第35話
「久し振りだね。どうだい、調子は?」
「…何とか…」
「今日は、和賀君も一緒?」
「いぇ…彼は今、試合中なんです」
「相変わらず忙しいね…所で、お父さんとは連絡取ったのかい?」
「…はい…もうすぐ、日本に来る用事があるそうで…」
「ふぅん…一緒に行こうって言われた?」
「…」
「和賀君には、相談したのかい?」
「…」
「話してないの?」
「…この大会が、終わってから…話そうと思って…」
「試合、いつ迄?」
「…6日迄です」
「それで、いいのかい?」
「……怒ると思います…物凄く…」
「何かあったのかな?」
優しく尋ねる武蔵先生は私に紙を渡して、退院してこの1ヶ月にあった事を全て書き出す様に言った。
合宿で壊れていた携帯が自分の物ではなかった事、犯人探しをしようとする茜と喧嘩した事、マスターが私の為に渡り廊下を造ってくれた事、イタリアの父と連絡を摂り、渡航の為にイタリア語を勉強している事、頻繁に悪戯電話やメールが携帯に入る事、父に言われて母の分骨をした事、皆から誕生日プレゼントを貰った事、行く積もりのなかった学園祭に参加した事…。
「携帯、違う人のだったんだ」
「…はい」
「玉置さんと喧嘩って、何故?」
「…茜は、犯人に謝罪させたいって……でも、犯人を探してはいけないんです。皆にも、事件の事を早く忘れて貰わないといけないのに…」
「いいのかな、それで?」
「…新しいチームになって、結束する時なのに……皆の就職の為にも…悪い記憶は、早く忘れて貰わないと……だから、早くイタリアに行かないといけないんです、私…」
「成る程ね…悪戯電話とかメールって?」
「…」
「…宇佐美さん?」
「……きっとね…凄く嫌いなの…だから…早く消しちゃわなくちゃ……」
「…」
「……私…もう、行かないと…」
「駄目だよ」
「…」
「今日は、誰と一緒に来たの……ノンちゃん?」
「……お兄ちゃんのね…お父さんと来たんだよ!」
11月30日から始まった全日本インカレは、各4チームで構成されたグループ戦から始まる。
昨年の決勝で戦ったシード校を除き、22グループで勝敗を決め、勝ったチームが2日目にトーナメント抽選会を行い対戦相手を決める。
グループ戦で勝利を収めた俺達は、何とか大会4日目の試合を勝ち上がり、ベスト16迄残る事が出来た。
だが…連日2試合の疲労が、メンバーの躰ばかりか精神迄を蝕む…苛々が募りミスが増え、些細な事で諍いになる。
「何で僕に上げて来ない!?あそこは和賀じゃなく、明らかに僕へボールを廻すべきだろう!!」
「…お前が冷静ならな」
「何だって!?」
「俺に言わせたいのか、滝川?」
「言えるもんなら言ってみろッ!!」
「…頭に血が登って判断力と決定率が下がっているお前よりは、疲れていても冷静な要の方がマシだからだ!それに何だ、あのスタンドプレー!?怪我人が出たらどうする積もりだ!!」
「…止めとけ、浩一」
止める要に向かって、滝川が剥きになって噛み付いた。
「いい気になるなよ、和賀!?」
「…」
「お前の力じゃない…松本がお前を贔屓する結果なんだからなっ!!」
吐き捨てる様に言って去って行く滝川に、俺は大きく溜め息を吐いた。
「らしくねぇぞ、浩一」
「…百も承知だ」
「言ったろ…インカレ前に、監督に呼ばれてスカウトに会ったって…滝川の奴、焦ってんだ」
「…呼ばれたのは、お前も一緒だろう?」
「……まぁ、そうなんだが…俺、あんま好きじゃねぇ所だし…」
空を向いて顎を掻く要を、俺は睨み付けた。
「違うだろ!?」
「…」
「お前は…何も考えてないだけだろう!!」
「…そうかもな」
「……済まない、要」
「どうしたんだ?キャプテンって、お前でもそんな大変なのか?」
「まぁ…色々あってな」
「…」
心配そうに見下ろす親友に、俺は苦笑いを返した。
