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アルマ、夜会へ行く(4)


 ――――どうしてこうなった!?


 イランイランの甘くかぐわしい匂いに全身を包まれアルマは束の間、思考停止に陥った。

 お構いなしにぎゅうぎゅうと抱きしめられているのは分かる。とはいえ、女性の腕の力なので痛くはない。が、混乱は一向に収まらない。 

 とにかく失礼があってはいけないと様子を窺うことに徹するアルマだが、ほどなく突然の抱擁からは解放されることとなった。


「クラリス、いい加減離れろ」

「ふむ、余裕がない男は醜いぞディートハルト。別にいいじゃないか女同士なんだし。小さくて可愛い生き物は愛でるのが筋というものだぞ?」

「駄目だ減る今すぐ離れろ。三秒以内に引かなければ実力行使に出る」

「はぁ、大人げない……」


 冷え切ったディートハルトの声と視線を受けても動揺するどころか呆れ声を返し、クラリスは最後にもう一度強く抱きしめてからアルマを解放した。ホッとするアルマだが、すぐに右腕を取られてやや強引に移動させられる。気づいたときにはもうディートハルトに肩を抱かれており、思わず目をぱちくりとさせた。

 それでちょうど真正面から対する形となったクラリスは、エメラルドの瞳を興味深そうに輝かせながら改めてアルマの顔を覗き込んでくる。


「突然抱きしめてしまって悪かったね。初めましてアルマ。(わたくし)はクラリス。本日付でヘスター公爵になった元第二王女だ。以後よろしく頼む」


 見た目とはややギャップのあるサバサバとした中性的な言葉遣い。だが伸びやかな声の響きと合わさると不思議と彼女にしっくり似合っていた。

 立っているだけでも絵になる美貌のクラリスに、アルマは慌ててドレスの裾の乱れを手早く整えると最敬礼の姿勢を執った。


「お初にお目に掛かりますヘスター公爵閣下。アメルハウザー公爵ディートハルトさまに仕えております、アルマと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「ああ、そんなに畏まらなくてもいいぞ? 今後は長い付き合いになるだろうし、出来れば親しくして欲しい。なにせ私は友人が少ないからな」


 あっけらかんと自虐ともとれる発言をしながら、クラリスはディートハルトへチラリと視線を寄越す。


「そんな貴重な我が友ディートハルトと君の噂は今この社交界では最大の話題になっているのだが、実際のところどうなんだ?」

「うっ……噂、とは、どのような……?」

「ん? ディートハルトが幼女趣味に目覚めて君を溺愛しているとか、既に婚約しているだとか、まぁそういう類のだが。ああ、面白いものだと君がディートハルトの隠し子説というのもあったぞ!」


 アルマはこの場で叫び出さなかった自分を褒めてやりたい気分だった。

 実際問題として再会してからディートハルトの傍に侍っていたこともあり、多少の噂は想定していたものの、そこまで具体的な話が出回っているとは。

 おそらく今この瞬間についても周囲に恰好のネタを提供している形になっているのだろう。

 アルマは一呼吸を置き「どの噂も事実無根でございます。わたしはただの従者に過ぎません」と、速やかに噂を訂正しようと決意した。

 が、その前にディートハルトが口を挟む。


「私は幼女趣味でもないし当然隠し子もいない。合っているのは溺愛していることくらいだな」


 瞬間、周囲の女性の何人かが耐えきれなかったのか「ひゃあああっ!」とか細くも黄色い悲鳴を上げた。逆にアルマは額に手を当てるとがっくり項垂れた。一足遅かった。それに尽きる。

 そんなアルマの様子に、クラリスは大変面白いものを見たと言わんばかりの表情で、


「私もディートハルトとはそれなりに付き合いは長いが、君のことになると途端に変貌するのだな」

「……やっぱり、そうなのですか……?」

「普段は徹頭徹尾無表情か不機嫌そうな顔しかしてないからな。君が傍に居ると顔が緩んで実に面白い」


 カラカラと笑いながらクラリスはアルマの至近距離まで来ると、スッと表情を引き締めたのちにこちらの耳元へと唇を近づける。


「……君の素性もある程度は耳にしている。ディートハルトとの間には障害も多いことだろう。もし協力が必要なら遠慮なく申し出ると良い。なんなら今すぐにでも私の養子にしようか? 私も君が気に入ったしね」


