アルマ、夜会へ行く(2)
「グランツ卿、アルマに何か?」
「お前ホンット心が狭ぇなぁ! たかが挨拶くらい好きにさせろや」
ディートハルトの牽制に近いニュアンスに対し、グランツ卿が呆れを含んだ苦笑いを浮かべる。
そんな彼の横でエリーチカはチラチラと顔色を窺うようにディートハルトへ視線を向けていた。先日の一件が尾を引いているのは間違いない。ちなみにダグラスは空気を読んで既に遥か後方へと退避している。そのまま持ち場へ戻るようだ。なかなかどうして抜け目ない。
アルマはディートハルトの機嫌がこれ以上下がる前に、場の空気を変える意味でグランツ卿にカーテシーをしながら口を開いた。
「お久しぶりでございます、グランツ卿。名前を憶えていただき光栄です」
「おう! この間の服装も似合ってたが、いやぁ女はやっぱり着飾ると違ぇなぁ……俺が後五十若かったら求婚してたぜ?」
「お祖父様! 冗談でもそんなこと言うもんじゃありませんわ! 天国のお祖母様が悲しみます!!」
ワインレッドの煌びやかなドレス姿が眩しいエリーチカから睨まれても、グランツ卿はどこか嬉しそうにしている。きっとこういう軽口の叩き合いが好きな性質なのだろう。ますますディートハルトとは相性が悪そうだなぁとアルマが内心溜息を吐いたところで、
「――用がないのであれば、我々はこれで」
ディートハルトがアルマの背に手を回し、グランツ卿たちからさっさと距離を置こうと行動を起こす。
するとグランツ卿が少し焦りと不満を滲ませながらこちらを呼び止めた。
「おいおいそりゃねぇぜ? 俺はもっとアルマの嬢ちゃんと話してぇんだからよぉ」
「碌な話をしなさそうですので、お断りします」
「俺はお前さんと話してるんじゃねぇよ? アルマの嬢ちゃん、もうちっとばかしなら付き合ってくれるだろ?」
断られるとは微塵も思っていなさそうなグランツ卿の態度に、アルマは僅かに間を置いた後で、
「申し訳ありません。ディートハルトさまの許可が下りない以上は、ご期待には沿えません」
丁寧に頭を下げた。アルマにとっての優先順位的に、ディートハルトの機嫌を損ねてまで付き合うメリットはないし、何より今日の夜会では何が起こるか分からないのだ。警戒心もあって特に親しくない相手と長々会話をするような気分ではない。
「貴女が頭を下げる必要などありませんよ、アルマ」
そう言いつつも、ディートハルトはどこか満足げだった。こういう雰囲気を露骨に出すところは昔とちっとも変っていない。一方、アルマに袖にされたグランツ卿は頭をガシガシ掻きながら子供っぽく口を尖らせた。
「なんだ嬢ちゃんもつれねぇなぁ……老い先短ぇジジイに付き合ってくれてもいいじゃねぇかよぉ」
「戯言を。貴殿は殺してもなかなか死なない類の者だろう?」
「ハッ! 言うねぇ小童が! だが、そういうところは嫌いじゃねぇよ?」
ディートハルトからの辛口にも楽しそうにしているグランツ卿は、そこでチラリと孫娘に視線を動かし、次いでアルマの方をしっかりと見た。目が合ったアルマはグランツ卿の意図をなんとなく察する。
この珍しく気まずそうにしている孫娘とのわだかまりを軽くしろ、ということだろう。
無視しても良かったが、アルマはエリーチカのことが別に嫌いではなかったので、
「……エリーチカ様、先日はご親切にありがとうございました。おかげさまで、つつがなく日々を過ごせております」
彼女の方へと数歩踏み出し、そう話しかける。それに対してエリーチカは驚きに目を丸くしつつも、手にしていた黒い扇子を口もとに寄せて満更でもなさそうに目元を緩ませた。
「べ、別にお礼などいらないわ……こちらもあれから煩わしい羽虫とは縁が切れているし」
「それは何よりです。ですが、油断は大敵というもの。今後も必ず護衛は伴うべきかと……まぁ、このような場ですとそれも難しいでしょうが」
暗にミーシャがこの場にいないことを指し示したアルマに、エリーチカはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「ふんっ……本当に余計なお世話よ。王家主催の夜会で馬鹿をやるような者がそう簡単にいると思って?」
