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 手紙はそれで終わっていた。

 一字一句、漏らさないように目で追って、あたしは読み終えた。

 ボロボロ大泣きしながら。


 途中からもう、涙で視界が霞んでしまって読みにくくて大変だった。

 涙を便箋に落として汚してしまっては大変だから、車のワイパーみたいにひたすら拭き続けた。

 ティッシュで鼻かんで、あと涙も拭いて、それを繰り返しながら読んだから時間がかかってしまった。


 便箋を丁寧にたたみ、封筒に戻し、胸にギュッと抱きしめる。

 晃さん、晃さん、晃さん。


「愛している」の文字が、光り輝いて見えた。

 その文字に縋って、わんわん大泣きしてしまいそうなほど嬉しくて、心の奥深くに染み渡った。

 カラカラの砂に染み込む、澄んだ清水のように、彼の言葉はこの心を一瞬で癒してしまう。


 晃さんはずっと本物を求めていた。

 でもあたしが想像していた本物と、晃さんが探していた本物は違ったんだ。

 彼は、自分にとっての本物を探していたんだ。


 彼はそれが、あたしだと言ってくれている。

 彼がいつも口癖のように言っていた言葉を思い浮かべた。


『自分の目で見て、自分で決める』


 その通りだ。彼は自分の言葉をそのまま実践した。

 やっぱり彼の言葉には嘘はない。この手紙の内容も全て彼の心からの真実だと思う。


 それを嬉しく思うと同時に、戸惑いも感じてしまう。

 本当にあたしなんかでいいんだろうか?


 今までずっとあたしは自分の価値を信じられなかった。

 誰一人として認めてくれる人がいなかったから。

 なのに突然、晃さんのような人が現れて戸惑っている。


 彼があたしを見つけて選んでくれた事に対して、素直に飛び込んで行けない。

 自分で自分の価値を信じられないのに、晃さんに選ばれてもいいと思える確証がどこにも無い。

 罪悪感すら感じてしまう。


 こんなあたしでいいの? いいわけないでしょ? って。


 それに、この顔の傷の事もある。

 彼は手紙でああいってくれたけど、女にとって顔の傷は深刻な問題だ。


 晃さんの気持ちは、とてもよく伝わった。

 だからあたしも自分の気持ちを、迷う本音を、彼に正直に包み隠さず伝えたい。

 それが彼の誠意に対しての、あたしの誠実さになると思う。


 彼の言う通りに受け入れられるには、だいぶ時間がかかると思う。

 自慢じゃないけどマントル層を突き破るほど根深く、ぶっといコンプレックスだ。

 これは手強い。だてじゃない。


 今回の顔の怪我が、多少の変化をもたらしてはくれたけど、そう簡単に全面解決とはいかない。


 かなり長期戦になると思う。

 しかも解決できる保証はどこにもない。


 それでもいいと、晃さんが言ってくれるなら・・・・・・。

 長い時間でも、気長に付き合うと言ってくれるなら・・・・・・。

 もしもそうなら・・・・・・。


 とにかく一度、彼に連絡を取って会おう。そしてゆっくり話し合おう。

 全てはそれからだ。


 手紙を自分のロッカーにしまって、あたしは控え室を出た。


 仕事、しなきゃね。


 晃さんに会えると思うと心が弾む。

 甘くて幸せな感情が膨れ上がって、あたしの心と身体を押し上げて軽くしてくれる。

 彼の事をまたこんな風に思えるなんて・・・・・・。


 キュッと包まれるような切ない痛み。

 素敵な痛みを感じながら、ときめく鼓動の音を聞く。


 また、晃さんに会える。今度は今までと違って何も隠さずに会えるんだ。

 それがすごく嬉しい・・・・・・。



 ホコホコしながら店頭に向かうあたしの耳に、複数の声が聞こえてきた。


 お客様かな? 若い男女の声ってことは、ひょっとしてエンゲージリング?


 そっと様子を伺うと予想通り若い男女が、数種類のエンゲージリングを前に選んでいる。

 あたしはその、男性の方の顔に見覚えがある事に気が付いた。

 あの人、どっかで見た事ある・・・・・・あ!


 頭の中で突如警報ブザーが鳴り、警察犬顔負けの嗅覚が正確に作動し始める。


 あいつ・・・思い出した! 大学であたしにちょっかい出してきたヤツ!

 もちろんお姉ちゃん目当てでだけど!