「俺が幸いなのは、お前が馬鹿で短気で俺様でも、真面目な奴で…俺が頭に血が登る時程、お前が冷静で居てくれる事だよ」
「何だ、気色悪ぃな?やっぱ、お前…俺に惚れてるだろ!?」
「…そうかもな」
馬鹿野郎め…じゃないと、わざわざお前と同じ高校に受験なんてしてないだろう…と今更言ってもな…そう思いながら、鼻白む要を見上げて科を作って言ってやる。
「嫌だぁ、要ったらぁ!?今頃気付いたのぉ!?」
「馬鹿野郎…冗談かょ!」
「ったりめぇだ!!」
ゲラゲラと笑いながら互いの背中を叩き合う。
要に贔屓か…キャプテンという立場では絶対に許されないのだが……全くないと言えば嘘になる。
学園祭が終わった足で、俺はたった1人で新宿に向かった。
姫や要と行動を共にすると嫌でも目立つし…かと言って、他の奴等と行く訳には行かなかったからだ。
それに、もしかしたらバレー部の連中と鉢合わせするかも知れない…そんな気がしていた。
寺田さんから聞き出した『MUGEN』は、歌舞伎町のさくら通りから少し入った所にあるクラブ…少し前の言い方で言うディスコだ。
大音量の音楽が流れ、DJの声が響き渡る1階ダンスフロアの周囲には、大きな赤いボックスシートが並んでいた。
2階の小さなテーブル席では、フロア全体を見渡す事が出来る様だ。
俺は迷わず2階の目立たぬ席に座り、ドリンクを飲みながらフロアを観察した。
時折、連れ立った女性がダンスに誘いに来るが、連れを待っているとにこやかに断る。
フロアには、俺達の様な学生や会社帰りのOL、アゲハ系と呼ばれる着飾り盛り上げた髪型の女性達、一目でホストとわかる男性と連れの客等、様々な人種が居たが…1階フロアの広いボックスシートを陣取るグループの存在が気になった。
「ちょっと、君…」
近くのテーブルを片付けているウェイターに声を掛ける。
「1階のボックスシートって、俺達みたいな一般客でも座れるのかな?」
ウェイターは苦笑いして、顔を近付ける。
「無理ですよ、お客さん…あそこは、暗黙の了解で予約されてる席なんです」
「へぇ…全部?」
「えぇ…アッチが有名なホストクラブ専用、コッチはミュージシャンや芸能人専用、で…コッチがセレブ専用」
「…成る程ね」
「あそこに座りたきゃ、あのメンバーの連れになるか、フロアでメンバーを誘って引っ掛けるしかないと思いますよ?」
「そうか…そりゃ残念。ありがとう」
「どうぞ、ごゆっくり」
ホストもセレブも芸能人も…佐々木さんには縁がないと思われる。
唯、相手の花村栄子は花村不動産の娘だ…一番可能性があるのは、セレブ席だろうか?
眼を凝らして見ていると、フロアの隅でアゲハ系の女性が数人で屯っていた。
彼女達の持つ、矢鱈にキラキラと光る物に眼を引かれる…何だ…携帯か…。
そう言えばアゲハ系の女性は、ラインストーン等で自分の携帯や身の回りの物等を装飾するらしい…『デコる』と言うそうだが、携帯等はキラキラで、ストラップの方が重いのでは無いかという程飾り立てるのだと姫が言っていた。
「女の子の夢の凝縮なのよ…派手な服も、矢鱈にアイラインを引いて眼を大きく見せる化粧も、マリーアントワネットの様に盛り上げた髪型もね!」
花村栄子の爪にも、ラインストーンがふんだんに使われていた。
姫の持ち物にも、時折キラキラした小物が入っている……ウサギちゃんは…やはり特別なのかも知れない。
何せ、彼女の携帯には、ストラップも付いてなかったのだから…。
着飾る事もしない彼女だが、しかしそれは、自分の本意ではないのかも知れない……アリスの衣装をプレゼントされて、ウサギちゃんは泣いたそうだ。
要も嬉しかったのだろう…彼女を抱き上げて大学構内を練り歩き…大学を抜け出し、2人で写真迄撮りに行ったらしい。
眼下のフロアで、さっきの一団に電話をしながら近付く一際着飾った女性…花村栄子だ!!
