とある侯爵令息の愉悦
思えば、望んだもので手に入れられなかったものは一つしかなかった。
それはネッケ侯爵家の当主の座。
ただ生まれた順番が三番目だっただけ。先に生まれた兄二人の方が優先されるという理不尽。
しかも上の兄ですら四つしか違わないのだ。
せめてもっと上ならば、先の戦争で命を落としてくれていたかもしれないのに。
一人蹴落としても、自分より優先されるべきスペアがいる。
二人共を蹴落とすのは骨が折れる。
――では、正しい選択、賢い選択とは何だろうか?
簡単なことだ。女を利用すればいい。
我がネッケ侯爵家よりも上位の家柄の女を篭絡すればいい。
所詮は男社会だ。入り婿だろうが、中に入ってしまえば実権を握るのは容易いだろう。
見た目も、頭脳も、そして運動能力にすら天賦の才を得た自分ならば。
ヨルダン・ネッケは己の根幹を為すその考え方を甚く気に入っている。
欲しければ奪い取るというのは男の本能であり本懐だ。
そうして見定めた獲物。
華やかな美貌に高慢な思想――そこらの男には制御出来ないじゃじゃ馬。
乗りこなせるのは一流の男だけ。だからこそ価値がある。
ああいう女を屈服させるのが何よりも己を昂らせることを、ヨルダンは事実として知っている。
その驕り高ぶった矜持を踏みつけて手折り、泣いて赦しを乞わせる快感。
そして最後はじっくりとベッドの上で服従させる。ああ、なんと甘美なことだろうか。
ここに至るまでに下位貴族の女は飽きるほど味わい、不要と判断すれば紙屑のように捨ててきた。
もしくは邪魔になるようならば適宜処分もした。
遊びに興じる日々にもはや未練はない。そろそろ本命を落とす頃合いだろう。
着々と準備は進めている。抜かりはない。
だが、ここに来て新しくて面白い玩具がついつい視界に入ってしまった。
本来であれば委縮するであろう自分との対峙にも、一切の媚び諂いを見せなかった精神性。
手加減をしていたとはいえ、見事に自分の行動を阻害してみせた反応速度。
まだ女と呼ぶには青いその子供は、けれど鮮烈な輝きを放つ至高の宝石のような瞳を持っていて。
無意識のうちに喉が鳴る。欲しい。
これは将来とてつもなく己を満足させる女になる。そう予感した。
しかもその子供は、よりにもよってあのアメルハウザー公爵家に庇護されていると聞く。
王族ですらも袖にする目障りな若き当主が常に傍から離さないほどの執着を見せているとも。
ふいに、かつて一度だけ見かけたことのある美しい女騎士をヨルダンは思い出す。
眩い銀の髪と透き通るようなロゼの瞳。
返り血を浴びてなお美しいその女を瞼の裏で描けば描くほど、先日の子供の姿と重なっていく。
そこへ見た目だけではない共通項が加われば、導き出される推測はひとつ。
――なるほど、これぞまさに一石二鳥というものだろう。
「再度確認するが……アルマという子供は、今度の夜会に間違いなく出席するんだな?」
中央大通りの南側、王都でも最高級の呼び声高い宿の最上階で。
琥珀色の液体がなみなみと注がれたグラスを手遊びで回しながら、ひとりソファーに凭れたヨルダンがいやらしく嗤う。
それに対し、彼に情報をもたらす有益で従順な部下が恭しく頭を垂れて肯定した。
「はい、間違いありません。お望みとあらばアメルハウザー公爵から引き離すことも可能ですが、いかがいたしますか?」
「ははっ! お前は馬鹿だなぁ!! そんな決まりきった答えをわざわざ問うなどと」
辛らつな言葉を投げつけながらも、その実、気分は家族旅行当日を待ちわびる子供のように高揚していた。非常に気分が良い。じっくり追い詰めたメインディッシュと、新鮮な味わいが期待できるデザート。それらをじっくり堪能する日がもう間もなくやってくる。
そして、この世のすべてが自分の手の内にあるかのような全能感に酔いしれながら。
ヨルダンは芳醇な酒を喉に流し込むと、今日の欲を発散するために連れ込んだ女が待つ寝室へと足を向けた。