「……可能性は、ゼロではないかと」
アルマは敢えて低くそう返した。
この間、中央大通りで見かけたヨルダンともう一人の人物との密会現場。オレンジ色の髪でまず連想したのがこのエリーチカだが、今までの付き合い上、彼女が器用に演技が出来る性質だとは到底思えない。
だが、アルマの勘はヨルダンの密会相手がエリーチカと何か関りがあるのではと告げていた。確証はないが、アルマは自分のこういった感覚は重視する方なので、念のためエリーチカにも警鐘を鳴らしておきたい。
そんなこちらの真剣さが伝わったのか、エリーチカは特に反駁することもなく頷いて見せた。
「まぁ……そうね。一応頭の片隅程度には留めておこうかしら」
「ありがとうございます。欲を言えばミーシャ様がお傍に居られれば安心なのですけれど」
「一応、従者として王城内には連れてきてるわよ? たぶん控室辺りで待機してると思うわ」
「ああ……それなら安心ですね」
アルマはほんの少し安堵する。それならばこの大広間以外の場ならミーシャの護衛が期待できる。それこそ王家主催の夜会なのだから、たとえヨルダンが何か仕掛けてきたとしても、そう大胆な手段を取ることは難しいだろう。
「お前……本当にお人好しね。こんなんじゃ張り合う気も失せるわ」
ぼそりと呟いたエリーチカの表情は、どこか吹っ切れたような気の抜けたものだった。
意図が汲み取れず首を傾げるアルマを捨て置き、彼女はごく自然な動作で身体の向きを変えると、
「ディートハルト様」
と、堂々と声を上げた。ディートハルトのあからさまに怪訝を孕んだ視線が自身に向くのを確認すると、エリーチカは扇子を広げて口もとを隠しながら、実に優美に微笑んだ。
「非常に優秀な従者に恵まれておりますのね。羨ましい限りですわ」
「……ええ、私もそう思います」
「ふぅん、謙遜さえなさらないのね……まったく、嫌になるわ」
「事実ですから」
「ワタクシ、貴方様のそういうハッキリとした言動が好みでしたの。誰にも阿らない姿勢も。今でも貴方様に最も相応しい女はワタクシを置いて他にはいないと思っておりますわ」
「私はそうは思いませんし、貴女と特別な関係になることは未来永劫あり得ません」
「…………そう、残念だわ」
言葉とは裏腹に、彼女は極端な落胆を表に出すこともなく、わずかに肩を竦めるのみだった。
「エリーチカ、引き際は大事だぞ?」
「分かっておりますわ、お祖父様。……はぁ、今後は国外にもっと目を向けるべきかしらね」
グランツ卿の横入りにも気分を害することなく、エリーチカは自分に言い聞かせるように呟いた。
アルマはその姿から、彼女がディートハルトへの執着を断ち切ろうとしているのだとようやく理解する。
同時に、その事実にホッとしている自分にも――気づいてしまった。
これが恋なのか愛なのかはアルマにはまだよく分からないが、そろそろ認めるべきだろう。
自分自身が持つ、ディートハルトへの独占欲を。
アルマはふいに背後を首だけでこっそり振り返る。
すると当然のようにディートハルトはこちらを見ていて、目が合って、微笑まれ、
「アルマ、どうかしましたか?」
こんな風に優しく問いかけてくる。
それを目の当たりにして、アルマはずっと考えてきたあることを漸く決断した。
「……うん。やっぱり選択肢は多いに越したことないよね」
「? 何の話でしょうか?」
「わたしたちの将来についての話……でしょうか。夜会が終わったらきちんと話しますので」
それ以上は答える気はないと意思表示をすれば、ディートハルトは素直に引き下がる。
その一連のやりとりを見ていたグランツ卿が、かつてないほどに真剣味を帯びた声音でアルマに言った。
「……嬢ちゃん、くれぐれも怪我とかには気ぃ付けるんだぞ。お前さんに何かあったら、こいつを止められる奴がいなくなるからな」
どうしてわざわざそんなことを言うのだろうか。
アルマがそう問い返そうとする直前、夜会の開幕を告げる管楽器の音色が大広間に響き渡った。




