アルマ、対峙する(3)
「どちらにせよ、お前の口を塞ぐ必要があったからここに来たんだ。殺すつもりだったが気が変わった。……アメルハウザーが躾ける前に、俺がお前を躾けてやろう。たっぷりとその身体にな……」
そう言ったヨルダンのあまりの醜悪さに、アルマは心の底から嫌悪した。
下劣な思考そのものに激しい忌避感を覚えるが、何よりも我慢ならないのは、彼が誰あろうディートハルトを引き合いに出していることだ。
アルマにとって一番大事な人であるディートハルトの品性を愚弄する目の前の男が堪らなく不愉快だ。
そもそもこの男がディートハルトと己を比べること自体烏滸がましい。
自分でも驚くほどに激しい怒りに苛まれたアルマは、欲に塗れた目でこちらを見下ろすヨルダンを睨み返すべく顔を上げようとした。
だが、騎士として培った冷静な判断力が寸でのところで――
「……た、」
その行為を踏み止まらせた。
逆にアルマはおずおずと膝を折って身体を縮こませて、顔を俯かせたまま目線だけを上へと向ける。
それは弱者が強者へと恭順するように。震えた声で、アルマは呟く。
「……たす、けて……ください……っ……ころさ、ないで……」
怯えた子羊のように、抵抗出来ない弱い生き物だと印象付けるように。
そもそもアルマは現在ベッドの上で手足を拘束された状態である。ご丁寧に手は後ろで縛られているため、出来ることといえば後ずさるか転がるか程度の差しかない。
この場においてアルマがヨルダンに勝てる見込みなど万が一にも存在しないのだ。
それが分かっているからか、ヨルダンは僅かに目を眇めた後で、大きく犬歯をむき出しにしながら哄笑した。
「ハハッ、いいぞぉ……賢い子供は嫌いじゃない。今この瞬間に媚を売るべき相手をちゃんと分かっているなら素質がある。なんなら本格的に飼ってやってもいい……!」
「よ、ヨルダン様……! 今は時間を無駄にしている余裕などありません! そんな子供、ヨルダン様がわざわざ手をかける必要は――」
「煩いッ!!! いつからお前は俺に意見出来る立場になったんだミーシャ! 身の程を知れ!!」
「ッ……も、申し訳、ありません……」
背後で青ざめ動揺するミーシャの言葉にも耳を貸さず、ヨルダンの全神経は獲物へと集中する。
ほどなく彼は狭いベッドの上に獣のように乗り上げた。舌なめずりをしつつ、身体を震わせたアルマへとじっくり近寄っていく。その追い込む過程すらも楽しむように。
「っ……言うこと、聞くから……痛いこと……しないで――」
「ほぅ……? いいだろう、それならばこちらを向くんだ。俺の目を真っ直ぐ見ろ」
「は、はい……」
アルマは意を決したように顔をゆっくりと上げて、目を二度三度と瞬かせる。
そしてこちらを覗き込んでくる男のギラついた瞳と視線が交錯した。瞬間、理屈抜きの怖気――生理的嫌悪が全身を駆け巡る。
その本気の恐れを感じ取ったのか、ヨルダンは恍惚とした表情で大きくため息をついた。顔と顔の距離が近いため、生温い空気がアルマの頬をかすめる。
――気持ち悪い。逃げたい。そんな感情を必死で抑え込む。
きっと機会は一度だけ。その一度に自分の命運を託す以上、ここで失敗は赦されない。
「いい顔をするじゃないか……なぁ、レスティア?」
「っ……!」
ヨルダンにしてみれば戯れのような一言。
しかし不意を突かれたアルマは思わず前世の名を呼ばれ過剰に反応をしてしまった。
それが結果として眼前の男をますます上機嫌にさせる。
「なんだ! やはりあの男もお前をレスティアと呼んでいるんじゃないか!! ハハッ!! 本当に気持ち悪い執着心だなぁ!?」
――――耐えろ、耐えろ、耐えろ。アルマは咄嗟に血が滲むほどに唇をきつく噛みしめた。
痛みで理性を保ち、同時に涙腺を刺激して非力な子供の顔を演出するために。
そうでもしなければ叫び出しそうだった。
お前如きに何が分かる。
自分とディートハルトがどんな想いであの戦場での日々を生きたのか。
何も知らないくせに、勝手なことを言うな――
腹の中に煮え滾るような熱が篭る。それを力に変えながら、アルマは千載一遇の機会を待つ。
高揚感は余裕を生むが、同時に致命的な隙も生じさせやすい。
だから待つのだ。相手が決定的に緩む瞬間を。
「さぁて、レスティア――殺さないでいてやる代わりに、お前は俺に服従を誓え。そしてこう証言するんだ。自分の意思で会場を出て俺に偶然保護された、とな? どうだ簡単だろう?」
「……わ、わかり、ました……言うとおりにします……」
「よしよし、いい子だ……そうだな、どうせなら少し味見でもするかぁ……」
ヨルダンの締まりのない欲望に満ちた顔がさらにこちらとの距離を詰めてくる。ベッドのヘッドボード近くまで追い込まれ、膝を立てて座った状態のアルマにはもはや逃げ場などない。
「なぁ、どうせあの男にも散々させてきたんだろう……?」
そうしてアルマの膝頭を超えてヨルダンの唇がアルマの唇を目指して吐息と共に迫った――瞬間。
アルマは身体を後方に勢いよく倒し、四つん這いとなっているヨルダンの身体の下へと強引に潜り込むと、
「っはあああぁぁぁぁ!!!」
縛られた両手でベッドシーツを掴み、渾身の力で彼の顎目掛けて両膝を自分の頭の方向へと叩き込んだ。
「ぐぅっ!?!? ぁ……あ?」
完全に相手の虚を衝く一撃。これ以上はないタイミングの奇襲。
狙い通り顎に直撃したこともあって、潰れた蛙のような声を出したヨルダンの動きがそこでピタリと止まる。おそらく脳震盪を起こしているに違いない。
アルマはそのまま器用に身体を捻って勢いをつけると、ヨルダンの脇腹めがけて折り曲げた足を再び打ち込んだ。
ぐらりと傾きベッドの下へと落ちていく男の身体を横目に、全身に薄っすらと汗をかいたアルマはゼーゼーと息を大きく乱しながら、
「――お前なんかがディーを語るな、この変態クズ野郎ッ!!!」
腹に溜まった熱をすべて放出するように大きく、吼えた。