『ケバい奴』
要が吐いた言葉を思い出し、思わず吹いた。
服装や髪型もそうだが、彼女の手に持った携帯に眼を見張る。
遠目にもわかる程、キラキラとデコレーションのてんこ盛り…アレで通話なんか出来るんだ…邪魔だろうに…。
チカリと頭の隅に何かのビジョンが浮かんだ時、花村栄子の一団がイソイソとフロアの入口に集まった。
「おっ待たせ致しましたぁ~っ!!我等がプリンス様方の登場でぇ~っす!!」
キャァ~ッという黄色い声が上がり、アップテンポの曲が流れる中、数人のサングラスを掛けたモデルの様な男達が来店し、フロアの女性が群がった。
ホストではなさそうだが、芸能人だろうか…そう思って見ていると、男達はフロアで声を掛けた女性達侍らせ、セレブ席に座った。
「いいご身分だな…」
フロアでは、女性達が遠巻きに取囲み、声が掛かるのを待っているのだろう…科を作って踊りながらも、セレブ席に熱い視線を送っていた。
花村栄子も、そんな中の1人だ。
唯、他の女性達と違うのは、踊りもせずにセレブ席に座る男達を凝視している事…一体誰を見てるのか?
隣に座る女性達が、オペラグラスを持ってセレブ席を覗いていた。
「今晩は。何見てるの?」
「え~?ここで見るって言ったらぁ、プリンス達よねぇ~?」
「そぉ~よねぇ~?」
独特の抑揚を付けて話す女性達に、ニッコリと笑いながら手を合わせる。
「ちょっと、そのオペラグラス貸してくれないかな?」
「え~、いいですけどぉ~」
そう言って差し出されたオペラグラスを覗き込み、セレブ席に向けると……サングラスを外して酒を飲むメンバーの中に、良く見知った顔を見付けた。
「…アイツが…だが、一体…何故?」
礼を言ってオペラグラスを返し、目立たぬ様に店を出た。
「…今晩は、松本さん。今日は1人なんですか?」
背中に硬質な声が掛かり、ドキリとして振り向いた。
「よくわかったね?」
「だって…松本さん、案外目立ってましたよ?」
「奴にも気付かれたかな?」
「…それはないかも…丁度死角だし」
「君に聞きたかったんだよ、花村さん…ウサギちゃんの…宇佐美さんの、何がそんなに気に入らないのかな?」
花村栄子は顔を歪め、外方を向いた。
「私だって…あんな事、高校迄で辞める積りだったのに…」
「奴に言われたから?」
「……それに、ウサギの癖に恋人なんて…」
「焼きもち妬いたんだ」
「生意気だわッ!!」
「成る程ね…だからって、やり過ぎだよね?佐々木さんを誘惑して、寺田さんを脅し…出川さんに声を掛けて、マネージャーとして入り込み…彼女に要を誘惑させて、宇佐美さんを陥れ様とした」
「…」
「眠らせた宇佐美さんを寺田さんに運ばせ、君は彼女の服を脱がせて写真を撮った。そして…携帯をすり替えた」
「何言ってるんです!?私の携帯は、ここにあるわっ!?」
「覚えてる?合宿で君達の部屋を訪ねた時…君は電話してた。君が持つにしては、凄くシンプルな…宇佐美さんと同じ機種の携帯だったよね?」
「…」
「じゃあ、あの携帯は誰の?」
「…」
「いいよ、言わなくても…調べれば済む話しだ」
「え?」
「あの時の携帯は、保管してあるからね」
「嘘っ!?」
「嘘じゃない…何なら見せるよ?」
「…」
「皆に、一斉メールを打ったのは?」
「…」
「まさか…奴は、何一つ実行してないのか!?」
「…」
「……君は…馬鹿だ」
「…」
「…悪事を企んだのは、奴だろう…だが、手を汚したのが…君と寺田さんという事は……全ての罪を君達に被せる積りなんだぞ!?」
「…そんな事ないわ!?だって、犯された訳でもない…罪になんてならないって…言ってたもの!!」
「本気でそんな事思ってるのか!?…拉致、監禁、脅迫、猥褻…挙げれば切りがない!!」
「…」
「何でこんな馬鹿な事…彼女への虐めの代償が大きい事は、高校時代で懲りたんじゃないのかい?」
「…だって…好きなんだものッ!!」
「…」
「計画を聞いて、実行して…ずっとあの人と一緒に居られた…話をして…構って貰えた…」
「奴は、君を愛してる訳じゃない……わかってるだろう?」
「…でも、あの娘は愛されてる…家族からも、恋人からも、友人からも…いつだって守られて…」
「彼女には、彼女の苦悩がある…君と同じ様にね」
「違うわッ!!だって、彼だって…あの娘を滅茶苦茶にして消してしまいたいって言う癖に…あの娘の事…好きなのよ!?」
「…」
「私は許せないのっ!!私の欲しい物全て持ってる癖に、済し面してる宇佐美典子がっ!!今の私が、一番欲しい物迄奪うあの娘が…許せないだけよっ!!」
そう言って花村栄子は、号泣して路上に泣き伏した。