 突然の囁きとその突飛な内容に驚愕しながらも、アルマは努めて冷静に言葉を探す。


「……何故、そこまでわたしを気に掛けてくださるのでしょうか? もしや、ディートハルトさまから何かを頼まれて……?」

「おや、ディートハルトから話は聞いていないようだね。これは失礼。今のは忘れてくれ」


 そこであっさりと話を打ち切るクラリス。アルマとしてはただただ疑問が増えて消化不良だが、立場的に追及することも難しい。

 もどかしさだけが募る中、クラリスが穏やかなトーンで言葉を続ける。


「そう難しく考える必要はないさ。私は君が気に入ったから、何かあったら力になるよってことだ。今はそれだけでいい」

「……承知いたしました。お言葉、感謝いたします」


 なんとかそう応えたアルマに、耳元から顔を離したクラリスが少しだけ面白くなさそうに頬を膨らませる。


「その硬い口調だけはもう少し砕けて欲しいものだな。というか、その年齢にしては口調が洗練され過ぎているように思うが……本当に平民なのか君は。どこかの貴族の隠し子ではないのか?」

「あ、あはは……もちろん平民です。言葉遣いは必死で学んだだけのことなので……っ」


 苦しい言い訳をしながら、アルマは助けを求めてディートハルトの方を見る。

 彼は落ち着き払った様子でアルマの視線を受け止めると、


「クラリス、我々に構ってないでそろそろ挨拶周りに行ったらどうだ? 先ほどから貴様に話しかけたい連中が列をなしているが」


 その言葉の通り、クラリスの背後では彼女に話しかけたいという態度を隠そうともしない貴族たちの姿があった。クラリスも当然それは分かっているのだろう。


「ふむ、時間切れだな。……では私はこれで失礼するとしよう。二人とも、引き続き良い夜を」


 言って、クラリスはこちらが言葉を返す間もなく踵を返すと、彼女目当ての貴族たちを引き連れてその場を立ち去って行った。

 まるで嵐のような人だったなと、アルマはその背をぼんやり見送る。

 エリーチカとはまた別の方向で癖が強いというか、個性的な女性だった。


「……これで分かったでしょう? 僕はクラリスに興味はないし、彼女も僕にそういう意味での興味は微塵も抱いていません。だからこそ、こういった場のパートナーとしては最適だったんですよ」


 ディートハルトはアルマの真横に立つと、淡々とそう口にする。

 確かに二人の関係には恋愛の甘さは一切なく、どちらかと言えば悪友のような気安さがあった。

 その事実を噛みしめれば噛みしめるほど安堵している自分を強く自覚してしまい、ディートハルトの顔がまともに見れなくなってくる。


 ゆえにひたすら視線は遠ざかるクラリスを追いかけたままにしていた――まさにその時。

 アルマはクラリスに近づく貴族の中にヨルダン・ネッケ侯爵令息の顔を見つけた。


 遠目から見た限りでは、彼は他の貴族たちにはまったく遠慮せず、やや強引にクラリスへと話しかけているようだ。するとクラリスはヨルダンのアプローチに足を止め、何やら親し気な様子で言葉を交わし始めたではないか。距離的に会話の内容はまったく聞こえないが、二人だけで盛り上がっているのは傍目からも十分に伝わってくる。


 さらにヨルダンは近くにいた給仕からシャンパングラスを二つ受け取ると、片方をクラリスへと渡す。それを笑顔で受け取ったクラリスが迷うことなくグラスに口を付けた瞬間――


 ヨルダンの口もとがいやらしく歪んだのを、アルマは見逃さなかった。


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