第十一章 プロローグ
日本の暦でいう4月12日の夜。
ユージはパソコンを眺めていた。
先ほどまではアリスとリーゼも一緒にいたが、いまは二人とも眠気に負けてサクラの部屋ですやすやと眠っている。
「アリスとリーゼが書き込んだときの反応、おもしろかったなー」
ボソリとユージが独り言を呟く。
ユージの声を聞きつけたのか、のっそりと起きだしてきたコタローがイスに座るユージによじ登ってくる。
「お、コタローどうした? 心配してくれてるのか? おまえは優しいなー」
コタローの頭をそっと撫でまわすユージ。
ふたたびパソコンのモニターに目を向ける。
そこには宇都宮の森林公園、その湖畔でのキャンプファイヤーの様子が映っていた。
奇妙な擦過音になるため、ユージは音を消しているようだ。
「こうやって見るとこっちも向こうも変わらないな! な、コタロー?」
コタローの頭をぐりぐり揉みしながら話しかけるユージ。
ユージの手により奇妙な顔になっていたが、コタローの目は心配そうだ。ゆーじ、いまはつよがらなくていいのよ、と言っているかのように。
夕方にお風呂で洗ったばかりのコタローの毛並みに、ぽたりと水滴が落ちる。
静かな春の夜。
ユージが異世界に来てから4年目が終わり、5年目がはじまるのだった。
「おはよー、アリス、リーゼ!」
リビングのソファに座り、誰もいない庭を眺めていたユージ。
庭に植えられた一本の桜は、今年も満開の花を咲かせていた。
「おはよー、ユージ兄!」
「おはよう」
リビングに入ってきたアリスとリーゼがユージに挨拶を返す。二人とも現地の言葉だ。わずかひと冬ではあるが、リーゼも挨拶程度は問題なく覚えたようだ。
「ユージ兄、今日は何するの? アリス、またお泊まりキャンプしたい!」
「おっ、アリスは気に入ってくれたのかー。でもそろそろケビンさんが来るかもしれないし、今日は開拓地を見てまわろうか!」
「うーん、わかった!」
雪解けを迎えた頃、ユージとアリス、リーゼ、コタローは用水路造りを再開していた。
日帰りできる距離ではなくなったため、雪が積もる冬には諦めていたのだ。
かつてワンゲル部に所属していたユージのテントを持ち出し、三人と一匹は一泊二日で二度ほど用水路を川まで繋ぐ工事に向かったのだ。まあ工事といっても、アリスとリーゼが魔力切れまで魔法を連発するだけなのだが。
どうやらアリスは、用水路造りよりその後のキャンプが楽しかったようだった。
「おはようマルセル! 畑造りは順調?」
「おはようございます、ユージさま。ええ、みなさんのおかげで順調です! 今年はずいぶん農地を広げられそうですよ」
朝食を終えたユージとアリス、リーゼ、コタローは連れ立って家の敷地を出る。
最初に見かけたのは、雪解けの後から畑造りを指揮するマルセルだった。ユージの奴隷にして犬人族のマルセルは、妻で猫人族のニナ、同じ犬人族のマルク、元冒険者パーティの4人とともに今日も畑造りに取りかかっていた。
去年の秋時点で、15人の開拓民が冬を越えられる程度の収穫があった開拓地。元冒険者パーティの四人が身体能力にモノを言わせることで、今年はさらに畑が広がりそうだ。
間もなく第二次開拓団を迎えるため、けっきょく開拓民すべての食料をまかなうことはできないのだが。
居合わせた7人に挨拶してまわるアリスとリーゼ。二人の女の子はすっかり人気者だ。
横にいるコタローは、まるで護衛のように二人に付き添っていた。いもうとぶんにてをだしたらただじゃおかないわよ、と言わんばかりだ。面倒見のいい女である。犬だが。
「おはようございます、トマスさん!」
「ああ、ユージさん! おはようっす!」
獣人一家と元冒険者パーティの四人の下を後にして、ユージとアリス、リーゼ、コタローは開拓地を歩く。
