アルマ、対峙する(2)
まず、ここが何処なのかを知らなければならない。
アルマはベッドの上から情報となりそうなものがないか視線だけをせわしなく動かす。
まず一番情報を得られそうな窓だが、残念ながらこの部屋には存在していない。扉がある方向以外の三方はただの壁だ。
次いで何の変哲もない木製の扉、壁際に備え付けられた机と椅子、衣装箪笥、絨毯が敷き詰められた床と目視していき、最後に大きく天井を仰いだ。そして左隅に一箇所、真四角の扉のようなものを見つける。見た感じから察するに屋根裏部屋のようなところへの出入り口のようだ。
つまり、この部屋は少なくとも二階以上である可能性が高い。
「……無駄ですよ。手足を縛られた状態で出来ることなどありません」
ミーシャの平坦な声を耳にしながら、アルマは大きく息を吸い込む。そして、
「っ誰かあぁーーーー!!!!! 助けてーーーーー!!!!」
あらん限りの声量で叫んだ。
だが思ったより音が室内に篭って外に響いてないように感じる。それでも誰かが声を聞きつけて駆けつけたら、状況は一気に好転するはずだと、アルマは期待を込めてさらに何度か叫び声を上げた。
しかしミーシャはこちらの行動にも顔色一つ変えない。
つまり、叫んでも無駄だと知っているのだ。
防音が万全な部屋なのか、それとも別の理由があるのか。
アルマはとにかく何でもいいからヒントが得られればとミーシャへ積極的に話かける。
「ここは王城内ではないのですか? もしやヨルダン――ネッケ侯爵家の屋敷か何かとか?」
「……それに私が答えるとお思いですか?」
「いいえ。ですが、反応を窺うことぐらいは出来ますよ?」
今のところ、ミーシャがこちらに危害を加える気がないのが救いだろう。
彼女は会話当初に見せていた罪悪感をすっかり引っ込め、今は無表情を貫いている。先ほどのやりとりを鑑みるに、説得はもはや意味をなさないだろう。
ならばとアルマは次の一手を考える。
正攻法は扉を破っての脱出だが、流石にミーシャを振り切ってそれを完遂するのは難しい。
せめて手足が自由に使えれば――アルマが何か使える物がないか再び室内を目で物色しようとした、ちょうどその時。
「――クソッ! あの畜生が余計な真似をッッ!!!」
口汚い罵声と共に突如開いた天井隅の扉という想定外の事態に、アルマは思わず目を剥いた。
大人一人がギリギリ通れる程度の四角い扉から長い脚が見えたと思えば、次の瞬間には正装に身を包んだ男が板張りの床へと着地する。
「……ヨルダン」
アルマが瞠目しながらそう呟けば、苛立ちを隠し切れない表情を浮かべたヨルダン・ネッケが鋭い視線を向けてくる。反射的に身構えたアルマに対して、彼はガシガシと頭を無造作に掻き上げると、
「ああ、お前の所為ですべてが台無しになった……が、お前自身がここに居る以上、証拠隠滅は容易いか……そうだ。まだどうにでもなるはずだ……こんなところで終わって堪るか……」
意味の分からないことをブツブツと喋りながらこちらへゆっくりと近づいてくる。
この状況は非常に拙いと本能的に悟ったアルマだが、足首が縛られているため立ち上がることすらままならない。
間近に迫る危機に有効な手を見出せずアルマが無意識のうちに唇を噛みしめた瞬間、
「――あの、ヨルダン様……何か不測の事態が起こったのでしょうか?」
思わぬ方向から救いの手が掛かった。
不安に揺れるミーシャがヨルダンへと話しかけたのだ。
彼は心配そうな表情をするミーシャを一瞥すると、少し冷静さを取り戻したのかその場に立ち止まり、盛大な溜息を吐く。
「アメルハウザーが信じられない暴挙に出た。王を差し置いてあの男、王城内全域を封鎖しやがった……!! この子供を捜索するためだけにだ!!! まったく馬鹿げてやがる!!!!」
話していて急激に怒りがぶり返したのだろう。
ガンッ、と苛立ちをぶつけるようにヨルダンは近くにあった椅子を蹴り飛ばす。大きな音を立てて前脚部分がぽっきり折れ、椅子は無残にも絨毯の上を転がった。
そんなヨルダンの行動にも動じず、ミーシャはそっと労わるように彼へと寄り添いその身体を密着させる。
「どうか落ち着いてくださいませ、ヨルダン様。計画ではクラリス様とご一緒にこちらへ来られる手筈でしたが、そちらはどうなったのでしょうか?」
「……途中までは上手く行っていたんだ! だがここへ向かう途中、急に具合が悪くなったと化粧室に駆けこんでいきやがった」
「例の酒が体質に合わなかったのでしょうか?」
「分からん。だが、その直後に俺の配下が王城封鎖の情報を持って来た。それで警備の奴らに見つかる前に急いでここに来たんだが――」
そこまで言って、ヨルダンは二人の会話を息を潜めて聞いていたアルマを再びねめつける。
「……お前、一体何者なんだ? 何故たかが平民のガキ一人にあのアメルハウザーがここまで躍起になる? ――答えろッ! お前と奴との関係はなんだ!!」
怒声混じりの詰問に、アルマは毅然と返す。
「ただの見習い雇われ補佐官です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「白々しい嘘をつくな!! あの男がこれほど執着するなど、それこそレスティア・マクミラン以外には考えられないことだ! いくらお前の外見が彼女に似ているからと言って……」
そこで不自然にヨルダンの言葉が途切れた。彼は改めてアルマを舐るような視線でもって上から下まで確認する。次第に先ほどまで怒りに震えて強張っていた男の口もとは、極上の獲物を前に舌なめずりをする肉食動物のようにいやらしく弧を描いて歪んだ。
「分かったぞ……アメルハウザーはお前をレスティア・マクミランにしようとしているのだな?」
「……は? いきなり何を――」
「聞けばお前は剣の腕もなかなからしいじゃないか。その外見といい、剣の才能といい、レスティア・マクミランの代替品としては最適な器というわけだろう。ククッ、アメルハウザーめ! 女嫌いどころかガキを自分好みに躾けようとは、なかなかどうして歪んだ性癖の持ち主じゃないか! ハハッ!! 傑作だ!!!」
アルマは勝手な想像を働かせて腹を抱えながら高笑いするヨルダンを唖然と眺めた。要素としていくつかは掠っているが、大部分は酷い妄想である。
アルマをレスティアにするもなにも、そもそも本人である。見当違いもいいところだ。
すぐ隣を見ればミーシャも突然の主の奇行に戸惑いを浮かべていた。無理もない。
困惑するこちらを他所に、ひとしきり笑って気が済んだのか、ヨルダンは唐突に自身の首元に手をやり、タイを解いて襟を寛げるようにボタンをいくつか外した。
刹那、アルマの背筋に形容しがたい悪寒が奔る。
途轍もなく嫌な予感がする。そう本能が叫んでいた。
そしてそれは最悪なことに的中する。
「どちらにせよ、お前の口を塞ぐ必要があったからここに来たんだ。殺すつもりだったが気が変わった。……アメルハウザーが躾ける前に、俺がお前を躾けてやろう。たっぷりとその身体にな……」




