失った人の顔であった。
「そ、そんな……」
ようやく自分が相手にしていた敵がなんだったのかを知り、命を奪ったことに気づいたユージ。
ストンと腰を落とし、地面に手をついて吐く。
戦闘を終えて走ってきたコタローが、心配そうにユージに寄り添う。ゆーじ、だいじょうぶ、と言わんばかりに。返り血で体を赤く染めながら。
「ユージ殿、童貞だったんだろう? 開拓団長で、村長で、防衛団長なんだ。早めに経験したほうがいいと思ってな。おあつらえ向きに人間に見えねえ格好をしてたからな」
静かな声でユージに告げるサロモン。
どうやらサロモンが持ち場を離れ、ユージに任せたのは計算だったようだ。
ユージが草人形を倒して声をかけた時、すぐ近くにいたのは何かあったらフォローできるようにという意図だったのだろう。
小さな声で、ワンッとコタローが鳴く。そうねさろもん、かなしいけどひていはしないわ、と言わんばかりに。
ちなみにユージは童貞ではない。大学生の頃、童貞は捨てている。キープくんだったが。
いや、サロモンはそっちの意味で言ったのではないのだ。コタローが肯定したのもその意味ではない。
いまだ忘我の状態のユージ。
だが、盗賊の襲撃を撃退して、そのまま待っていられるわけがない。
「よし、みなさん無事ですね! おお、こちらでも生け捕りましたか!」
馬車の前方の防衛を担当していたケビンとその専属護衛二人がユージの下へやってくる。
ケビンの専属護衛は、後ろ手に縛った一人の男を連れてきていた。
「ドニ! てめえ裏切りやがったな!」
草をはがされ、剥き出しの顔で連行された男が叫ぶ。
どうやら両手を上げて降伏した狼人族の男に向けて叫んでいるようだ。
「ハナから仲間なつもりはねえよ。みなさま、申し訳ありませんでした。俺はどうなってもいい、アジトにいる子供を助けてくれ。頼む、この通りだ」
そう言って再び両手を上げようとする狼人族の男。
いや、それは。
ヒザをつき、両手をあげ、腹を晒す。
獣人にとって、服従を表すポーズであった。
いまだ呆然とするユージ。
盗賊のアジトか、潰しときてえな、と呟くサロモン。
剣呑な目つきになるケビン。
エンゾは残党がいないか見まわってるのだろう、いまだ姿は見せない。
静寂を破ったのは、一人の少女だった。
「ユージ兄、みんな、無事だったんだね! よかったあ!」
馬車の後部のカーテンを開け、アリスが顔を出す。パッとあたりを見渡して無事を確認すると、笑顔で安堵の声をあげていた。
この少女、ユージたちの近くで死顔を晒している盗賊にはノータッチである。
家族と仲間の無事が大事であり、襲ってきた盗賊などどうなってもいいようだ。これがこの世界の現実なのだ。
アリスがこの場にいないエンゾを心配していないのは、きっと元3級冒険者を信頼しているのだろう。たぶん。
のろのろと顔を上げ、アリスと目を合わせるユージ。
ユージが何かを言う前に、意外な人物が声をあげる。
「おい、ウソだろ……アリスちゃん、アリスちゃんか? 生きてたのか?」
一人残されていた狼人族の男が、声を出す。
首を傾げるアリス。
「うーん? アリスはアリスだけど……ああっ! ドニおじさん! かりゅーどのドニおじさんだ!」
やっと思い出したのか、アリスが名前を告げる。
と、幌馬車の荷台から飛び降り、一目散に駆けていき、そのまま狼人族の男の草だらけの胸に飛び込んでいった。
ケビンもサロモンもユージも、コタローすら止める間もないままに。
「アリスちゃん、アリスちゃん……よかった、生きてたんだな……」
震える声で、左腕を動かしてそっとアリスを抱きしめる狼人族の男。
どうやら二人は知己であるようだ。
慌てて駆け出そうとしていたケビンとサロモンが足を止める。まあコタローが二人の下にいち早くたどり着いたからかもしれないが。
「ドニおじさん……目が! どうしたの!」
抱きとめられ、ドニという狼人族の男を見上げたアリスが質問する。
狼人族の男。
右目にあるのは大きな傷跡のみ。
心配そうなアリスをよそに、狼人族の男が告げる。
「アリスちゃん、それはいいんだ。それより……。アジトに、シャルルがいる」
「シャルル兄が!?」
プルミエの街から王都への旅の五日目。
峠道を進み、盗賊の襲撃を退けた一行。
長い長い一日は、まだ終わらないようだった。





