アルマ、丸め込まれる
再会してからこっち、ディートハルトに翻弄されっぱなしのアルマは、折よく運び込まれてきた夕食によって一時中断の権利を得ることに成功した。
そして、もてなされた食事を美味しくいただいた後に、こう宣言した。
「状況を整理しよう」
「……そうですね。賛成です」
向かい側で優雅に食後の珈琲を味わうディートハルトが快く応じる。
場所は引き続きディートハルトの私室だが、テーブルと椅子は先ほどのローテーブルとソファーとは別で、足が長いものを使用している。流石当主の部屋というべきか、複数のテーブルや椅子が配置されていてもまったく狭さを感じさせない。
極貧ではあったものの、一応レスティア・マクミランは貴族の娘だった。だからこそ、アメルハウザー公爵家の凄さも実感出来る。
自分のマナーの拙さには見て見ぬ振りをしつつ、甘いミルクティーで喉を潤したアルマは意を決して口を開いた。もちろん、人払いは済ませてあり、室内には二人だけだ。
「まずわたしの現状からね。知っての通り、今のわたしはアルマという名の一介の孤児で、年齢は九歳。生まれて早々に孤児院の前で捨てられたって聞いてる。記憶が戻ったのは七歳の時。それで、ディーと会えたのはもちろん嬉しいけど、わたしは今の生活に満足しているから、ディーの世話になる気はない……んだけど……」
「僕は貴女を養いたい」
端的に返され、一瞬うぐっと変な声が出たものの、アルマはどこか諦めたように頷き返す。
「……うん、それはもうよく分かった」
「では素直に受け入れてください。それで全て丸く収まります。孤児院だって貴女の席が空いた分、別の子供を受け入れられますし、勿論、今まで貴女を育てくれた恩義がありますから、今後は院への援助も惜しみません」
ディートハルトの提案自体は、アルマにとっても孤児院にとっても、なんら不利益なことではない。むしろ客観的に判断するのであれば、アルマはその厚意に甘えるべきなのだろう。
しかしアルマはディートハルトに引き取られることに強い抵抗感があった。
そして、その理由を恐る恐る口にする。
「ねぇ……もし仮にわたしが公爵家に引き取られたら、やっぱり対外的にはディーのことをお父様って呼ばなきゃいけないんだよね……?」
「…………は?」
完全に虚を衝かれたのか、ディートハルトが珍しくその切れ長の美しい目を丸くした。
アルマはアルマで、なぜそこまでディートハルトが驚いたのか分からず、困惑顔を浮かべる。
「えっと……違うの?」
「どうしてそんなことに……僕は貴女を僕の養女にするとは一言もいってませんが」
「あ、そっか。じゃあ、引き取るってどういう……?」
てっきり養女として引き取られるとばかり思っていたアルマがそう問えば、ディートハルトは明日の天気の話をするくらいの気安さで答える。
「僕の婚約者として、ですが」
「……………………は????」
今度はアルマの方が完全に思考停止した。その発想はなかった。
頭の中で婚約者の意味を三度確認し、改めてディートハルトの言葉を反芻したところで、アルマは衝動に任せて勢いよくテーブルを叩いた。
「いやいやいやそれこそあり得ないって! どこの世界に孤児を嫁にしようとする公爵がいるの!?」
「ここにいますけど」
「正気!?」
「ダグラスといい貴女といい、どうして僕の正気を疑うのか、そちらの方が不思議です」
やや不満そうな顔でも美貌を損なわないディートハルトを見ていると、何故だか自分の方が間違っているような気さえしてくる。しかしそれは錯覚だと己を鼓舞し、アルマは反論を試みる。
「だってご家族にどう説明するの!? というか、国内有数の公爵家当主の婚姻って、明らかに陛下のご裁可案件だよね!? ディーが勝手に決められることじゃないよね!?」
「僕が当主である以上、否を言える者はこの家にはいませんよ。父も既に領地で隠遁していますし。陛下の許可も必ず取りますので心配要りません」
「……確認するけど、それ本気で言ってるんだよね?」
「――僕は、貴女には嘘はつきませんよ」
老若男女を惑わす蠱惑的な笑みと共にそう告げられて。
アルマは今まで意図的に避け続けてきた核心に、手を伸ばす。