次に遭遇したのは木工職人のトマスと助手の二人。柵造り、家造り、矢の製作、簡単な家具や道具製作など、開拓地で大活躍している木工職人チームである。
彼らはいま、針子の作業所や二棟目の共同住宅の土台造りに励んでいた。もうすぐ親方たちが来るはずっすから、下準備だけはすませておかないと怒られるんす、と言いながら。
ちなみに、木工職人たちの興味をひいた『寄木細工』や金物を使わない日本の伝統構法の習得は苦戦しているようであった。知識として作り方は理解しても、実現するには技術が必要なのだ。だが、夜ごと繰り広げられる木工職人チーム内での議論と練習は、確かに彼らの腕を上げているようだった。
開拓地をうろつくユージたちは、一人の女性の姿を目にする。
その女性は、陽当たりがいい切り株に腰掛け、煤から作った鉛筆のような物で、木の板に何やら書き付けていた。
ユージがケビンにもらった現地語の読み書きを覚える本を提供したことで、開拓民の識字率は上がっていた。いまではほとんどの住人が簡単な読み書きはできるほどだ。中でも熱心に覚えていたのは、元冒険者パーティの斥候役・エンゾであった。文字が読み書きできたらモテそうだからな、そうだ、イヴォンヌちゃんに手紙を書いてみるかな、などとのたまっていた。努力する独身おっさんである。
「ユルシェルさん、何を書いているんですか?」
「ああ、ユージさん! 私、気づいちゃったのよ! ケビンさんが贈るドレス、最終的には本人に着てもらって調整しないと完成じゃないって! だからケビンさんが王都に行く時に私もついていかないと! でもそうするとほら、次に来る針子候補はヴァレリーが教えることになるでしょ? だからこれを教えなさいって書いてるの!」
熱くユージに語るのは、開拓地にいる針子の女性・ユルシェル。
ケビンが持ち込んだ絹を使ったドレスは完成した。だがユルシェルの言う通り、ドレスは体型に合わせてお直しが必要なもの。しかもこの世界で初めてのデザインなのだ。技術はともかくとして、知らない人間がそうそう簡単に調整できるものではない。
「そ、そうですか……。でも、ケビンさんが来るまで待ったらどうですか? ひょっとしたらこっちに連れてきて着せるつもりかもしれませんし……」
「なに言ってるのよユージさん! 王都よ、王都! 王都に行く機会なんてめったにないんだから!」
どうやらこの女、ドレスの調整を名目にケビンの金で王都に行こうと企んでいるようだ。もちろん製作者として最後まで自分で仕上げるというプライドもあってのことだが。そして、自然に夫となったヴァレリーを留守番として考えているようだ。
あいかわらず女性が強い開拓団である。
ユルシェルとも離れ、開拓地と森の境界の柵の前にいるのはユージ、アリス、リーゼ、コタローだけ。
「うん、開拓は順調! なのかな? 今日は天気もいいし、ちょっとここでゆっくりしていこうか!」
やったー! と飛び跳ねるアリス。その横ではリーゼもうれしそうにニコニコと微笑んでいる。
ワンワンッと吠えるコタロー。ゆーじにしてはきがきくじゃない、と言っているかのようだ。
春になり、積もっていた雪は解けた。
もういつケビンが来てもおかしくない。
リーゼが行くことになるのか、王都からエルフが来ることになるのか。まだはっきりとはわからないが、リーゼがエルフの里に帰るべく行動をはじめるのはもう間もなくだ。
どうやら引きニートから脱却し、いまや開拓団長となったユージは人を気遣えるようになったようだ。
7世帯15人。
春を迎えた開拓地は、今日も平和だった。
ゴブリンとオーク、モンスターの集落を潰して以来、獣以外とは遭遇していないほどの平和っぷりだ。
だが。
間もなく、開拓地の平和はふたたび破られることになる。
開拓地にやってきたケビンの情報によって。
ユージがこの世界に来てから4年の月日が流れ、5年目の春。
激動の5年目が、幕を開けるのだった。