 記憶が次々と蘇ってくる。確か家が結構な資産家だったんだよね。

 自慢臭くて人を見下してて、態度から何から生粋の嫌な奴だったな。 

 あたしにソッポ向かれた後で、直接お姉ちゃんをお金の力で釣ろうとしてたけど、すっげー迷惑がられてたっけ。


 うわー。あいつ結婚するのかぁ・・・・・・。

 お嫁さん、物好きだなぁ。きっと奉仕の精神に生きるタイプね。

 それとも社会の波に揉まれて、あいつも少しはマシになったのかしら?


「こちらのシリーズも、どうぞご覧になってください」

「んー・・・・・・」


 栄子主任が勧めたのは、最近の若い人たちに人気のエンゲージリング。

 ちょっと石が小さ目だけど品質は良く、比較的お手頃価格でデザインも可愛らしいのが多い。

 するとあいつは、ジャケットのポケットに両手を突っ込みながらチラッと眺めて言った。


「・・・・・・ちゃち」

「・・・・・・は?」

「ダメ。どれもちゃち過ぎる。もっとハイクラスなの出して」


 小首を傾げて笑いながら、さらに栄子主任に向かって暴言を吐いた。


「こんな安物をオススメされたの、オレ初めて。もっと客質を見抜く目を養わなきゃダメよ? 主任さん」


 ・・・・・・・・・・・・。


 ムカつくーーーーー!!


 アンタ変わってねーよ全然!!

 あの頃の思い出そのままに、美しいほどに嫌なヤツだよ!!


「母さん、ホントに母さんっていつもこの店でジュエリー買ってんの?」

「いやねぇ和クン、そんなこと言わないの。ごめんなさいねぇ、栄子ちゃん」


 少し離れた場所に立って別のショーケースを見ていた着物姿の中年女性が振り返る。


 母さん? って、あんた、婚約指輪買うのに自分のママ同伴か!? 


 あたしは驚愕したけど栄子主任はさすがにプロで、堂々と一ミリも微笑みを崩さず余裕で答える。


「いえ。こちらこそ大変失礼いたしました」

「いつものクラスのジュエリーを見せていただける? 支払いの方は心配しないでいいわ。これね、私からお嫁さんへのプレゼントだから」


 お母さんが買うの!? 息子のエンゲージリングを!?


 ・・・ちょっと和クン!(名前忘れた)

 自分が結婚を決めた相手に贈る、自分の愛の証の指輪でしょ!? それを母親に支払わせるわけ!?

 あんた自分のお金たーくさん持ってるんでしょ!? いっつも自慢してたじゃないの!


「遠慮しなくていいぜ? なんならこの店で一番高い指輪でもいいからさ」

「この子ったらまたそんな事言って。いつまでも子供で困っちゃうわ。ホホホ」


 いやお母さん、ホホホじゃなくて!

 困ってるくらいならぜひこの息子さん、一から根性叩き直したらどうでしょう!?


 家や風習によって結婚観は違うから、一概にどれが正しいとは言えないけど。

 どーもこいつの場合に限っては、明らかにそういった問題ではない気がする。

 それにしたってこんなヤツと結婚する人ってどんな人!?


 見れば、当然お姉ちゃんには遥かに及ばないにしても、確かに美人。

 お金に釣られちゃったんだろうか・・・。

 でも、なんだかあんまり幸せそうには見えないな。笑顔は笑顔だけど、無理して笑ってる感じがするんだけど。


 お嫁さんの顔を見る為に身を乗り出していたせいで、うっかり『和クン』と目が合ってしまった。


 うわ嫌だ! まずい!


 慌てて引っ込もうとしたけど遅かった。和クンはすぐにピンときたらしくて大声を出す。


「・・・・・・お前、槙原満幸の妹じゃん!」

「・・・・・・・・・・・・」

「なにお前、この店に勤めてんの!? うわすっげ偶然!」


 ひとりで興奮して叫んでる。お蔭であたしは注目されてしまって、引っ込むわけにいかなくなってしまった。

 心の中でゲンナリしながら進み出て、丁寧にお辞儀をしながら挨拶する。


「・・・いらっしゃいませ」

「なあ、満幸は元気か!? 満幸!」

「・・・はい」


 なんであんたがお姉ちゃんを呼び捨てにすんのよ? 失礼なヤツね。

 昔の自分の女気取り? お姉ちゃんに相手にもされてなかったくせに。

 ムカムカしてるあたしの目の前で、自分の婚約者に向かって自慢そうに語ってる。


「こいつの姉貴がさ、すっげー美人なの。昔、まあ、オレと色々あってさ」


 ねーよ、なんにも。

 一点の雲も無い日本晴れの空のように、爽快なほど何もなかったっつーの。

 なに自慢そうな顔して嘘ついてんのよ。


「でも結局別れたんだ、オレたち。だから心配すんな」


 だからそもそも、くっついてもいないってば!