「……ディーは、わたしのこと、好きなの?」
「はい、愛してます」
存外、穏やかな声音で言われたからか、それはストンとアルマの胸に収まった。
つまり腑に落ちたのだ。
執着される理由も恋愛感情だというのならば、確かにおかしなことではない。
――しかし、だからと言ってディートハルトの恋情をアルマが受け入れるかどうかは別の話である。
「わたし、今は幼女なんだけど」
「見た目は関係ありません。まぁ、流石に今の貴女に手を出す気はないですよ。成人まではちゃんと待ちますので安心してください」
「いや既にその発言が不穏なんだけど!?」
思わず反射的に自分を抱きしめてしまったアルマを、ディートハルトが楽し気な声を漏らす。
その態度にほんの少し少年時代の面影を見た時。
現状を打開しうる起死回生の理由を、アルマは思いついた。
「っ……わたし! ディーのこと恋愛対象として見たことないから! こ、ここ婚約者とかいきなり言われても、困る!!」
実際には今現在、意識させられまくっているのだが、それは敢えて棚上げした。
たぶん顔も真っ赤になっているだろうが知ったこっちゃない。
誰が何と言おうと、レスティアにとってはディートハルトは可愛い弟のような存在だったのだ。
それを再会直後に恋愛対象とすることなど、前世も今生も恋愛経験値ゼロに近しいアルマに出来るはずもなかった。
そしてそれは、意外にも肯定される。
「まぁ、それはそうでしょうね」
他でもない、ディートハルトによって。
まさか同意を得られるとは思っていなかったアルマは一瞬固まったものの、すぐに脳をフル回転させ、ぶんぶんと首を縦に振る。
「う、うん! そうなの! だからね、いきなり事を進めるのは良くないと思う!」
「そうですね……では、婚約者というのは保留にしましょう」
「っ!! そ、そうだね! それがいいよね!」
完全に風向きが逆転した。
そう確信して満面の笑みを浮かべるアルマだったが、
「その代わり、ここで一緒に暮らしましょう」
「振り出しに戻った!?」
やはりディートハルトは一筋縄ではいかなかった。
咄嗟のことで二の句を告げられずにいるアルマに、ディートハルトは淡々と代案を提示する。
「差し当たっては……そうですね、僕が貴女を住み込みで雇うという形はどうですか?」
「雇うって……この屋敷で働くメイドさんとか、そういう感じ?」
「僕専属の補佐官というのはどうですか? 書類仕事を手伝ったり、僕にお茶を用意したり、そういう感じで」
「補佐官……」
「給金も出しますから、孤児院に貢献も出来ますよ」
それは非常に魅力的な提案のようにアルマには思えた。
少なくとも婚約者という選択肢よりはグッと現実味があるし、精神的負担も少ない。
しかしあまりにも自分に有利な話というのは、それはそれで疑念を生むものである。
「……なんだか、結局わたしに都合良すぎる形になってない?」
探りを入れるように疑惑の目を向けるアルマに、ディートハルトは「とんでもない」と笑って首を横にする。
「むしろ僕の目的はそれで十分に満たしてますから」
「……本当に、いいの?」
「もちろん。では、契約成立ですね」
「……一応、孤児院の院長先生に許可貰ってからね」
やはり上手く丸め込まれた気がしてならなかったが、アルマは無理やり自分を納得させた。
その心中には、少なからずアルマ自身もディートハルトと一緒に過ごしたいという気持ちがあったからに他ならないが、残念ながら本人はそのことに気づいてはいなかった。
話がなんとなくまとまったことにホッとしたところで、まるでタイミングを見計らったかのように、扉がノックされる。
ディートハルトが入室を許可すると、扉を開けてゴードンが一礼と共に入ってきた。
「旦那様、失礼いたします。ダグラス様がお見えになりました」
「……あぁ、ご苦労。さて、僕はこれからダグラスと話をしますが、お会いになりますか?」
かつては同僚だった騎士のダグラス。
過去と現在の彼の姿を脳裏で交互に思い浮かべながら、アルマはディートハルトに真剣な面持ちで言った。
「もちろん会うよ。ただ、その前にちょっと相談があるんだけど……」