 どうあってもこいつ、『槙原満幸はオレの女だった』スタンスを貫きたいらしいわね。

 あの槙原満幸が恋人なら、そりゃあ男にとって自慢になるでしょうけど。


 ・・・・・・チンケなプライドね。

 それによくまあ、エンゲージリングを選んでる時に別の女の話なんて婚約者にできるわね?


 お嫁さんは慣れているのか聞き流しながら、栄子主任が新しく運んできたエンゲージリングの説明を熱心に聞いている。

 例のダイヤモンド鑑定の『4C』の説明だ。

 カラー、クラリティー、カラット、カットの様々な組み合わせのダイヤモンドが並んでいる。


「迷ってしまうわ。どれも綺麗に見えるし、選ぶのが難しくて・・・」

「どのお品も、当店が自信を持ってお勧めできるお品でございますから」

「本当に迷っちゃう。エンゲージリングってダイヤモンドじゃなきゃダメなんですか?」

「そんな決まりはございませんよ。ご自分の誕生石や、ご自分の好きな宝石を選ばれるお客様もいらっしゃいます」

「そうなんですか? じゃあ、ちょっと見てみたいな」


 興味深そうなお嫁さんに、和クンがまた横から余計な口を挟んだ。


「なに言ってんだよ。今どきエンゲージリングはダイヤに決まってるだろ? なあ母さん」

「そうね。やっぱりダイヤモンドでしょうね。そうしなさい萌香さん」

「・・・・・・はい」


 ふたりに反対されてお嫁さんは諦めてしまった。

 なんだか可哀そう。


 ・・・なんなのよこの男は。見るくらい別にいいじゃないの。


 お嫁さんはまたダイヤモンドを選び始めたけど、本当に悩んでしまっている。

 ひとりで困っている様子がどうにも気の毒で、つい、和クンに言ってしまった。


「あの、せっかくですから、どうぞご一緒にお選びになって下さい」

「はあ? こういうのは女が自分で選ぶもんだろ? 男は黙ってそれにポーンと金を出すのがカッコイイんじゃん」


 ・・・お前、金出してないだろーが!

 だからせめて一緒に選んでやれって言ってんのに!


 ピクッとあたしの眉間にシワが寄る。

 心の中のツッコミがボロッと口から出ないように、グッと堪えた。


 やばいやばい。今日は鉄仮面メイクじゃないんだから。

 ほぼスッピン状態じゃ、感情が簡単に顔に浮き出てしまいそう。

 嫌なヤツなのは間違いないけど、こいつがお客様であることも間違いない。


「・・・・・・あら?」


 お嫁さんの目が、ひとつのエンゲージリングに止まった。


「これ、インターナリーフローレス?」


 インターナリーフローレス。10倍拡大で鑑定しても内包物が全く見つけられないクラリティ。

 最高評価のフローレスに次いで高評価クラスだ。


「これだけなのね、インターナリーフローレスのダイヤモンドは」

「はい。市場に流通する数が非常に希少ですので。当店でも、このひとつのみの扱いとなっております」

「ふうん、珍しいのね。ひとつだけ・・・・・・」


 お嫁さんはだいぶ気になっている様子。希少な物で、これひとつだけって部分がポイント高いみたい。

 そうよね、エンゲージリングは特別な指輪だもの。他には無い希少な一点を選ぶってのもアリよね。


「ねぇ和クン、これ素敵じゃない?」


 明るい表情でその指輪を指差しながら、婚約者にお伺いをたてる。

 和クンは「どれ?」と一瞬見て、すぐに言った。


「あ、これダメ。小さい」

「え?」

「こんな小さいダイヤモンド、貧相過ぎる。もっと大きくていいのが一杯あるだろ?」

「でも、珍しいものらしいし・・・」

「ダメダメ。オレが恥かく。こんな小さいダイヤしか買ってやれない男みたいに思われるじゃん。絶対ダメ」


 ・・・・・・黙って金を出すんじゃなかったのかお前は!?

 なんなのよさっきからダラダラ文句ばっかり垂れて!


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